肝焼き

 これで4度目の手術だった。手術の度に、大柄な母の体は細く小さくなっていった。これが最後の手術となるのは明らかだった。日増しに会話が少なくなる父と母の様子から、当時中学生だった僕は、いよいよ「覚悟」しなければならない時が近づいていることを理解した。
 兄弟のいない僕にとって、三人しかいない家族の一人である母との別れは寂しいことだったが、手術の度に苦しむ母の姿を見なければならないこともまた辛かった。それは父も同じだっただろう。少なくとも家にいる間は、母には笑顔でいてもらいたかった。
「美味い鰻でも食いに行こう」
 手術を控え入院するという正にその日、父は大学病院の側にある、近郊では少し名の知れた鰻屋に立ち寄った。「そんな贅沢な」と母は遠慮したが、あの温厚な父が頑として聞かず、半ば一方的に車を駐車場に入れた。鰻は母の好物だった。僕は鰻の皮の、あのちょっと生臭くてぶよぶよした感じがどうも受け付けなかった。
「それは質の悪い鰻だからだよ。いい鰻は皮など感じないもんだ」と父は言った。「本当の鰻を、母さんとお前には味わってほしいんだ」
 かくいう父も、それほど店で鰻など食べたことがないはずだった。以前、接待や何かの折に神楽坂にある鰻屋に連れて行かれたらしく、「うなぎの骨」をお土産に持って帰りながら、深夜酷く興奮してその時の「奇跡の味」について熱く語られた記憶がある。う巻き卵、肝焼き、「うざく」という名の酢の物、そして「鰻茶漬け」。専門店でしか食べられないコースの一品一品について自慢げに話す父親の嬉しそうな顔は、今でも僕の脳裏に焼き付いている。
 いつかお前たちも連れて行ってやる、そう宣言して、父は更にビールを数本飲み、一人幸福な眠りについた。それから数年が経過した今日の今日まで、父のその約束が果たされることはなかった。
 母は浮かない顔をしていた。父に勧められるまで、メニューを開こうとはしなかった。
「何でも好きなのを頼んでいい。入院したら、味気ない物ばかり食わせられるんだから」
 観念した母は、仕方なく「じゃあ、竹」と他のページは見ずに言った。
  「お前は?」と僕に聞くので「同じでいいよ」と答えた。正直、何でも良かった。今日は母に満足してもらえればそれで良かったから。
 父は側を通りかかった店員に「松を三つ」と注文した。母はすかさず「ねえ、あなた」と父の言葉を制止したが「気にするな。食べきれなかったら博之が食うから」と受け付けなかった。
「それから、肝焼きを塩で」と父は付け足した。「しっかり精をつけなくちゃ」

