「活字に触れる」ということ。

もっと「活字に触れなさい」と人は言う。その入り口として、まずは新聞を読め、と。
僕に言わせれば、新聞は基本的に活字ではない。現実に起きた様々な「事象」に関する情報を、読者に正確に伝えることを主眼とした一メディアである。(最近、『正確に』伝えているのかどうかははなはだ怪しいけれど…)
もちろん、紙面の一部には「活字」と呼べるものもあるとは思うけど、基本はそういうことだ。

では「活字」とは何か。文言の通りに捉えるとすれば、それは「活きている文字」である。

魂を持って、活き活きと、言葉から「ことだま」が発せられていないといけない。それは作者の思いであったり、情念であったり、書いた人間そのものを感じることのできる文字であり語句であり文章である。

新聞には記事を書く記者がいる。しかし、記者が書く記事は新聞社の主義主張にかなうものであり、編集長の方針に則ったものである。
だから、「活字に触れなさい」と言った時に例として新聞を出すことは、僕にはどうもしっくりこない。「言葉に触れなさい」とか「時事ワードを覚えなさい」程度の話ならいいけれど。

「活字に触れなさい」と言った場合、やっぱりそれは「作者の言霊」そのものを表現している「小説」や「詩」などの創作されたものをさすべきかなと思う。

もちろん、中には「活字」ではなく、魂のない「渇字」もあるかもしれないけれど。

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