病い

 四十を過ぎてからというもの、私は極度に死を意識し、病いを恐れるようになった。周りの同級生や若者が癌や心臓発作で立て続けに亡くなるのを見るにつけ、自分もいつ逆の立場になってもおかしくないのだと思うといたたまれない気持ちになった。これまで歯牙にも欠けなかった些細な身体の違和感の一つ一つに、実は何か重い病いが潜んでいるのではないか、突然死に至る予兆なのではないかと、ひとたび疑念が湧くと気が気ではなく、これまで完璧な健康体と自負してきた自信はたちどころに崩れ、狼狽し、慌てふためき、ネットで病名を調べ、最悪の情報を見つけては気を落とすということを何度も繰り返していた。
 そもそものきっかけは、足の裏のいぼだった。いぼと呼んでしまえば身も蓋もないが、これが日増しに大きくなっていた。同時に、足の親指の爪が押されて爪下血腫もできていた。靴のサイズが小さいのだろうか。無論大病ではないが、不快な痛みや外見の気色悪さは、日常生活へのモチベーションを下げストレスになる。ストレスの蓄積は、取りも直さず万病の引き金だ。
 久しぶりのカラオケで歌い過ぎてから、顎の調子がすこぶる悪い。顎関節症による腫れか。同時に、痛みのあまり自殺者まで出るという群発頭痛にも悩んでいる。地べたをのたうつ程、目の奥が異常に痛くなることもしばしば。更に耳の奥で雑音が。血管性耳鳴。太陽の光を異常に眩しく感じることが多いのは、結膜炎、虹彩炎、あるいは最悪の場合、網膜色素変性症も。
 昨日は包丁で指先を切り、皮膚欠損と切創により出血が止まらなかった。若い頃は直ぐに止まった筈なのに。白血病の可能性も疑われる。
 朝の起きたては、胸やけと吐き気を伴う逆流性食道炎との格闘。慢性胃炎も放っておくと癌化する。夜も熟睡できず、頻繁にトイレに立つことも増えた。膀胱炎、あるいは前立腺肥大の症状かも知れない。
 大腿部や足に、痺れも感じることもたまにある。この年で糖尿病や脳卒中ではないと信じたいが侮れない。仕事は長時間のデスクワークなので、椎間板ヘルニアは充分ありうる。
 腹を下す頻度も増えた。過敏性腸症候群、潰瘍性大腸炎もあれば、クローン病、ひいては大腸がん、直腸がんの懸念。便秘と下痢が繰り返される度、私はいちいち平常化に向けた対処を考えることで、再び群発頭痛に悩まされる。
 通勤時も、特にこの夏場は体のあちこちからサインが出ている。異常な発汗は多汗症かバセドウ病。少し歩いただけで動悸や息切れ。体力が落ちただけなどと安穏としてはいられない。狭心症、心房細動、発作性上室性頻拍症、いずれも心臓に病変があるのかもしれない。神経症も視野に入れる必要がある。

 私をじわじわ蝕みつつある、こうした様々な異変と病いのことばかり考えていると、食事も喉を通らず、あれほど大好きだった酒が全く美味く感じない。既に心の病いを発症しているのかもしれない。自身が意識しなかっただけで、否、意識的に気付かぬふりをしてきただけで、実は既に肉体は老化し、幾多もの病いを罹患し、着実に弱ってきているという事実を私は思い知らされている。「四十にして惑わず」どころか、人生で今が一番悩んでいる。
 幸いと言っていいのか悪いのか、私には、私が死んでも悲しむ家族はいない。未だ独身である。この年で独身なんて言うと「人間性に欠陥がある」とか「人に言えない病気を抱えている」などと陰口を言われるのが常だが、ある面でそれは間違っていない。
 なぜなら、私はこの四〇年来、健康な男であれば当然患うはずの病いを、まだ経験していない。この病いだけは、死ぬまでに一度でいいから罹ってみたいと思う唯一の不思議な病いである。
 恋の病い。(了)

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