超短編小説

通夜ぶるまい

通夜ぶるまい

 取り立てて何の特徴もないことが、却ってその方の特徴を引き立たせるということもあるのだ、と私はその時初めて気付かされました。いや、「全てが平均値である」ということではありません。身長は一五〇センチと少しくらいしかありませんでしたし、やや足を引きずりながら歩かれていました。髪の毛は真っ白、揉み上げと襟足の毛は思い思いに丸まり、建設労働者のようにお顔と手の甲は真っ黒に日焼けされていました。
 お顔は「黒い」というだけで、髭の剃り残しが目立つわけでもなく、眼鏡を掛けてるとか、視線が鋭いとか、眉毛が太いとか、印象に残るほどの特徴は特に見当たりませんでした。いわゆるどこにでもいる顔、ある顔、とでも言うのでしょうか。なので、私以外の恐らく誰もその方について注意を払っていた人間などいないでしょうし、今となっては御身内の方を除くとほとんど記憶の片隅にも残らないような方です。
 では、なぜ私ばかりが、その方の存在に気が付いたかといいますと、余りにも葬儀に参加される頻度が多かったから、ということです。その頃、私は葬儀屋のアルバイトとして働き始めたばかりで、受付の誘導ばかりをやらされていました。まだまだ気が利かず、ベテラン社員の方に叱られてばかりでした。そんな状態でしたから、私のできる仕事は狭く、従って、お一人お一人、参列される方々のお顔を見ることばかりが仕事みたいな感じでしたので、人の記憶だけは良く残ったのです。

 「焼き場」のある市営斎場はそこだけでしたので、毎日のように葬儀の予約が入り、私もほとんどが市営斎場での受付誘導でした。一体いつの頃からあの方が通われるようになったのか分かりませんが、私が気付いてからは、疑念は確信に変わりました。
 あの方は常に一人でお越しになりました。それも通夜ばかりでした。告別式でお顔を拝見したことは一度もありませんでした。葬儀場の駐車場を横切るように、東の方から歩いてこられました。右足の膝があまり宜しくないのか、付け根の大腿から持ち上げるように足を引きずっているようでしたので、歩くスピードは速くはありません。
 礼服は黒いダブルのスーツでしたが、いつも全体的に張りがなく、汚れた感じでした。それはお通夜という暗いところでも分かりました。一度、トイレから出られるところを鉢合わせした時にグレーのハンカチを落とされたことがあるのですが、ハンカチはくしゃくしゃでした。くしゃくしゃのまま、ポケットに押し込むように仕舞われていました。見た目はそれほどの高齢ではないと思っておりましたので、その格好と顔の雰囲気にどこかアンバランスな印象を受けたのは事実です。
 私は受付に誘導するのが仕事ですから、あの方にも何度かお声掛けをして、記帳カードの記入方法や、参列者用の受付場所をご案内したのですが、目を合わせることもなく、「全て承知している」と言った感じに頷かれるだけでしたから、一度もそのお声を聞いたことはありませんでした。他者から「気にされる」ことを酷く疎ましく思っていた、あるいは怯えておられたのかもしれません。今思えば、それは当然のことですよね。何しろ、故人を全く知らないのに、通夜にだけ参列しているわけですから。

 ほぼ二日に一度、あのお方をお見受けするようになった時にはさすがの私もこれは、と思いました。いくら地元の名士や顔の広いお方であったとしても、それほど頻繁に通夜に呼ばれたり故人を偲ぶなどということがあるでしょうか。亡くなられた方は、会社経営者の方もいれば、一般のサラリーマンの方もいれば、地元農家の方など様々です。時々隣町からもご予約をいただきます。それほど多方面の方々に繋がりがあるというのは常識的に考えてもおかしいと。
 他の方の誘導をしながら、私はあの方が駐車場から歩いてこられると、気付かれないように背後に回って観察をしました。毎日着丈が合わない汚れた礼服を着て、通夜にだけ訪れるあの方のことが気になって仕方がありませんでした。
 確かに、記帳カードに記入はされているようでしたが香典袋を受付で差し出している姿を見たことはありませんでした。そそくさと葬儀場に足を運ばれ、次にお会いする場所は、「通夜ぶるまい」を行う別室で、黙々と巻き寿司やオードブルを口に運んでいるところでした。あの方がお座りになる席は知り合いの方が故人の生前のお話に花を咲かせているテーブルではなく、そこから少しだけ離れた場所に、いつもぽつんと一人でおいでになり、目の前の食べ物が程良くなくなると、すっと席を立って、誰に挨拶をされるでもなく会場を後にされるのでした。お酒に口をつけることはないようでした。飲みかけのオレンジジュースの残りが、いつもグラスに半分だけ残されていました。
「通夜ぶるまい」は常にあるものではありませんでした。親しい御身内だけでやられる場合もありました。そういう時は、返礼品だけをお受け取りになり、そのまま家路につかれました。どこか疲れた感じといいますか、ただでさえこじんまりした撫肩がより小さく見えました。

