超短編小説

氷下魚(こまい)

氷下魚

 名所の割には随分人が少ないな、というのが率直な印象だった。
 私は産業用機械の商談のために、とある観光地に来ていた。十年程前にも一度来たことがあるが、当時はもっと大勢の人で賑わい活気があったと記憶していた。
 土曜早朝の市場は、観光客よりも売り手側の人間の方が多い感じだった。似たような間口を広げた店の売り子が、茹で上げの蟹や乾き物の試食を道行く人々に勧めていた。勧めるというより、半ば強制的に手に持たせてくる売り子もいた。
「試食したからって無理矢理買わせることはしねえから」と、私に照準を合わせた魚屋の男は、惜しげもなく蟹の爪に鋏を入れた。ぎゅっと詰まった真っ白なタラバ蟹の身が半分私の手の平に、もう半分は濡れたコンクリートの地面にごそっと落ちた。
 何か反応しないことにはその場を立ち去れそうもなかったので、私は手の平の蟹の身を口に入れた。塩が効いて肉厚なのは分かるが、近所のスーパーで売っている蟹との違いが今一つ分からなかった。元来、私は自分自身の舌を信用していなかった。人が言う程、安価なものと高級なものとの区別がつかなかった。俗に言う「味音痴」なのだ。
 私はこれといった感想らしい感想も言えず、男に小さく微笑んで見せることしかできなかった。

「二年前の大震災、あれは一番こたえた」
 私みたいなサラリーマンにはそもそも何の期待もしていないといった感じに、彼は独りごちた。「最近は観光客も台湾人や韓国人ばっかり。時代は変わったよ」
 そう言って、彼はバケツの水を床に捲き、試食したサイズよりもずっと大きい落ちた蟹の身を、排水口に流した。
 そこは市場の中心部、元来店と観光客で一番活況であるべきはずの場所だったが、店が歯抜けのようにいくつもクローズしていた。陳列棚だけを置き去りにして、人も商品もどこかに消えていた。近々市場全体を建て替えるための引っ越しなんだよ、と中の誰かが言っていたが、どれほど立派な建て替えだとしても、一度離れた客は二度と戻ってはこないような気がした。

「お兄さん、何探してる?」
 湿気た磯の香りを孕んだ市場の一角で、八十はとうに超えてるであろう背の小さな白髪の老婆に呼び止められた。背中がS字フックのように折り曲がり、顔と手の甲が矢鱈真っ黒に日焼けしていた。
「その昆布はうめえよ。出汁とった後でも充分食える」
 昆布は私の手の届かないところにあったが、老婆はそれを見せてくれる訳でもなく、遠い目をしながら私に囁くように勧めた。
 私は目の前の乾き物を気の赴くままに手にしては、直ぐに元の場所に戻した。珍しい物や興味をひくような物は特になかった。東京の乾物売り場でも良く見る物ばかりだった。
 老婆は私の挙動をさりげなく観察しながら、私の手にした商品についての蘊蓄をいちいち述べた。そしてそのどれもが必ず「酒のつまみにゃ最高だ」という結び文句で締め括られた。
「その氷下魚はうめえぞ。炙っても、炙らんでもええ。そのまま身を裂いて皮剥いで、マヨネーズをちょっと付けて。兄さん、ハンサムだから二百円おまけしとくよ」
 氷下魚は何度か口にしたことがあり、取り立てて「美味かった」という記憶はなかったが、こんな齢になるまで店先で物を売る老婆が気の毒でならなかった。私の祖母はもちろん両方共とうに亡くなっていたが、商売とは無縁の穏やかな人生を送った人達だった。
「後継ぎはいないの?」と私は聞いた。
「子供はみんな東京行っちまったから。こんな商売、誰も継ぐ奴なんていねえよ。兄さんはどっから?」
「東京です」
「都会は若い人一杯いるからいいね。こっちは田舎だから、若い輩はいつかねえ」
 本当はもう少し話をしていたかったが、そろそろホテルに戻って帰り支度をしなければならなかった。見渡す限り、お土産はどこで買っても大した違いはなさそうだった。
「じゃあ、その氷下魚を一つ。あと、この帆立はいくら?」
「それも千円でいいよ。そりゃあ、酒のつまみにゃ最高だ」
 財布から二千円出して老婆に渡すと、それと引き換えに、氷下魚と帆立の乾物が入った大きな手提げ袋を両手で丁重に持たされた。腕は細かい皺と斑模様の染みで覆われ、私の手の甲に触れた指先は弱々しく骨々していた。
 それから、寂しい市場をぐるりと一巡りしてからホテルに向かった。帰り際にもう一度さっきの店の前を通ったが、老婆の姿は付近に見当たらず無人だった。

