超短編小説

奇痒譚

kayumi

『奇痒譚』

 むず虫。
 その奇妙な痒みを感じるようになりましてから、いつしか私はそうした名で呼ぶようになっておりました。
 みみずやダニが這いずり回っているとも、ピンや針でなぞられているとも微妙に違う、またおたまじゃくしの卵とか、蜜に群がる赤蟻の大群とか、半分に割った石榴や山桃の外皮を目にした時に感じる視覚的な痒みでもない、そうした有機物や無機物、大きさ、密度、動きとは無関係な、痒みの本質そのものでした。
 「虫」という言葉を使っておりますが、厳密に言うと虫とは関係なく、これは喩えでして、「虫唾が走る」の「むしづ」という音の響きとその語源が、この痒みのイメージに近いということで、そのような造語を拵えたのではないかと記憶しております。
 ひとたびむず虫に襲われ始めますと、じっとしていられず、気分ばかりが高揚し、理由もなく苛々し、酷い時には、痒みを発している部分だけではなく、頭の先から足の指の先まで、素っ裸になって剣山で掻き毟りたくなるほどの苦痛を味わうことになります。
 むず虫が魔可不思議なのは、掻いても掻いても、一向にその実体を掴めないことです。蚊に刺されたりアレルギーによる湿疹であれば解決の道もあるのでしょうが、所在と因果の見当も付かない、痒みという観念と申しますか、痒みを発していると思われる近辺の皮膚をいくら掻き毟ろうとも、痒み止めの内服薬を飲もうとも、自己の努力で症状をなくしたり、改善する余地のない痒みなのです。
 痒みは常時ある訳ではありません。程度も、その時々によってまちまちです。ただ、出現するタイミングについては、この年になってようやく掴めてきたような気がします。来そうだな、という気配のようなものを感じるのです。金縛りや手足がつる直前に経験する、あの一瞬の胸騒ぎ、予感の波のような。
 もし、これが四六時中痒みを発しているものでしたら、実は話は早いのかもしれません。きっとその掻痒の苦悶に耐えきれず、気が触れるか、気絶するか、自死する以外にこの地獄から逃れる術はありません。
 ところが、痒みは常ではなく、時々激しく襲われる痒みであり、自死を決意するにはいささか頻度が少な過ぎ、そして気絶したり気が触れる直前で、嘘のように痒みが消滅するのです。これほど嫌らしい、憎らしい苦しみが他にあるでしょうか。
 むず虫の洗礼は、既に幼少の頃から感じていたように思います。いつから、というのは記憶にございませんが、物心ついた頃には、既に体を引っ掻き、よく母親から叱られておりました。服の上からも容赦なく、あるいはシャツの裾から手を入れたりスカートを捲りあげてまで掻くものですから。
 当時は、何かのアレルギーとばかり思っておりましたので、食事には気を配っておりましたし、医者から処方されたお薬を黙って塗っておりましたし、そうしていれば自ずと治るものだと信じておりましたが症状は一向に良くなりませんでした。
 それでも皮膚を掻いてさえおりますと、いやそのようなポーズをとっておりますと、ささやかではありますが気も紛れますし、皮膚の皮が破れて血が滲んで参りましたり、逆に乾燥してかさかさになったりしますと、それまでの痒みは嘘のようにひいて参りました。
 その後、大学受験に失敗し、浪人後も第一志望校に受からなかった頃を境に、むず虫の気配を感じることはほとんどなくなっておりました。それ以降、私は痒みというものを、虫刺され以外に感じることはなくなっておりました。血液型もAB型ですから、蚊に刺されることさえありませんでした。
 しかし最近、具体的には結婚し、親元から独立をして都心で暮らし始めるようになりましてから、再びあのむず虫との再会に悩まされるようになりました。あの訳の分からない痒みを、十年振りくらいに感じるようになっておりました。よく環境が変わると体質が変わると申しますが、私も当初はそのように思っておりました。
 私は三十半ばを過ぎても男性とは全く縁がございませんでしたが(私自身の臆病で慎重で消極的な性格ゆえ)、生涯の伴侶を持つことは半ば諦めておりましたところへ、会社の上司から見合い話を頂戴し、今の夫と出会い、信じられない程順調に事は進み、結婚することと相成りました。
 それまで、日陰ばかりを歩んで参りました私の人生が、突然明るくなりました。それを機に、立て続けに素敵なことばかりが起こるようになりました。
 細かいことを申し上げれば、とある懸賞で一泊二日の温泉宿の宿泊券が当たったり、主人が間もなく二階級昇進したり、ビーズアクセサリーなんて、細かい作業が好きな私にぴったりの趣味を見つけられたりと、そうした幸運な出来事が沢山私に訪れるようになったのです。
 もちろん、これまでも良い事はありましたが、それ以上に嫌な事、辛い事も数え切れないくらいありましたから、良い事の印象など打ち消されてしまっていたのでしょう。嫌な事が本当に少なくなって、良い事ばかりに囲まれて日々を送ることができるようになりました。
 私の性格も、私自身でもはっきりと分かる程、明るくなったと感じております。主人と結婚したばかりの頃が、私にとっては人生で最高の時でした。ただただ、あの恨めしいむず虫にさえ悩まされなければ。
 むず虫の襲来は、私が幸福を感じれば感じる程、比例して増えるという感じでした。私は病院をいくつも巡り、様々なお医者様に診ていただきました。皮膚のお薬、内臓のお薬、そして心のお薬まで、痒みを発する可能性のありそうな病の薬は一通りいただきましたが、有名な大学病院でさえもうなす術なし、と最後には匙を投げてしまいました。
 むず虫さえいなければ、私は心の底から幸福を味わうことができるはずなのにと、心底恨みました。以来、むず虫のせいで、これは間違いなくそう申し上げられますが、私の人生は一変いたしました。
 最初の不幸。まずは仕事を失いました。日中、机に向かっておりましても、むず虫の痒みに襲われました。小さい頃と比べて、大人になってから、むず虫が暴れ始めるきっかけは、いつも決まっておりました。執拗にそこばかり責められて、やがて一定の時間が経過すると、まるでクローンを作るかのようにコピーされた痒みの源泉が瞬く間に全身を取り巻き、それこそパソコンのキーボードに向かって仕事に集中することなどとても適わない状態となりました。その場で全ての衣類を剥ぎ取って、オフィスの床に全身を擦りつけたい程でした。
