ポケットノベル

歩行障害における夫婦間共時性に関する考察

歩行障害における夫婦間共時性に関する考察
『歩行障害における夫婦間共時性に関する考察

 それは、会社近くのスクランブル交差点で起きた突然の出来事でした。何の前触れもなしに脚が動かなくなってしまったのです。もう幾度となく行き来している通勤経路ですし、少なくとも自宅から電車に乗り、その交差点までは問題なく歩いてきた筈でした。
 ところが信号が切り替わっても、始めの一歩を踏み出すことが出来ません。歩く為にはどこの筋肉をどのように動かせば良いのか、そもそも「歩け」という脳の命令に従わない脚というものが不思議でした。視覚や聴覚、両腕はしっかり機能していました。腿の付け根の辺りからパンプスを履いた脚の指先までが、まるで他人の倉庫から借りてきた張りぼてのようでした。
 混雑する時間帯に、交差点の先端で立ち往生している女など、さぞ邪魔だったに違いありません。信号が替わる度に、私は多くの人波に追い越され、押し寄せる人波に飲まれました。そして幾度となく身体をぶつけられましたが、両脚は大地に根を張る大木のようによろめく事すらありませんでした。
 ひとまず職場に欠勤する旨の連絡を入れました。怖くて仕事の事を考える余裕がありませんでした。このまま二度と歩けなくなってしまうのではないかと思いました。
 それから夫に電話をして事情を説明すると、同じような経験があると車で迎えに来てくれました。夫は心を患い休職中でしたが、いざという時には頼りになりました。
 夫は立ち往生している私を背負い、車の後席に乗せました。不思議な事にあれほど頑なに動かなかった両脚が、自宅に戻るまでには難なく動かせるようになっていました。私は我が子を慈しむように、快復した腿を摩り続けました。
 イップスだよ、と夫は言いました。夫も嘗てイップスに襲われ、脚の動きがぎこちなくなり、信号が変わるまでに歩き切れない事がしばしばあったそうです。イップスはスポーツ選手特有の病気と思っていましたが、健常者の日常生活でも発症するらしいと私を慰めてくれました。夫は私より遥かに物知りでした。私はそんな夫を尊敬していました。
 しかし翌日も、またその翌日も、その交差点で立ち止まると、何故か脚と意思が切り離され、脚だけが固まるのです。その度に私はパニックになり夫に助けを求めました。
 けれども、さすがに三日連続の欠勤は、上司にも同僚にも大迷惑です。そこで私は考えました。交差点で立ち止まるのがいけないのではないか、青信号とのタイミングを図って立ち止らないようにすれば良いのではないかと。
 その発想は正解でした。四日目、私は難なく鬼門の交差点を渡り切りました。止まらなければイップスは発症しないのだと。                                                                                                                                                                                                             
 しかし喜びも束の間、今度は歩行そのものを止める事ができず、会社を通り過ぎてしまいました。歩く速さも徐々に上がってきているのが、息の切れ具合で分かりました。
 やがて、隣駅にかかる交差点が見えてきました。信号は青から赤へと替わったところでした。その頃にはほぼ全力疾走になっていました。激しく車の行き交う交差点が目の前に迫っていました。私はさすがに死を覚悟しました。
 それは岸壁に叩きつけられた座礁船のような、経験したことのない激しい衝撃でした。車ではなく、車道に出る直前で両脚が硬直したからでした。どうやら神様は私を救ってくれました。この時ばかりはイップスに感謝しました。
 交差点の反対側に、夫が見えました。緊急コールを受けて先回りをして待っていてくれたようです。私は手を振りましたが、夫は白い顔をして私に電話を寄越しました。
 参ったよ、と。
 それから三十分が経過しました。私達夫婦の背後にいる多くの人々が交差点を挟んで向き合ったまま、何故か誰一人信号を渡ろうとする者はいませんでした。(了)


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