あるクリーニング屋の日常

「以上三点で宜しかったですか」と、受付の子は言った。その時の俺は、実に酷い身なりをしていた。寝癖のついた髪、未処理の髭、伸びたロンT、ゴムの緩んだスエットパンツ。いかにも、休日の朝妻に叩き起こされ、クリーニング店に使いにやられた冴えない中年男という感じだった。事実、その通りだった。
 休日とはいえ、気が休まることなどなかった。妻はいつもこの調子なので、おちおち寝てもいられなかった。年度末で明日の週始めから残業が見えていた。ただでさえ気分が塞いでいる上に、若い女の子の溌剌な仕事ぶりを見せつけられると、こちらの覇気のなさが一層際立ち、余計に萎えた。
「もう一つお願いしてもいいかな」と俺はダメ元で言ってみた。
「俺もクリーニング出来ますか」
「もちろんです」と彼女は即座に答えた。何でも言ってみるものだ。
「特に気になる汚れはありますか」
「全体的に」
「承知しました。お会計は、ブラウス二点、スカート一点、俺一点、以上で二千八百円になります」
 俺は三千円を渡して釣りを受け取った。俺の値段を逆算すると、スカートよりは高く、コートをドライクリーニングするよりは少し安い、という金額だった。とは言え、まさか人もクリーニングしてくれるとは思ってなかったのでわくわくした。
 それから俺は服を脱がされ、全身の染み、たるみ、皺をくまなく点検された後、バーコードのふられたタグを髪の毛に括りつけられ、持参した衣類と一緒に、巨大な麻袋に放り込まれた。手際良く効率的なのはごもっともな話で、午前中に受け取った物を夕方には仕上げようというのだから、俺と世間話などしてる余裕はない。
 袋の口が閉じられると、俺は黙って搬出を待った。間もなく、こいつ糞おめえ、という若者の不満と一緒に荷台に載せられ、一時間程車に揺られた。
 到着した先は、広大なクリーニング工場だった。ご飯の炊き上がりのような独特の匂いがした。白衣を着た年増の工員は俺と目が合うと「ようこそ」と言ってにこり笑った。「色々溜まってるんだねえ」
 促された先は、「ウェットクリーニング・白」と掛かれたキャスター付きの籠だった。「いってらっしゃい」
 それから別の工員にキャスターを引かれ、ある洗浄機の前で他の衣類と一緒にドラムの中に押し込まれた。四方八方から水と洗剤の噴射を受け、ドラムが猛烈に回転し始めた直後、俺はあまりの衝撃に気を失った。
 気が付くと、プレス工程にいた。マネキンのような形をした立像にぴったり着せられた妻のブラウスから白い蒸気が立ち昇っていた。俺は西洋騎士の鎧のような人型のプレス機に横たわり自分で蓋を閉めた。これも又強烈な熱だった。直ぐに頭が朦朧とした。意識は再び遠のいた。
 目覚めると、既に全身にビニールが被せられ、他の衣服と一緒に搬出用倉庫に横たえられていた。終わってみればタフな工程だったが、前よりはいくらか皮膚が引き伸ばされ、気分もさっぱりした感じがした。
 その後俺は車に乗せられ、取次店へと戻された。受付は違う女の子に替わっていた。着てきた服の返却を促すと、女の子はレジの下の籠を俺に手渡した。古ぼけたパンツを最上位にして皆綺麗に畳まれていた。しっかり引き継ぎが出来ていることに、俺は感心した。
 時間は五時を過ぎていた。その間、幾人もの客が衣類を引き取りに来た。俺を引き取りに来る人間などもちろんいなかった。
「歩いて帰るよ」と俺は女の子に言った。
「またお越し下さいませ」
女の子はにっこり微笑んだ。微笑みは俺を和ませ、そして寂しさを残した。
 家路は暗かった。外に出た直後から、体は汚れ始めている気がした。妻がどんな顔をして俺の帰りを待っているか、まるで想像もつかなかった。(了)

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