 私は我慢できずトイレに駆け込み、個室の中で、一人狂ったように下着の上から引っ掻いたりつねったり握り締めたり、とにかく波が去るのを待ちました。
 波はいつか去る、それだけは分かっておりました。痒みを認識する脳の機能を、頭蓋骨をかち割って、そこだけ引っこ抜いてしまいたい気分でした。全ての知覚を感じる神経を潰してしまいたい。そしていよいよ壁に頭を打ちつけようとする正にその瞬間、ぴたりと痒みは止むのでした。余韻や記憶さえ残さずに。
 何度も席を外す私を見て、初めのうちは体調がすぐれないのかと気に掛けていただいた上司も、頻度が多くなれば不審に思われます。むず虫の話などしても分かって頂けないだろうと曖昧な応答をしている私もまずかったのでしょう、いよいよ上司も堪りかね、私を別室に呼び出し、激しく叱責しました。
 結婚相手を見つけてくださった方に、このような不快な思いをさせてしまうのは、全く本望ではありませんでしたが、痒いものは痒いのですから私もどうすることもできません。ただ、時々の痒みに耐え、ただ、気休めに体を掻き毟るだけでした。
 それから間もなく、むず虫とは関係なく、いいえ、関係ないと思いたいだけなのかもしれませんが、親会社が取引先と合併し、私のような何の資格も技術もない人間は、しかも業務時間の半分近くもトイレに籠っているような人間は、新会社には不要となりました。実にあっけなく職を失いました。まるで社会から「お前なぞ働く資格はない」と烙印を押された気分でした。しかしそれは真実でした。人の半分も働いておりませんでした。身体を掻くために、会社に行っているようでした。家に一人でいる方が頻度も痒みの強さも少ない気がしました。
 そしてその頃を境に、夫とも上手くいかなくなりました。
 夫といる時は、二人で寝室にいる時が、特に酷かったように思います。夫婦ですから、当然のように夜の営みがございます。年齢的に、どうしても早く子供が欲しかったものですから。それは夫も同じでした。私達は、普通の夫婦が当たり前にすることをいたしました。私は夫を愛し、夫は私を愛しました。
 そもそも、それが間違っておりました。結婚できたことで既に充分幸福でしたのに、更に子供が欲しいだなんて。私が今以上に幸せを求めたことがいけませんでした。
 予感。例のあの予感が、夫の愛撫が唇から首筋に移動していくにつれて感じられました。来ないで、お願い、今だけは、と私は心の中で本気でお祈りいたしました。
 しかし私の祈りなど歯牙にもかけず、あの意地悪なむず虫は当たり前のように、裸で抱き合う私達の間に土足で踏み込んで参りました。それこそ、私の身体に描かれた夫の愛撫の痕跡を、痒みの観念でなぞり消すように。これ以上の残酷な仕打ちがあるでしょうか。
 私は堪えきれず、一方の手で夫の髪に手を入れながら、もう一方の手で気付かれぬように空中を掻きました。当然、空中を掻いたところで痒みは治まるはずもなく、私は直接乳房の下に指を入れて、擦るように掻きました。
 一度掻き始めると、もう自らの意志で手を止めるのは不可能でした。そこにあるはずの痒みの元を捕えようといたしましたが、それは全くの徒労でした。
 私の手の動きが激しくなるにつれて夫の動作も緩慢になり、やがて私の体から離れてしまいました。
「また痒いのか」と夫はうんざりしながら言いました。
「ごめんなさい」と私は泣いて謝りました。涙が自然に零れて参りました。謝っている最中も、むず虫は容赦なく乳房におりましたから、掻くことを止める訳にはいきませんでした。実は次にどこを攻め込まれるのか分かっておりました。内腿の付け根から股にかけて、サインが出始めておりました。
「分かってるつもりなんだけどな」
 夫はさも自分が悪いように言いましたが、夫には何の責任もございません。夫が謝ることなど何一つありません。人の愛を受け入れている最中に水を差すような、私の詰まらない発作によって行為が白けてしまうことが、私には悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。
 やがて、夫婦生活はなくなりました。夫が私を拒否するのは当たり前と思って、私はそれを受け入れました。一生懸命愛しても、愛せば愛す程、その先にはむず虫が待ち受けていて、私がそれどころではなくなってしまう訳ですから。仕舞いには夫を足蹴にして、乳房と下半身ばかりを掻き毟り、ベッドの上で大暴れすることになるのですから。いくら夫でも、理解していると言っても、これ以上の辱めはありません。
 ベッド以外でも、私と夫は疎遠になっていきました。私が食事中もぽりぽり胸をひっ掻いている様子を見て見ぬふりしながら、夫はテレビを見続けました。大丈夫か、との気遣いの声掛けもなくなりました。常に大丈夫ではありませんでしたので。夫にうんざりされ、愛想を尽かされておりました。一緒にいる時、いつも乳房を掻いている妻となんて、誰も食事なんてしたくないでしょうし、抱きたくもないでしょうから。
 私と結婚したことを、きっと後悔していることでしょう。まさかこのような奇病を抱え込んだ女だとは想像もしなかったでしょう。もちろん私も過去にそのようなことがあったことなど、わざわざお伝えしませんでしたし。結婚するまでは、もうそのような痒みは忘れておりました程ですから。
 酷い身体でした。色素沈着が起きる程、痣だらけになる程、掻き潰しておりました。入浴時に裸になって、浴室の鏡に映し出される自分の胸を見るのが本当に恐怖でした。悲劇を通り越して喜劇でした。こんなに酷い、醜い乳房など、誰にも見せたくはありませんでした。
 もう夫とは一年以上、触れ合っておりません。手を繋ぐことも、口付けすることも。加えて、口を聞くことも必要最低限のことだけとなりました。まだ結婚して一年目なのに、まるで何十年も一緒にいる冷めた夫婦のようでした。
 痒み自体、今は消滅しておりますので夫を求めたいのですが、むず虫がフラッシュバックのように思い出され、もしまたそうなったらどうしよう、そればかりが頭を過り、中々行動に移すことはできません。しかし、そのお蔭で、と言いますか、皮肉なことに、求めないからこそ、今はむず虫に襲われることはありません。