   *

「あなた、これ賞味期限過ぎてるわよ?」
 気付いたのは妻だった。「製造年月日から約三ヶ月が賞味期限」ということのようだが、その通りだとすると、既に半年以上も過ぎていた。賞味期限のチェックなんて、老婆から土産物を薦められていたあの状況では考えもしないことだった。
「何かシールも黄ばんでるし。ちゃんと選んで買ってきたの?」
「並んでいる商品の一番上の奴だったけど」
「古い在庫処分品を買わされたのよ。それにしても半年も過ぎてる商品売るなんて酷過ぎるわね。どこで買ってきたの? 全然売れてない店じゃない? 他にお客いた?」
 妻は氷下魚の袋を無造作にテーブルに置いた。まるで汚い物にでも触れるかのように。
「有名な市場にある土産物店だよ。他にお客は、その時はいなかったけど」
 まさか店のお婆さんに同情して買った、とは言えなかった。最初から話をしなくてはならない気がしたし、それはさすがに面倒だった。
「いくらしたの?」
「千円」
「全く、これだから男の買い物は……。氷下魚なんて、スーパー行けばいつでも売ってるじゃない。間違っても千円なんてしないし、賞味期限切れを掴まされることなんてないわ」
「そういったらどんな土産もそうだよ。今はネット通販もあるし、東京で買えないものなんて」
 そう言った後で、私は自ら言葉を切った。土産物で妻と口論するなんてつまらないことだった。良かれと思った気遣いが却って逆の結果を生むことほど、がっかりすることはない。出張は多くあるが、行く度にお土産を買うわけではない。たまに買ってきたお土産の賞味期限が切れていて、更に高いだ何だと文句を言われたのでは適わない。

 ただでさえ、体は一刻も早く布団にもぐり込みたいと悲鳴を上げていて、氷下魚を挟んで妻と喧嘩するのは御免だった。この時ばかりは、あの老婆が話術に長けた、したたかな詐欺師に思えた。
「ごめん、ちょっと疲れた。シャワー浴びてくるよ」
 氷下魚は、そのままゴミ箱行きは間違いなかった。妻の事だ。半年も過ぎてると知ってしまったら、さすがに口にはできないだろう。
「返品って言っても、観光地のお土産じゃあね。少しはそういうところ、気にした方がいいわよ?」
 そう言って、妻は袋に氷下魚を戻して洗濯物を洗濯層に入れた。夜に何度も洗濯機を回すのは我が家の定番であり習慣だった。しかし疲れて早く眠りたい時に、いつまでもがたごとと洗濯機の回る音を聞いたり、当てつけがましくぱんぱん服の繊維を伸ばす音を聞くのは酷く耳障りだった。
 シャワーから上がってもビールを飲む気にはなれなかったので、私はそのまま床に就いた。妻は小学校から渡される父兄あての印刷物に目を通していた。
 その後妻が氷下魚をどうしたのかは私には分からなかったが、既に関心もなかった。それより、今回の出張報告書をどうまとめるかということで頭が一杯だった。商談の手応えがあまりにも微妙だった。
 一度だけ、老婆の声が耳の奥で鳴った。それを言葉として解釈するには、頭も身体も疲れ過ぎていた。

