恩師たちの記憶 その②

高橋熱です。こんにちは。
学生時代に知り合った恩師のエピソードその②です。

僕が小説家を志す為にお世話になった恩師たち

②T先生(古典・高校)

高校の古典の先生で、T先生という女性教師がいました。
現在では、既に教壇を降りているようですが、この先生、①の美術のO先生とは真逆で、滅多に「生徒を褒めない先生」で有名でした。もっとも、高校生相手に褒めまくる先生も余りいないとは思いますが。

先生は、俳句が大好きな先生でした。時々、授業中でも、「5・7・5」に当てはめた即興の歌を自慢げに読み上げては、生徒に感想を聞いて回っていました。

それは、修学旅行の新幹線の中での出来事でした。僕の隣に座っていた友人は、僕と比較的嗜好の合う文学好きの友人でした。いつも、お互い最近読んだ本の感想を、やたら小難しい言葉を使って、批評家ばりに言い合って愉しんでいました。

静岡近辺を走行している辺りで、その友人の退屈も極みに達し、「この車窓の景色を句にしたため、批評をT先生にお願いし、どちらがいいものを書くか勝負しよう」ということになりました。

負けず嫌いの僕としては、当然彼の挑戦を受けない訳にはいきませんでした。
それに、あの鉄面皮のT先生をどちらがうならせることができるか、という企画も一興だと思いました。

もちろん、俳句を読んだことなど、人生で一度もありませんでしたが、「根拠のない自信」にモチベートされながら、メモ帳に思いつくまま書き連ねていきました。

三保の松原

新幹線は清水を通過していました。清水と言えば、「三保の松原」。
頭の中では、松林が海浜の風にそよぐ様子がイメージされ、僕はこんな句を詠みました。

「赤松の 反り生えたるや 富士の青」

残念ながら、友人の書いた句は忘却の彼方となってしまいましたが、お互いの自信作を持ちより、先生のシートまで出向いて批評を請うことにしました。

「先生、俳句を読んでみたのですが、ちょっと見ていただけますか?」

T先生は、一人で座席に座って本を読んでいましたが、僕らを見ると、静かに本を閉じました。僕らが「文学好き」であることは、2年ちょっとの付き合いの中で、T先生も良く知っていました。(だからといって、国語の点数が良かったかというと、全く真逆でしたが)

先生を慕う(ふりの上手な)生徒二人が、先生の大好きな俳句を、頼まれてもいないのに持参してきた訳ですから、嬉しくない筈はありません。とても丁寧な、物静かな口調で、先生は「俳句ですか。それはそれは」と、赤くて太い縁の眼鏡を掛け直しました。

ひとまず、第一関門は突破という感じでしょうか。
僕と友人はお互いの顔を見合わせました。

それから先生は、僕らの力作が書かれたメモを受け取ると、直ぐに教師の顔、俳人の顔になりました。しばらく、それぞれの俳句を見比べるように何度か眺めた後、やがて先生の顔付きは険しくなり、眉間に皺を寄せてぼそり、こう呟きました。

「二人共、つき過ぎです」

つき過ぎ。

それ以上、句に対する言及はなく(ひょっとすると言ってもらっていたのかもしれませんが、「つき過ぎ」という言葉の印象が木霊のように鳴り響いていて、その後の先生の言葉が、うまく頭の中に取り込めませんでした)、「まだまだ修行が足りません」という無言の目力に見送られ、同じく同様の指摘を受けた友人と共に、すごすご自分達の席に戻りました。
結局、どちらが上手いか、という評価を聞くまで至りませんでした。

撃沈。

T先生に褒めてもらうことは叶いませんでしたが、その時の印象が実に鮮やかで、自分が読んだ句を、未だに覚えているという訳です。

つき過ぎ。
後で調べてみると、「つき過ぎ」とは、季語と他の言葉の組み合わせが、誰もが思いつくありきたりなことを言うのだそう。
「富士の青」の部分が、そうなのか。
「赤松」と「反る」の組み合わせなのか。
あるいは、「赤」と「青」という対比も、あざと過ぎているかもしれない。

完璧だと思っていた「赤松や」の句ですが、T先生のその一言で、実に陳腐に思えました。改良の余地は、無限にあるように思いました。
そもそも、「赤松」という言葉自体の持つ印象が、ただ植物の種類を表す固有名詞ではなく、僕が思っているより、もっともっと深い広がりがあるような気がしてきて、一度そう思い始めると、その後に続く言葉が「反る」以外にも、多くの可能性があるということに気付きました。

俳句

「17文字」という短い言葉の選択と配置の中に、多くのイメージを喚起させる「俳句」の世界は、とても奥深いと思いました。
「詩」もそうですが、僕が目指したい小説は、端的な短い言葉の配置と組み合わせによって生じる「意外性」や「奥行き」のある小説です。

代替がいくらでもきくような言葉の羅列ではなく、一つ一つの言葉の持つイメージが上手く調和したり、相反したりしながら、それでいて一つの世界観を主張する、職人芸のような短編小説。

俳句の創作は、一語一語の言葉というものに真摯に向き合った、最初の原体験であったかもしれません。
このT先生とのエピソードも、忘れられない記憶です。

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