スカート

 女は気付いていた。並走気味に走っているトラックの運転手が、助手席に座っている自分の脚にちらちらと目を向けていることを。 男は無精ひげを生やし、白いタオルを頭巾替わりに頭に巻いていた。時々女の方を見ては、ハンカチに巻いた...

嘘つき

「そんなに遅くならないうちに、帰るようにするから」と、妻のマリは言った。夫の武史には、それが随分離れた場所から聞こえたような気がした。「折りたたみは持ったの? いつまた降り始めるか分からないから」 「うん、大丈夫」 ワイ...

Suicaのペンギン

「あの絵を見ると頭が痛くなるの」と、女は言った。 眩暈を覚え、立っていられなくなることもあった。頭にこびりついた映像をそぎ落とすまでに、一日布団から出られず、また夢にうなされ、その度に何度も汗びっしょりになって布団から跳...

渋滞

「ねえ、どうなってるのよ」 妻が苛立っているのは、ルームミラーを覗かなくても気配で分かった。幸いなことに二歳になる息子はチャイルドシートでぐっすり眠っていた。もし彼が起きていたら、きっとベルトが苦しいだの椅子から下ろせだ...

夜道

 気力、体力共に参っていた。このところ、睡眠時間もほとんどとれていなかった。残業が恒常化しているにも関わらず業績は一向に良くなる気配もなく、従って、給料が増えることもなかった。 自宅までの帰途、私は住宅地の中を亡霊のよう...

蜘蛛

 浴室の壁に、一匹の蜘蛛がいた。それは足も胴体も綿毛のように華奢な、赤くて小さな蜘蛛だった。 俺はシャワーの栓をひねり、蜘蛛にかけた。蜘蛛は水流に乗るように壁を伝い、床を伝い、そのままの姿勢で排水口に吸い込まれていった。...

潜る妻

潜る妻。

 妻が潜り始めたのは、一週間程前からでした。いや、それは私が初めて目にしたというだけで、本当はもっと以前から、妻は潜っていたのかも知れません。 その日、私は夜に予定されていた接待がキャンセルとなり、急遽帰宅することになっ...

ランドの夜

 園内に留まってから、三日目の夜を迎えていた。 家の状況がどうなっているのかなんて私には知りたくもなかった。携帯の電源はずっと切っていた。どうせ私なんていなくてもあの家は回っていく。旦那と息子。何不自由なく。 「トムソー...

ミステリーサークル

 会社は倒産寸前だった。もはや時間の問題だった。しかしまだそれを妻に話すわけにはいかなかった。上の子は来年から小学校に上がり、二人目がお腹にいるという状況の中で、四十目前の何の資格も取り柄もない男が次の職に切れ目なく就く...

どこか遠い場所

 少年は自棄になっていた。酒に酔ったのは単なるきっかけに過ぎなかった。職を探しても、今時中卒では採用してもらえるところなど皆無だった。家にいたところで、男女の醜い諍いを聞くだけだった。これまでの人生丸ごと寄ってたかって、...

氷下魚

氷下魚(こまい)

 名所の割には随分人が少ないな、というのが率直な印象だった。 私は産業用機械の商談のために、とある観光地に来ていた。十年程前にも一度来たことがあるが、当時はもっと大勢の人で賑わい活気があったと記憶していた。 土曜早朝の市...

樹海パトロール

 舗装された県道から一歩山の際に分け入ると、背丈ほどもある植物の群生と小枝の間隙に、ぽっかり穴のように開いている道が見える。「自殺志願者」によって繰り返し踏みしだかれ形成された樹海の奥深くに通じる道は、狂おしい真夏の喧騒...

二百円

 盛夏のある日、小学生だった僕は塾に向かうため私鉄の駅に向かって歩いていた。大半の小学生がそうであるように、僕の喉も四六時中渇いていた。自宅と塾の丁度中間地点、シャッターが開いているのを見たことがない薄汚れたその商店の自...

通夜ぶるまい

 取り立てて何の特徴もないことが、却ってその方の特徴を引き立たせるということもあるのだ、と私はその時初めて気付かされました。いや、「全てが平均値である」ということではありません。身長は一五〇センチと少しくらいしかありませ...

深夜のデッドヒート

 国道の追い越し車線を流していると、二つの強烈なハロゲンライトがみるみる大きくなって、ぴたりと背後に密着した。それは追突するかと思うくらいの猛烈なスピードだった。一日の仕事の疲れと、快適な車内の空調で少し居眠りしかけてい...

お前が死んだ時、父さんは

お前が死んだ時、父さんはある女とベッドで寝ていた。女といっても、お前の大好きだった母さんではない。お前が会ったこともない人だ。そして父さんも、ネットを通じて知り合ったその人と会ったのは、その日が初めてだった。最初に母さん...

浮気

浮気

「違和感、ていうのかな、その夜、あの人いつも以上に疲れた顔をしてたの。まだ起きてたんだ、なんてちょっと残念そうな感じでお弁当箱を私に手渡した時の表情は、目の下に隈ができてて、まるで視点が定まっていなかった 雨の中傘もささ...

視座

 そこが私の「指定席」だった。 先頭車両の二番目の扉。向かって右側の長椅子の端っこ。 始発駅であり、その席に座ることは容易だった。会社までの小一時間、私はそのほとんどを寝て過ごすか、読書をするか、あるいは向かいに座る男を...