愛の重さ

 「測る」ということ。それは谷田のライフワークだった。仕事で研究してきたこともあるが、今では自身の健康管理の為に計測することが愉しみとなっていた。

 最初に、血圧と体温。接待の多い谷田にとっては、ただでさえ生活リズムや食習慣が乱れ易かった。微熱が続いたり脈拍にばらつきがある時は、なるべく夜の付き合いは控え、睡眠時間も意識的に確保するようにした。
 また、睡眠計は日々の睡眠状態をチェックするツールだ。良く眠れているつもりでも、寝が浅い時は波形が乱れるので直ぐにデータで確認できた。質の悪い睡眠が続く時は、枕を変えたり室温を調節したりして改善に取り組んだ。
 有酸素運動は縄跳びを使用した。谷田の縄跳びは、跳躍回数はもちろん、消費カロリーの計測機能が付いている優れ物だった。跳躍で発汗した後はシャワーを浴び、ヘルスメーターで体重を量る。前日より500g以上増えた場合には、警告アラームが鳴るようセットしている。若い頃から酒や肉類が大好きだった谷田にとって、内臓脂肪チェック付き体脂肪計は至れり尽くせりの製品だった。
 そして毎日の総カロリー消費量と歩数を計る為に、活動量計をジャケットの胸ポケットに忍ばせて会社へ向かう。活動量計を持って歩くだけで、エレベーターより階段、車よりバス、また時間に余裕があれば、一駅手前で降りて歩くことを意識させた。測ることで目標が見える化され、健康管理への意識を持続させるのにはとても効果的だった。

「ねえ、あなた」
 パソコンで健康管理表をチェックしている谷田に妻が声を掛けた。
「成果はどうなの?」
「もちろん、少しずつ出ているよ。測るだけでスリムになる訳じゃないけれど、意識することが大切なんだ」
 いまだ画面に夢中の谷田に、妻は呆れたように質問を続けた。
「愛の重さを測る機械って、ないかしら」
「愛の重さ?」
 想定外の質問に、谷田はようやく妻の方に顔を向けた。「どういうこと?」
「簡単にできるのよ。ちょっと来てみて」
 妻は谷田が日々愛用している洗面所のヘルスメーターの前で、真剣な顔で言った。
「おんぶして乗ってみて」
「おんぶ」
「いいから
 いつもとは少し違う妻の気配を感じた谷田は、言われるまま妻を背負い、ヘルスメーターに両足を乗せた。
「119キロ」
「そこからあなたの体重を引き算してみて」
「そうすると、37キロ」
「ねえ、私、めちゃくちゃ痩せたと思わない?」
 確かに結婚当初は標準体型だった妻が、今では筋肉の筋や青い血管が浮いて見える程になっていた。
「愛のピークって、結婚式直前の体重の和なんだって。愛が薄くなればなる程、その基準から遠ざかっていくの。愛を維持するには二人の努力が必要ということ。だから、あなたが二十年前に比べて太った分、私が痩せたのよ。それでもまだ結婚当時には遠く及ばないけど」
 深い吐息が谷田のポロシャツを伝わり、肩甲骨付近に籠った。言われてみれば、いつしか妻のことを意識のどこかに追いやっていた。関心は常に仕事や自分の事ばかりだった。妻をないがしろにして、仕事付き合いを言い訳に、欲望の赴くまま暴飲暴食を繰り返した結果が、当時の体型からは見る影もない程肥えた無様な今の姿だった。妻が痩せ細っていったのにはそういう理由があったということか。
「そういうことだったんだね」
 谷田は大罪を犯した気分だった。
「信じる?」
 肩越しに妻は聞いた。
「うん」と谷田は答えた。
「嘘よ」
 そう言って、妻は静かに笑った。「少しは気にして欲しかっただけ。あなたの頭の中に、私なんていないから」
「そんなことないって」
 そう言いながら、谷田は鏡の前でほくそ笑む。頭の中にある次世代開発リストに「愛情測定器」と書き加えた。(了)

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