 店内は混雑していた。高級な鰻屋だけに、お客は年配者が多かった。中学生の分際で偉そうに座敷でお茶を飲んでいる自分が、何かとても場違いなように思えた。料理が運ばれてくる間、父は時間がかかる鰻屋こそ正統だ、とか、肝焼きは新鮮なものじゃないと塩で食べられない、とか、関東の鰻はしっかり蒸すので小骨など溶けてしまう、などさっき仕入れてきたような蘊蓄をしゃべり続けた。
 母はお茶を両手で抱えながら、黙って聞いていた。普段寡黙な父が、これほど饒舌に語るのは僕には初めてかもしれなかった。もちろん、母は僕が生まれる前から、もう二十年以上父と一緒に居る訳で、別に珍しいことではないのかもしれないけれど、ここのところ、僕の教育費のことや手術費用のことなどで、時々言い争いになったり、ぐっと口を噤んでしまうことの方が多かった。
 母は参ってるはずだった。働き者で近所付き合いの好きな母にとって、病院の世界に慣れる、ということはなかっただろう。体にこれ以上メスを入れることも屈辱以外何物でもない。しかし母は一度も僕の前で弱音を吐くことはなかった。まだ十五歳の僕を見捨てるわけにはいかないという気持ちが、ありありと伝わってきた。父のあまりの饒舌ぶりに、今では微笑まで浮かべている。これから手術だというのに。僕は母の強さを尊敬の念で眺めた。
 父は頑固で奔放な人だった。加えて、アルコールが入ると別人のように人が変わることがあった。若い頃は母に向かって灰皿を投げつけることもあったようだ。そんな男のどこが好きなのか、と母に聞いたことがあるが、母は「何なんだろうねえ」と言ってうまくはぐらかしながら最後に「でもやっぱり優しいところかな」とはにかんだ。酔っ払って灰皿を投げる男のどこが優しいのか、僕には良く分からなかったが。
 優しい父を感じたとすれば、時々週末に台所に立って、母と僕に料理を振る舞うことくらいだった。父は料理が好きだった。母とは違って包丁の使い方は不器用だったが、何を作っても、母は「お父さんの作るものは何でも美味しい」と言って残さず食べた。
 これは母が癌になった後で聞いたことだが、結婚して僕が生まれてから直ぐ、父は「焼き鳥屋」を開業して半年も持たずに潰してしまった過去があるということだった。その時の借金を、今のこの生活になってもなお返し続けていると。店をオープンするために、母が若い頃から貯めていた結婚資金のほとんどを継ぎこんだ。そして、お店を精算する時の面倒な手続きや借金の整理の矢面に立ったのは母だった。「あいつには食べることで苦労ばかりかけてきた」と口癖のように父は言った。「あの頃はもう一人生んで育てる余裕なんてなかった。あいつは何も悪くない。みんな俺のせいだよ」
 間もなく、御膳が三つ、二人の店員の手で運ばれてきた。若い女の子の店員が「すいません、肝焼きが本日終了をしてしまいまして」と恐縮しながら、父に言った。
「あ、そう」と父は目を丸く開き、さも残念そうに答えた。「それを食べに来たのに」と独り言のように呟いた父を見て、彼女は更に申し訳なさそうに「本当にすいません」と深く頭を下げた。「それなら、もっと早く伝えにくるべきだったよね」
「あなた、止めてよ。仕方ないじゃない」と母は優しい顔で言った。その一言で、父の怒りの影はふっと消えた。せっかくの母との楽しい時間を台無しにしてはいけないと我に返ったのか、父はそれ以上文句を言わず、「じゃあ、お茶を頼むね」とだけ伝えた。
「いただきましょう」と母は頬を崩して重箱の蓋を開けた。僕も母の動きに合わせた。焼けたたれの香ばしい香りが湯気とともに立ち上ってきた。父はどうしてもその「肝焼き」を母に食べさせてあげたかったようで、この世の終わりのように肩を落としていたが、最後はその香りには勝てなかった。
 母は、そっと端の方から鰻とご飯を救い取り口に含むや、直ぐに「美味しい」と感想を言った。「スーパーの鰻とは全然違う、本当に」
 父も黙々と割り箸にご飯を載せながら、満足そうに食べる母の顔をずっと見つめていた。僕も恐る恐る一口食べた。口の中一杯に、脂のたっぷりのったふわふわの鰻の味が広がった。まるで、極上のバターを舐めているかのような風味だった。皮ごと食べたはずなのに、皮の触感はどこにも感じられなかった。母の言う通り、店で食べる鰻はまるでスーパーとは違った。それは全く別の食べ物を食べているようだった。
 母はとてもゆっくりと、惜しむように鰻を細切れにして、少ないご飯と一緒に食べた。父はあっという間に平らげて、もう仕上げのお茶をすすっていた。
「慌てないで、ゆっくり食べてていいからな」と父は言った。
「本当、美味しい。私、幸せ」と母は言った。
 俯いて食べているのは、目が潤んでいるせいだというのが、父にも僕にも分かった。