   *

 月末、もう一度北海道に行くことになるとは思ってもみなかった。予定よりも早く決裁がとれそうなので細部を詰めたい、という先方からの話だった。
 私は直ちにネットでこの間と同じホテルを予約し、フライト時間をチェックした。ふと、氷下魚、という言葉が頭に浮かんだが、直ぐに他のことを考えるようにした。氷下魚も老婆も、今では嫌な印象の記憶であり、不吉なものの代名詞のように頭の中で仕分けられていた。
 今までの苦労が一体何であったのかと思うほど話は順調に進んだ。それぞれの会社にとって利益がもたらされる結論へと収斂していくのに、後は時間が経過するのを待つだけだった。
 昨夜は美味い地酒を差しつ差されつ、久しぶりに気持ちよく床に着き夢も見ないほど熟睡できたお蔭で、今朝はまだ外が暗いうちに目覚めてしまった。二度寝も考えたが中途半端な寝起きになるのも嫌だったので、スマホでニュースを眺めたり、ゲームをしたりしたものの直ぐに飽きた。仕方なく髭をシェーバーで剃り、ビタミン剤を飲んでから、熱いシャワーを浴びた。
 浴室から出ると、外は白々明けていた。かなり遠方の山々がくっきりと見渡せ、空気が凛と澄んでいるのが部屋の中からでも分かった。山の一部は既に赤みがかって見えた。紅葉が始まっているのだろう。昔、妻と行った蔵王の紅葉の素晴らしさをふと思い出した。私はいてもたってもいられなくなり、髪の毛も半乾きのまま、適当な服を着て部屋を飛び出した。

 別に向かうつもりはなかった。何となく歩いていたら、何となくそこに来ていた。まだ時間が早いということもあるのかもしれないが、この間よりも更に人影はまばらだった。出店の数も少なくなっているようだった。もはや「観光スポット」などと言えたものではなかった。観光すべきものがなかった。「建て替え」などというハード整備の問題ではなく、もっと早急に何らかの手を打たないと全てが失われてしまう気がした。
 老婆の姿はそこにはなかった。老婆どころか、店ごとなくなっていた。腐食し変色した陳列棚だけが、力尽きた敗残兵のようにそこにあるだけだった。

「ここのお店、ついこの間まであったはずだけど」
 私は隣で店を広げていた中年女性に聞いた。
「一昨日閉めちまったよ。呆けちまって、金勘定も何もできやしねえんだから」
「そうなんですか」
 呆けなんて、突然襲われる訳はない。商品管理が出来ていなかったのも、それが原因だったのか。そう言われてみれば、ここには若い人の姿はほとんどない。店に立っている人は総じて年配の男女だ。私の親の更に親の世代。地方の高齢化は思っている以上に深刻なのかもしれない。呆けていても店をやっていかねばならない現実。かの老婆の面倒は一体誰が見ているのだろう、余計なことだが、私は矢鱈胸騒ぎを覚えた。
 そして、目の前にもう一人、また別の高齢化モデル。
「兄さん、何か探し物?」
「あ、いや別に」
「うちの自家製の塩辛はうめえぞ。ちょっと味見してって」
 中年女性は私の反応などお構いなく、ストッカーから塩辛の瓶を出して蓋を開け、私の手の甲にスプーンで一掬いのいかを載せた。いかのはらわた自体があまり得意な方ではなかったが、こういう勧められ方をしてしまっては、口にしない訳にはいかなかった。
 私は自分の手の甲を一息で吸ってから、女性の差し出したティッシュでごしごし拭いた。口の中に、はらわたと日本酒の香りがいか本体の味よりも強く広がった。やっぱり、塩辛は何度食べても駄目だと思った。自家製と言われれば言われる程受け付けなかった。
 ただ、妻は目がなかった。前回せっかく北海道まで行ったのにどうして生ものを買ってこなかったのか、とさんざん詰られた。賞味期限切れの乾物など買ってくるくらいならよっぽどそっちの方が良かったと。

