『愛玉』

 かつて、愛は高級品だった。庶民が手を出せるものではなく、お金持ちだけが買える贅沢な代物だった。
 従って、我々が日常生活で目にする機会はなく、過去に愛を所有したことがあるのは、たった一度だけ、結婚したての頃だった。箪笥やら家電やら布団などの妻の嫁入り道具の一つに、愛は混じっていた。妻に聞いても、間違いなく買った記憶はあると。
  しかし奇妙なことに、いつの間にか我が家から消えてなくなっていたという事実と合わせて、愛の色や形、感触や実体など、それがどのようなものであったのかの記憶も一緒に消えていた。僕だけではなく、妻に聞いても同じだった。家庭のどこかにあった筈の愛が、結婚直後から今の娘の子育てに追われる中で、最後にはその存在すら忘れてしまっていた。
「百均に売ってるわよ」と、朝のワイドショーを見ながら、妻は呟いた。
「嘘でしょ?」
 衝撃だった。いくら大抵の生活用品が百均に売っている時代だと言っても、まさか愛が売られてるとは。
「嘘ついてどうするのよ」
「どうして? 何で買わないの?」
「何で買う必要があるの?」
「百円で買えるんでしょ? 愛は必要ない?」
「なくて困ったことあった?」
「そう言われると」
 妻とはこんな調子で、話が上手く噛み合わなかった。確かに具体的に困ったことはないかもしれないが、そんなに身近に買える時代なら、いくら超節約志向の我が家でも、その程度の買い物はしてもいいのではないかと。もっとも、百均レベルの愛がどの程度のものか、品質と効果の程は分からないが。

 その日、僕は久しく寄っていなかった駅前の百均ショップに行ってみた。探すのに少々時間はかかったが、確かに愛は「衛生用品」のコーナーに一ラック分、大量に陳列されていた。愛は本当に百均で売られているのだ。(→続きはAmazon(Kindle版)で)