こだわり

 昨年九月十日、その日は既に不穏の気配を孕んでいた。空は厚い雲で覆われ、早朝から夕刻の様な暗さだった。台風は太平洋岸をなめるように進行していた。風雨に耐えられるよう、私はいつもの倍の時間を掛けて、入念にドライヤーを当てた。
 私が特に拘っていたのは、真正面から正視した際の前髪のスタイルだった。分け目は65対35、右目涙丘の延長線上に作るのを基本とした。分け目の前髪の根元から二センチ垂直に立ち上げ、そこから重力に従ったナチュラルな放物線を維持したまま、合わせて両眉毛を隠す位置に前髪の先端部が位置するよう、デンマンブラシと櫛を用いて調整した。
 その際、前髪は決して直線でも湾曲し過ぎてもいけない。流れるラインはあくまで自然でなくてはならず、作為性を感じさせたりヘアスプレーを大量にかけ過ぎたりするのは愚作である。違和感を修正出来ない場合は、何度でもシャンプーからやり直す。
 私の髪は癖毛だった。湿度が高いと、その特徴は顕著に表れた。縮れた髪はたちどころに水分を吸収し、一旦垂直下降を目指した筈の先端部は、眉毛の上1・5センチ地点で切り返し、勝手に上昇カーブを描く。まるで前髪全体にビューラーを当てたかのような「カール状」となる。
 それは私が最も忌み嫌う姿だった。その髪型を人前で晒すことは、気恥かしいといったレベルの段階ではなく、自我を封印し、いかなる人間的思考も停止させなければ、一日やり過ごすことなど不可能であった。
 従って、日頃は芯と腰のある直毛の人が羨ましくて仕方がなかった。風雨だろうが汗をかこうが、朝から晩まで髪型が寸分も変化しない、スプレーなどの整髪料を一切使う必要のない人種というものが、この世の中には少なからず存在する。「もし、生まれ変わるとしたら、どんな人間に生まれたい?」と聞かれたら、私は何の躊躇も留保もなく、そうした髪質を持つ人間に生まれたい、と答えるであろう。
 九月十日のヘアースタイルには、約一時間を要した。当日の風速と湿度から、いつも以上に補強した。スプレーを掛け過ぎた嫌いはあるが、しかしその位しておかないと、その日の風と湿度では、忽ち崩壊するのは明々白々だった。
 出勤直前、雨は止んでいたが、霧状の雨水の粒子が大気中をくまなく漂っているのが肉眼でも見えた。下手をすると駅までももたない。
 とはいえ出社拒否する訳にもいかず、勇気を出して飛び出した。会社まで持ち堪えられれば会社でリカバリーできるという淡い期待は、マンションを出た直後の突風によって、一瞬にして粉砕された。
 私は直ちに家にとって返し、三面鏡の中の自身の姿に絶句した。あれほど時間を掛けてセットした痕跡は跡形もなく、前髪はもはや他の領域と区別すら出来ない程、頭頂部に同化し、側頭部に吸収された。突風の破壊力は圧倒的だった。私は絶望に打ちひしがれた。職場に電話を入れる気力もなく、髪をぐしゃぐしゃ掻き毟り、壁に額を打ちつけた。癖毛に産んだ亡き親を恨み、社会を恨んだ。
 以降私は部屋に閉じ籠り、一歩も外に出ることはなかった。

 あの日から、まもなく五年が経過します。髪の全てを切り落とした今となっては、何故あれ程までに前髪に固執していたのか分かりません。髪型を気にしないということが、どれほど生活に潤いを与え、人生を生き易くするのか、もっと早く気付けば良かった。
 僧侶を辞することがない限り、前髪で悩むことは二度とないでしょう。執着の煩悩から解放され、今はとても清々しい気持ちで一杯です。
 皆様も、その拘りを一度捨ててみて下さい。自分の全てだと思っていたものは実はただの思い込みであり、これまでとは全く違った世界に出会える筈ですから。(了)

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