 財布から札を出して、私は女性に渡した。彼女は「たこわさび」の瓶詰も一緒に勧めてきたが、そちらは断った。女性はそれ以外にも、昆布やら海老の加工品やら帆立の燻製やら目につくものを手当たり次第私の手に持たせようとするが、私は全て断った。塩辛さえ買えば、所期の目的は達成されている。余計な物は新たな火種の元。少し学習しなくてはいけない。
「兄さん、ありがと。これ、奥さんに持ってって。奥さん思いの兄さんに、おばちゃんからのプレゼント」
 そう言って、彼女はビニール袋を私に差し出した。ただであげると言われれば断る理由はなかった。透明なビニールの上部が、金色のテープで縛ってあるのがちらと見えた。その束ねられたビニールの間から、魚の尾のようなものが見えた。袋の重さから判断して、私はそれが何であるのか大体想像がついた。
「次回はいつ頃こちらに?」
「いつとは分からないけど、近いうちに」
「その時はまた寄って頂戴。ありがとな」
 塩辛を載せた私の右手を中年女性は両手で握った。女性の指の腹は凸凹していた。久しく握手などしていなかったので、どの程度力をいれるべきなのか迷った。そもそも塩辛を買っただけでどうして握手されるのか分からなかった。女性は握手よりも、先にするべきことがあった。
「ごめんなさい、さっきの塩辛っていくら?」
「六百円」
「お釣りは?」
「お釣り?」
「千円渡したんだけど」
「ああ、すっかりおつり渡したつもりになってた。それは失礼失礼」
 女性は素早く手を離し、レジから百円玉をがちゃがちゃと出して、私に渡した。お釣りの百円玉が冷凍庫にでも入っていたのかと思う程、冷たく固く感じられた。
 女性はいつまでも手を振りながら、私が市場からいなくなるのを見ていた。さっきよりはいくらか客は出始めたようだが、次回来る時にはまた更にどこかの店舗がなくなっているのだろう。それはそこの蟹屋かもしれないし、あそこの乾物屋かもしれない。
 私は手の甲の匂いを嗅いだ。ティッシュで擦ったくらいでは、塩辛の生臭さを完全に払拭することはできなかった。
 塩辛と、ただでもらった付録の土産を一つにまとめて口をきつく縛り、バッグに押し込んだ。帰り道は店の売り子から誰にも声をかけられなかった。空の青さと太陽の温かい陽射しだけは、万人平等に降り注いでいた。

   *

「あなた、ちょっと来て」と、キッチンの妻は言った。嫌な予感がした。妻が離れた場所から理由も言わず「ちょっと来い」と言う時、いい話であった試しがない。
「学習しない人ね、あなたって本当に」
 妻はビニールに入った氷下魚を裏返して私に見せた。予感は的中した。製造年月日から既に一年半が経過していた。賞味期限は特に書いていなかったが、いくら乾物とはいえ、製造日から一年半の経過というのは、土産物として考えたらいかにも酷過ぎた。
「賞味期限も書いてないなんて」
「もらったんだよ。サービス品」
「サービスになってないじゃない。却って疑われるわよ。この間のことがあったから、試しにスーパー行った時に見てみたの。氷下魚の賞味期限、やっぱり三ヶ月くらいが相場みたい」
 ただでもらったものなんてそんなに細かくチェックしないし、賞味期限が切れてるからと言って、突き返すこともできない。
 念のために、塩辛のラベルをチェックしたが、こちらはどうにか賞味期限内に収まっているようだった。賞味期限のシールが少し曲がって貼られていたり、二枚重なっていることなど、細かいことを疑い出したらきりがないし不愉快になるだけなので、それ以上詮索するのは止めた。どうせ自分が食べるわけではないのだ。

 それにしても、一体あの市場の店はどうなっているのだろう。自分の預かり知らぬところで、もっと深刻な事態が進行している気がしてならなかった。それはお土産の賞味期限で一喜一憂してる場合ではないほどの切迫した状況が、あの観光地全体を覆い尽くしているように思えてならなかった。
 妻はそれ以上、何も言わなかった。呆れて私とは金輪際話したくない、という感じだった。お土産を買ってくれば来るほど、我が家の夫婦関係は悪くなるばかりだった。
 当面、土産は中止しよう。氷下魚など、もう見るのも嫌だった。氷下魚だけではなく、蟹も塩辛も昆布もワカメも、北の地方でとれる海産物は押し並べて鬼門に思えた。
 私は氷下魚の袋を「可燃ごみ」のダストボックスに押し込んだ。妻は洗濯機の電源を入れて、風呂の残り湯を洗濯層に入れた。妻は機嫌を損ねると洗濯回数が増えてくるので、ある意味分かり易かった。
 翌日、私は会社の上司に付き合わされ、無理矢理古臭い歌まで歌わされ、悪酔いして帰宅した。胃の中には大したものが入っていない替わりに、胸は心配事やプレッシャーで一杯になっていた。恐ろしく眠いはずなのに、神経だけがぴりぴり覚醒していて、このまま床に就いたら一生今日という日を後悔するような気がした。

