『愛しきメールは我が手の中に』

 我々家族に生の会話がなくなってから、早3ヶ月が経過していた。「生の会話」というのは、いわゆる「口から音声を発したやりとり」という意味であって、意思疎通がないとか無視するということではない。一緒に食事もするし、テレビも見るし、ショッピングにも行く。つまり、家族と何らかのコミュニケーションをとる必要がある時、我々は「喋る」のではなく、「メールを使う」ということである。
 メールを通じた会話しかしなくなったのは、私のちょっとした癖に対する妻との口論がきっかけだった。会話をしている時、私の口から「ぷす」という音が聞こえる、というのだ。話のセッションごとにまるで句点を打つかのように、下品で年寄り臭い空気が口の端っこから漏れるらしい。
 一体どのタイミングでそのような音が出ているのか、自身では全く自覚がない。「また『ぷす』って言った」と妻に指摘された直後に振り返ってみても、どれがその音なのか私には分からない。余りに私が太っていて、常に息が切れているということでもない。情けない話だが、確かに齢四十過ぎにして、口周りを制御する筋肉が緩み始めているということはあるのかもしれない。「気のせいだ」といくら虚勢を張っても、「嘘。絶対言ってる。彩に聞いてごらんなさいよ」と、半ば妻は切れかける始末。
 そうこうしているうち、我々は口論となった。妻にとってその音は、お新香臭い年寄りを養っているかのような、不吉で不快な音のようだった。そうは言っても、鼾みたいに、それを発している当人に何の自覚もないのだから対処の仕様がない。
「幻聴だよ」と私は更に食い下がった。
「幻聴なんかじゃないわよ。あれだけの息を漏らして無自覚っていう方がおかしいわ」と妻。
「なら、録音して聞かせてよ」
 いい加減私も頭にきて、そう啖呵を切ったものだから、妻の目の色がいよいよ変わった。これ以上は売り言葉に買い言葉、最早「口から漏れる音」などどうでもよく、結婚生活二十年の間に蓄積された日頃のあらゆる不平不満について、妻は間髪入れず猛然とまくしたてた。結局、最終的には私が我慢し折れた。少なくとも妻と口論することは、平穏無事でストレスのない生活を望む私にとってメリットなど何一つないからだ。
 そう、私は確かに「ぷす」と言っている。肥満中年が息を切らすが如く奇妙な息を口の端から漏らしている。いや、そこまで妻も娘も主張するのだから実際にそうなのだ。単にその事実を私が認めたくないだけなのだ。私ももう若くない。顔には皺が増え、脇腹もぽっこり膨らみ、バリアフリーの平板な廊下で躓き、そして何より口から下品な息を漏らす。
 そんなことがあってから、私は家にいる時はもう口を開くまいと決めた。言葉を発しなければ、その嫌な音は出てこない。あの音さえなければ、私も妻も、余計な喧嘩をせずに済む。家族皆が快適に暮らせる。
 しかして、私の方から「今後、会話は全て携帯メールで行う」という家族間の特別ルールを提案したところ、妻からも娘からも何の異論なく承諾された。自分で提案したくせに、二人の反応には少なからず驚きと寂しさを覚えたが、それだけ例の音を嫌がっているのだと理解した。
 以降、意思の伝達は全てメールという、同居家族としては恐らく全国的にも稀にみるであろう試みを開始した。
 ちなみに、生の会話としての妻からのラストメッセージは「寝る前に戸締りだけはちゃんとしといてよ」であった。(→続きはAmazon(Kindle)で)