 そして私は気付きました。あの方の目的は「通夜ぶるまい」なのだと。香典も差し出さず、記帳だけをして、「通夜ぶるまい」のある時だけ、しっかり食べ尽くして素知らぬ顔で帰っていく。「香典泥棒」は聞いたことありますが、「通夜ぶるまい泥棒」は知りません。もちろん、私の所属する葬儀屋は事前の管理はしっかり行いますので、香典泥棒などは一〇〇%近い確率でできないようになっておりますが、さすがに無銭飲食のごとき「通夜ぶるまい泥棒」だけは。

 あの方もうまく考えておられるもので、規模の大きいお通夜は必ずと言っていいくらい顔をお出しになり、比較的小規模な、ほとんど御身内や近親の方中心に執り行われる葬儀には顔を見せませんでした。つまり、広く「一般」の方を受け付ける葬儀ばかりを狙い撃ちしているようでした。確かに「知人」ということであれば、故人様の交友関係全てを把握している親族の方などいないわけですから、そういう方が葬儀に参列していたとしても誰もおかしくは思いませんし、「通夜ぶるまい」をお召し上がりになられていたとしても、誰も咎めようがありません。「香典泥棒」よりはずっとちっぽけな悪さですが、それにしても、全くの赤の他人のお通夜に参列して、何のお悔やみの気持ちも弔いの気持ちもなく、ただお食事にだけ手を出して何食わぬ顔をして帰っていく、というのは何と卑しい心の持ち主なのでしょう。飽食の世の中にあって、他人の不幸につけ込んでまでお腹を満たしたいのでしょうか。「通夜ぶるまい」には、若干ご予算に応じた差こそあれ、それほど大層で贅沢なものなどご用意はされておりません。昔ならともかく今は不景気ですから、葬儀にかける費用は皆様どんどん削られております。「通夜ぶるまい」もされない方がかなり増えてまいりました。

 とはいえ、このようなお方の存在を私としてはどう扱えばよろしかったのでしょう。倫理観や道徳レベルでのご批判はあるにしても、ご迷惑がかかっているとすれば、葬儀をご依頼されたお客様なのでしょうが、一人、余計に食事を取られたとして、本来召し上がっていただくべき正式な参列者様のお腹が一人分だけ満たされない、という程度の話で実害はほとんどかかっておりません。参列者は毎回違うわけですから、このお方の存在など参列者が気付くということはなく、葬儀を業として携わっている私のようなものでさえ、薄々違和感を感じる程度で、相当注意深く観察していない限り知る由もありません。
 上司に相談すべきか否か。相談したところで、一体何が問題でどのように解決したらいいのか。いや、私もきっとそうだろうという一〇%に近い推測ではあっても、一〇〇%の確証を掴んだわけではなく、従って、万が一、本当に故人ごとに縁があって参列していたとすればそれは大問題であり、小さな町の葬儀ですから、まんざら考えられなくもないということになりますと、このまま私以外の誰かが気付くまで、知らない顔をしているのが一番と考えるようになりました。顔の見えない現代社会らしい、卑しき男による、卑しい話なのだと。つい先日までは。

 それは小さな葬儀でした。ご遺体を焼くために仕方なく付加されたような葬儀でした。参列者の誰も悲しんでいる方はおりませんでした。皆早く時間が過ぎ去るのを待ち望んでいるような感じでした。時に笑い声さえ聞こえてきました。思い出の涙で故人を偲ぶ通常の葬儀とは程遠い、それは寂しいものでした。
 祭壇には、あのお方の顔がありました。私が知っているお顔より少しだけ若い頃の、いくらかまだ髪に色が残っている頃のお写真でした。私も一度も見たことのない笑顔でこちらに向かって微笑んでいました。
 そういえばここ数カ月しばらく拝見してないな、と却って来られないことが気になっていた正にその時でした。まさかご本人様がお亡くなりになるなんて。そしてまた私のいる葬儀屋に依頼され、また私自身が、その葬儀のお手伝いをすることになるなんて、一体どういう因果なのでしょう。

