漂流物収集家

 海は遠く、凪いでいる。波打ち際は、零れた炭酸のように寄せては返す。緩やかに湾曲する水平線に沿って、大小様々な雲が、盛りの夏空を化粧する。
 どす黒く日焼けした痩せぎすの男は、馬の背に切り取られた島の稜線を背景に、目の前のブルーシートに並べられたこれまでの数々の収集物を、旧交を温め合う友人達と談笑するような目で眺める。
「なあ、僕」と男。「一口に貝殻と言っても、二枚貝、巻き貝、白や茶や黄色やピンク、実に様々な種類があるんだ。そこの黄色い貝はタカラガイといって、その名の通り滅多に出会えない貴重な貝殻なんだ」
 遠慮なく触っていいよ、という男の目配せに、少年は宝石を扱うような慎重さで貝を掌に載せ、表面を指の腹でそっとなぞる。陽を浴び神々しい程の光沢。細かいサンドペーパーで丁寧に磨き上げたような滑らかさ。「長い年月、波と砂に晒されてこその自然の芸術作品さ」と男は嬉しそうに補足する。
「この砂浜には、僕が思っている以上に色々なものが流れ着く。海だからと言って打ち上げられるものは、流木や海藻ばかりじゃない。空き缶、ペットボトル、瓶、陶磁器の破片、イルカやクジラの骨、土器、化石、おもちゃ、ライター、世界中からの予期せぬ贈り物が、黒潮の流れに乗り、巡り巡ってここに漂着するんだよ」
 男の瞳は、夢を語る子供のように活き活きしている。鳶が、静寂を守る番人のように空を旋回している。
「そんなの、ただのゴミだなんて思ってるかな?」
 そう言う男の表情は、しかし何かの含むを持ちながら、穏やかに緩む。
「特殊なマッコウクジラからしかとれない特殊な石があるんだ。そう、人で言えば胆石みたいなものでね、それが楊貴妃やクレオパトラも使ってたと言われている最高級のお香になる。目玉が飛び出るくらいの高値で取引されてるんだよ。これまで、一度だけ見つけたことがあるよ。
 一五〇年前のウイスキーボトルを拾ったりね。そう、おもちゃだって今売ってるようなおもちゃじゃなくて、それこそ僕が生まれるずっと前、僕のお父さんが小さい頃に遊んでいたようなビニール製のキャラクター人形が、何の因果か、ここに辿り着く。ロマンを感じないかい? ああ、僕にはまだ分からないないかもしれないけれど」
 ロマンについては、少年にはいまいちピンとこなかったが、語り終えた男の満ち足りた表情を見て、きっと今、彼はとても幸福なんだろうな、ということは理解できる。
「もっとも、俺だって言ってみれば肉親も家族もいない根なし草。人生の落伍者なんだ。家族を幸せにしてやることができなかった。単なる俺の我儘でね。気が付いたら、この辺境な離島に辿りついてた。俺自身、漂流物みたいなものさ。全くの無価値だけれど」
 男は一握り砂を掴み、砂時計のように少しずつ砂を落とす。海にいるのに、まるで磯の香り一つしないことに、少年は今更ながら気付く。黒い筈の男でさえ、空の青、砂浜の白と同化し、やがてあらゆる景色の色が失われていくような錯覚に捕らわれる。まるで、白黒の夢を見ているかのように。
「僕は一人かい? 両親はどうしたの?」と男は言った。
「いないよ」と少年は素直に答えた。
「父さんは小さい時からいなかったし、母さんも去年病気で死んじゃった」
「それは気の毒だね。まだこんなに小さいのに。僕もこれから漂流していく訳か」
 男の頬に涙が伝う。もらい泣きを堪えているような少年の表情が、なお一層男に涙を誘う。
「ここでね」と少年は言った。
「僕もいいものを一つ見つけたよ。遠くの海から流れ着いたもの」
「へえ、それはそれは。一体、何を」
「父さん」
 船着き場から、汽笛が聞こえる。
 この島に船着き場があることを、男は今、初めて知る。(了)

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