 幸せ。まだ四十半ばなのにここまで病いと闘わなくてはいけない母を、僕はとても幸福とは思えなかった。少なくても僕が成人式を迎えるまでは、と父と母の間で目標を掲げる中で、学生としての僕は何の成果も結果も出すことができないまま、人の養分を吸って生き長らえる「寄生虫」のような気分だった。きっと、母を苦しめているのも寿命を縮めているのも、僕に起因するところが相当大きい気がした。母が病に伏したことで、父はもちろん、僕も母のありがたみというのを痛いほど知った。そして、ここまで苦しんでいる母を目の当たりにしながら、未だ痛みの一つも和らげてあげることができない自分の無力さが、とても情けなく思った。

「今度退院した時には、絶対に肝焼きを食べような」
 父はレジカウンターで言った。「気持ちだけで十分」といった感じに、母はただ静かに笑って頭を下げた。レジで母ではなく父が財布を広げている様子は何ともぎこちなく、おかしかった。
母の手元からハンカチが落ちた。僕はすかさず拾って軽く払い、母に手渡した。ハンカチは少し湿っていた。ありがとう、と言って、母はハンカチではなく僕の手を握った。いきなりだったので、ちょっとどきりとした。母は何か言いたそうに見えたが、ただじっと僕の目を見つめていた。それは中学生の僕が感じるくらい、幼い少女のような瞳だった。まるで母ではないような気がした。きっと僕に妹がいたら、こんな顔をしているんだろうな、と思った。

 それから二カ月もしない間に、母は亡くなった。頭には包帯を巻かれ、体のあちこちにチューブが差し込まれた状態で、最後は眠るように息を引き取った。もうこれで二度と母と好きなアイドルについて話をすることはなく、手料理を食べることもなく、進路について相談することもできなくなった。
 結局、鰻屋での昼食は、家族三人で食べた最後の昼食となった。退院して「肝焼きを食べさせたい」という父の願いが叶うことはなかった。
父は葬儀の後、母にしてやれなかった多くの後悔を僕に語った。もちろん、そこには「肝焼き」の一件も必ず話題として取り上げられた。あの味を知ることなく死んでしまった母が、不憫で不憫でならない、とまで父は言った。そこまで言われると僕もどうしても食べてみたくなったが、母が口にできなかったものを僕が食べることには何となく抵抗があった。一生食べてはいけないもののような気がした。
 それ以降、何度も母を見舞った大学病院や鰻屋には全く無縁の生活を送ることになったので、僕の印象も少しずつ時の洗礼に晒され、色褪せていった。