 聞くところによれば、この数年はずっと一人暮らしだったそうでした。東北の方にご兄弟の親族が僅かばかりおられたようですが、早い時分に、奥様とお子様をご病気で亡くされ、五〇も過ぎたあたりからはずっとこの斎場から歩いて数分のところに居を構えて暮らしていたようでした。それでもバブルの頃は浄水器や何かのビジネスで一山当て、不動産投資をして一財を築かれたようですが、ご承知の通り一夜の夢のようにはじけてからはマイナスの生活を余儀なくされ、羽振りの良かった当時の面影は一つもない現在のご様子となられたそうです。

 御年、七一歳。ずっと若く見えておりましたが、意外に年は重ねておられたのです。お亡くなりの原因は、癌とのこと。足を引きずられていたのも、それが原因だったと。田舎のご兄弟、親族にも過去に大きな不義理をされたということで何も相談されず、治療代など払うことができないので病院に行かれることもなく、ひっそりご自宅で息を引き取られた。
それは孤独な死だったでしょうね。この灼熱の暑さの中、一週間、誰にも気付かれることなく。異臭がする、という住民の方の連絡で初めて分かったそうです。近所付き合いもほとんどされず、固定電話もひいていなかったようでした。若い頃、まだご健在だった頃のご家族の写真と、一部の親族の方の電話番号の書かれた手帳、押し入れにはかつての「宝の商品」だった浄水器の在庫の山、それにできることなら、市の火葬場で亡骸を始末してほしいという旨の書かれたメモだけが残されていたそうです。
 そんなお話を伺いましたら、「通夜ぶるまい」を荒らす卑しいお方、という印象が少し違った色彩を帯びて私の記憶を塗り替えていきました。きっと、ご家族が亡くなられてからはずっと孤独で、負債を背負った後も誰にも協力を仰げず、癌を患ってからも一人悩みを抱え込んだまま、ずっと苦しんでおられたのでしょう。

市の斎場は毎日のように葬儀が執り行われ、多くの参列者が訪れます。少なくとも目の前には累々たる「死」の姿があり、形があり、多くの方がその死を悼み、悲しみにくれる。そうした場に身を置くことによって、ご自身を重ね合わせ、死の恐怖孤独の恐怖を薄めておられたのでしょう。葬儀場は、私たちの日常生活の中で、一番身近に死を感じることのできる場所です。お焼香の香り、遺影の額縁、白や黄色の菊の献花。
 逆説的ですが、死の側に身を寄せれば寄せるほど、死を直視すればするほど、死から逃れていられる気がする。そう考えると、卑しい気持ちだけで他人の「通夜ぶるまい」を拝借していたのではなく、自らの慰めや癒しのために通夜に参列されていたのではないかとさえ思うのです。

 あの方自身の「通夜ぶるまい」は近親者の方だけでしたので、小部屋で慎ましく行われました。翌日の葬儀もありますので、時間もとても短く、本当に小腹を満たすだけという感じでした。お食事は私どもの手配した「幕の内弁当」でした。ご出席される方の数を合わせたつもりでしたが、何故かお一つ余ってしまいました。お帰りの際に喪主様にお持ち帰りになられるようお薦めしましたが、「そちらで処分しておいてください」とのことでした。
 そのまま捨てても良かったのですが、何故か私は捨てることができず、その日仕事が終わった後で、アパートに持って帰ることにしました。どちらにしても夕食を取らなければいけないと思ってましたので。
 お馴染みなはずのお弁当でしたか、その時は内容が少し違って見えました。何が違うのかと聞かれたらはっきりとこれが違うと言い切れる確証はありませんでしたが、いつもより若干具材が充実してるように見えたのです。
 私は神聖な気持ちになりました。いつも他人の葬儀の「通夜ぶるまい」を黙々と召し上がっているあの方のお顔がそれははっきりと思い出されました。そのお顔は今よりももう少しだけ若い、正に今日見たあの遺影のお顔そのものでした。

 カーテンを開け、窓ガラスを開けました。南の夜空には、僅かに瞬く星がまばらに散っていました。これならきっと明日のお式も、雨に打たれることなく、滞りなく行われることでしょう。少ない御身内とは言え、無事に天国へ旅立たれることでしょう。名も知らぬ多くの故人に手を合わせたように、私も今、お顔しか拝見したことのない、お話もしたことのないあの方のために、ささやかですが、合掌。そして、缶ビールで献杯。
 私は「幕の内弁当」を、まるで何日も食べ物を口にしていなかった孤児のように、貪るように食べました。(了)


2014-05-05 | 超短編小説No Comments » 
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