『幸福な男』

 俺は今、こうして煙草をふかしている。むき出しの手の甲が、乾燥した真冬の風に晒され痺れるように痛む。国道沿いに先月オープンしたばかりの「ベビーマアム」の駐車場。某テーマパークのアトラクションのような店舗に行き来する人々をぼんやり眺めながら、俺は肩身を狭めて携帯用灰皿に灰を落とす。

 アップリカの最新型ベビーカーを押しながら全身ブランド品で身を固めているハイソなご婦人。風船のように膨らんだ妻の腹をいたわる年若き夫。孫へのプレゼントを捜しに来たという感じの品のいい老夫婦。ここでの買い物が娯楽であるかのように、皆押しなべて幸せそうである。それに比べ、俺の仏頂面はどうだ。鏡などなくても、今の自分がどれだけ酷い顔をしているか容易に想像がつく。
 店のオープン以来、週末は必ずここにいる。安くて品数豊富な大型ベビー用品店の進出は、ドラッグストアと衣料品店を買い回っていた佳苗にとっては願ってもないことだった。車の免許を持っていない佳苗にとって、俺を頼らざるを得ないのは仕方がないとはいえ、土日の休日のうちいずれか一日はここでの買い物で潰れてしまうのは存外痛かった。
 コウが産まれてからというもの、熟睡出来たためしがない。コウは昼も夜もお構いなしに泣く。標準より小さな体に似合わず、泣き声だけは人一倍大きい。夜中も一時間おきに泣いては、母乳を求めたり下半身の不快を訴えた。俺も佳苗もコウの泣き声に常時怯えながら、入れ替わり立ち替わりコウの不快を取り除くことだけに全精力を費やした。

 長く伸びた灰が、携帯用灰皿をかすめて足元に落ちる。死んだ蚕のような灰を見つめていると今の自分の姿にどことなく重なり合う。潤いがない。芯がない。加えて覇気も英気もない。今の時期、仕事は大して忙しくない筈なのに、帰宅時には身も心もくたくたになっている。
 とはいえ、結婚して子宝にも恵まれ、週末に親子揃って買い物出来るのだから十分幸せじゃないか、と言う人もいるかもしれない。口うるさくて神経質だが、そこそこ器量のよい頑張り屋の女房。五体満足、出産予定日通りに生まれてきた我が息子。 燃費のいい軽の新古車をただ同然で知り合いから譲り受けてもらえたし、給料は少ないながら毎月決まって銀行口座に振り込まれている。

 幸福。俺は一般的に見れば十分幸福なのかもしれない。結婚したくても相手に恵まれない人、子供が欲しくても中々授かれない人、仕事に就きたくてもつけない人、車を持ちたくても持てない人。そうした境遇の人は世の中にごまんといる。
 しかし、俺は自分の今の生活を「幸福だ」と感じたことは一度だってない。心の底から実感することがどうしても出来ない。少なくとも、若かりし頃イメージしていた三十代の未来の姿は、いつ整理されるか分からない外郭団体で、稼ぎの少なさに妻に目くじらを立てられ、面倒見のいいイクメンのふりをしながら、毎週のように「ベビーマアム」の休憩室で赤ん坊のおしめを替えている、などという生活ではなかった筈だ。
 エリック・クラプトンのように、ギタリストとして華やかなスポットライトを浴びること。あるいは新進気鋭のベンチャー社長として株式上場を果たすこと。二十代なのに年収一千万超え、妻はテレビ局の看板アナウンサー、自宅は都心が一望できる億ション、車はベンツかマセラティ、海外の高級ブランドで身を固め、週末は三つ星レストランでジューシーなステーキに舌鼓を打っている、というような。
 しかし、現実はどうだ。ギターはござと並べて物置に仕舞い込んだまま。パソコンのOSはサポート切れ。年収税込み三百万。妻は友達のナンパのおこぼれ。車は十年落ちのダイハツミラ。自分の服も子供の服もベトナム産のセール品。そしてたまに「飲み会だ」と嘘をつき、駅前のラーメン屋で、無料のメンマをつまみに生中をぐびりとやることが、ささやかな贅沢になるような。
 息すら漏れぬ絶望的な溜め息の中で、 ジーパンに捻じ込んだスマホがぶるぶる暴れ出す。

送信者: 佳苗
件名: Re:
本文: ねえ、いつまで煙草吸ってるの? コウのおむつ替えて欲しいんだけど

 お馴染みの送信者に、お決まりのメッセージ。幸福の検証は一旦保留。やれやれ。
俺はフィルターぎりぎりまで煙草を吸い尽くしてから、逃げ出したい気持ちをぐっと堪え覚悟を決める。(→続きはAmazon(Kindle版)で)