 今宵は、手に収めることができそうなくらい月を近くに感じる静かな夜。部屋の窓から夜空を眺めておりますと、とても粋で、心穏やかな気持ちになります。嫌なことなど、皆忘れてしまいます。
 でも、そろそろ私は窓を閉め、心も閉ざさなくてはなりません。これ以上、幸せな気持ちで満ち溢れてしまうと、また例の虫が顔を出し、一人声を押し殺して、どうすることもできない痒みと格闘しなくてはならなくなりますから。
 そして、今、気配を感じております。これは正に本格的な気配です。もう気配ではなく、むず虫が顔を覗かせ始めているようで、実は掻きたくて掻きたくてむずしております。手が伸びそうになるのを、必死に堪えております。月夜を見ながら痒みに悶える女など、絵にもなりませんが。
 寝息も立てずに安穏と眠っている寝室の夫。私と一緒になったばっかりに、結婚一年目で夫婦生活を失ったばかりか、子孫を残すことまで諦めなくてはならないなんて。私ばかりが不幸だと思っておりましたが、最大の不幸者は、実は夫なのかもしれません。
 大きな手の甲に、太い血管。私は夫に気付かれぬよう、彼の手を両手で静かに抱えるように胸に当てます。指の骨、手の平の肉、そして温もりが薄いパジャマを通り抜けて直接私に届くように。忘れかけていた安心。それと引き換えに、ぼんやり感じる、むず虫の気配。
 どうせ引っ掻き回すなら、そう、この大きくて温かくて骨っぽい夫の手で、下着の上からではなく直接触れられたい。滅茶苦茶にされたい。
 でも既にその時にはもう、私はおかしくなっているかもしれません。(了)


2015-04-22 | 超短編小説No Comments » 
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