 それから、十年が経過した。その間に、僕は国立大学に入ることを許され、二十歳を超えることを許され、卒業して少し名の知れた監査法人に入ることを許された。その間、父もいくつか職を転々とし、それに伴って、住むところも三度変わった。しかしどこに移っても、父は母の遺影を飾る場所と方角だけは入念にチェックした。
 今日は、父に会う日だった。会社に入ると同時に、僕は家を出て一人暮らしをしていたので実に久しぶりのことだった。最近の父の様子を聞いていなかったので、ちょうど良かった。男同士の約束というのは恥ずかしいものだったが、「鰻屋で会おう」という父の申し出を聞き、とても懐かしい気持ちで一杯になった。
 時間より少し前に店についた。ホールの女性に通されたのは、以前、母と三人で食べたあの座敷だった。僕はお茶を飲みながら、父が来るのを待った。店の雰囲気は当時の落ち着いた和風の雰囲気ではなく、ところどころ手が加えられテーブルも椅子も壁紙も明るい感じになっていた。
 目の前には母が、隣には父が座っていた。あの時話された会話より、黙々と鰻を食べる母の顔、レジで僕に何かを言いかけた母の顔ばかりが無声映画のように思い出された。あれから月日はあっという間に流れた。僕は大人になり、父もその分、年をとった。母だけは、十年前のまま時が止まっていた。
 約束の時間が十五分ほど過ぎていた。昼のピークは去っていたせいか、入口の扉をひくお客はまばらだった。僕は店内を見渡し、他の場所に父が座っていないか確かめ、改めて店員にも確認したが、確かに父の名前で予約した席に間違いはなかった。
 すると、白衣を着た大柄の男が厨房から出てきて、櫛に刺さった焼き物の置かれた長皿を僕の目の前に差し出した。
「お待たせをいたしました」
 父だった。僕は驚いて、言葉を失った。
「驚かして悪かったな」
 テーブルに皿を置いて、父は上がり框に腰掛けた。白い帽子の脇から、真っ白な揉み上げがはみ出していた。しばらくぶりに見る父は思った程血色がよく、肥えていた。
「ここで働いてるの?」と僕は聞いた。
「まさか」と父は笑った。
「あれから時々ここには来ていたんだ。店長と仲良くなって、今日息子と久しぶりに会う、息子に美味い肝焼きを食べさせてやりたいんだと言ったら、じゃあ、昔取った杵柄で、自分で串に打って焼いてみたらと。俺が一時期店をやってたって話を覚えていてくれてな」
白衣姿も満更悪くないと思った。「焼き鳥屋」もこんな格好をしてやっていたのだろうか。
「まあ、細かい話は後にして、まずは食べてみろ」
 串には、正直余り発色の良くない黒光りした様々な形の臓物の塊りが、ぎゅうぎゅうに押し込められていた。父があの日どうしても母に食べさせたかったものだ。僕は母のような気持ちになって一口、口に含んだ。歯ごたえのある、ちょっと苦くてこりこりした食感。レバーのようでレバーではない、もつのようでもつではない、それはこれまでに味わったことのない独特の風味だった。
「うまいか?」と父は聞いた。
「うん」と僕は素直に答えた。
「日本酒との相性抜群」
 父は帽子をとって、嬉しそうに僕をみつめた。手の甲はしもやけかと思う程真っ赤だった。
「美味しいって言ってくれたかな、母さん」
  父は独り言のように呟いた。語尾は千切れ、僕と父との中点上に弱々しく溶けた。
「きっと好きだったと思うよ。とにかく歯ごたえのあるものは何でも好きだったから」
 僕の目の前には、頬を赤らめて「肝焼き」を頬張る母の顔が浮かんでいた。母が亡くなってから十年も経つなんて僕には信じられなかった。今まさにその席から、父と僕に話かけてきそうだった。
「博之はあいつに良く似てる。大きくなってから余計」
「そうかな」父にそう言われて、僕は少し気恥ずかしかった。
「兄弟、欲しかったか?」
「兄弟? そうだね、いても良かったかもね」と僕は答えた。
「俺がいけなかったんだよ。母さんはもう一人欲しがってたから」
 父の顔は神妙だった。そこから先は触れてはいけないような気がした。それは父と母にしか分からない領域だった。
「あの日どうしても、これをあいつに食べさせてあげたかったんだ。肝焼きは、焼き鳥屋には打てないもんだから」
 半分だけ残された肝焼きを、父と僕は眺めていた。見れば見るほど不思議な形をしていた。父の目には涙が浮かんでいた。僕も少し悲しくなった。このまま串を折に詰めて、持って帰りたくなった。
 俺のせい、ともう一度父は言った。俺のせい、と僕も心の中で呟いた。それから僕は両方否定した。それはきっと誰のせいでもなかった。
「父さん」と僕は言った。
「ん?」と父は顔を少し上げた。
「今度、彼女連れてくるから、ここで一緒に食事しない?」
「彼女いるのか。そりゃあ、もちろん」
 父はとても嬉しそうに答えた。
「鰻の大嫌いな子なんだ」
「オーケー。ここの鰻食べたら大好きになるよ。お前みたいに」
 父はしばらくぶりに笑った。僕もつられて笑った。母さん、ごめんなさい、僕は残り半分の肝焼きを一気に食べた。(了)

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