 妻は既に寝室で眠っていた。枕元にタブレットPCが転がっていた。寝しなに動物を飼育するネットゲームをするのが日課になっていた。それは一度やり始めたら、永久にやり続けなければならないシステムだった。一日餌を遣らないと、動物や植物は瞬く間に干からび、命の危険に晒されるよう設計されていた。
 一時期、あまりにも熱心にやっているので、そんなに楽しいのかと聞いてみたら、半分惰性、と妻は答えた。私と会話してるより楽しいか、と聞いてみたかったが、そんなこと当たり前でしょ、と即答されるのが落ちなので止めておいた。

 シャワーを浴びた後でも、体は内側から雛のように震えていた。別に寒気があるわけでもないのに、じっとしているといたたまれない気持ちになった。
 私はテレビを点け、缶ビールを開けた。テレビはその時間大した番組はやっていなかった。最近のテレビはいつだって、大した番組などやっていない。所詮BGM替わりなので、ダイエットドリンクの実証実験が延々流れていても何も気にならなかった。少なくとも、役者もどきの気恥かしい演技を見るよりも、歌手もどきの下手糞な歌を聞くよりもずっとましだった。
 二本目に突入した時、何もつまみを食べていないことに気付いた。やはり腹は無性に減っていて、口寂しさを覚えた。味の濃いものが欲しかったが、冷蔵庫は大掃除をした後のように綺麗で、つまみになりそうなものは先般の出張で買ってきた塩辛くらいしかなかった。
 私はゴミ箱から丸ごと放りこまれていた袋を引っ張り出して封を切り、マヨネーズと一味唐辛子と一緒に、ダイニングテーブルに置いた。この際腹が満たされれば何でも良かった。腹を満たすことと同時に、この片端な酩酊の出口をそろそろ見い出したかった。それには毒を以って毒を制すショック治療が必要だった。
 かちかちに乾燥した氷下魚の腹を中心に力任せに左右に開いた。つんと鼻をつく、何か発酵臭のような匂いがしたが、満更不快な感じではなかった。それは以前にも経験していた、氷下魚独特の匂いだった。
 私は端っこの身を引き千切り、そのまま一口齧った。それは実に美味かった。口の中に濃厚なブルーチーズを食べるような芳醇な香りが広がった。賞味期限切れなど何も問題ではなく、むしろ香ばしさが増して結果オーライではないかとさえ思った。ゴミ箱に袋ごと押し込んだことを私は死ぬほど後悔した。二本、三本と氷下魚を引き裂いては、マヨネーズをたっぷり付けてご飯のように口に放り込んだ。ビールを飲むこともすっかり忘れて。
 私は氷下魚を噛み締めながら目を閉じ、市場の様子を改めて想像した。昔々、まだリーマンショックも大震災もなかった時代、店が所狭しと立ち並び、大勢の観光客一杯に賑わっていた頃の、かの市場の光景を。
 しかし奇妙なことに、市場を彩る人々の表情は完膚無きまでに失われ、私は誰一人の笑顔もそこにイメージすることはできなかった。(了)


2014-05-05 | 超短編小説2 Comments » 

コメント2件

 匿名 | 2015.10.06 18:59

初めまして。面白かったです。私はこのような、日常を切り取ったようで、何かほのめかすような話が好きです。頑張ってください!

 高橋熱 | 2015.10.06 19:03

匿名さん、こんにちは。 コメントありがとうございます。 自分もそんな短編が好きで、書き続けております。 これからも宜しくお願いします。 励みになります(*´-`)
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