『既婚同士で話しませんか?』

 鉄橋越しに細く蛇行した川が車窓を流れ、手つかずのブッシュが横切り、遠くの山々は一番遅く視界から消えていく。税金泥棒は、もみくちゃの通勤電車の虚脱の中で、今日の成すべき事を考える。
 スマホを取り出し、着信履歴とメールをチェック。そして、そのまま一時間程、目的の駅に着くまで、俺は直立したまま、セメントのように眠り続けた。

 会社は神田駅から歩いてすぐの場所にあった。老朽化した建物は、四十年分の排気ガスを吸って完膚なまでに煤けていた。職員数十数名の、とある国の外郭団体。 そんな会社を選んだのは本意ではなかったが、何より交際相手に子供が出来てしまったので仕方がなかった。
「三十過ぎてもまだ『新人』だもんね」
 社内で「新人」と言えばもちろん俺しかいない。ここ何年も新規の人材採用を見送っている。もっとも、大した労働量ではないので、誰かが辞めても残された者だけで充分仕事は回る。聞こえないふりをして、各デスクの紙くずを集め続ける。
「民間の会社はリストラの嵐なのに、こういうところは無関係だから。平社員より役職者の方が多いってどんな組織よ。ねえ、一枚頂戴」
 そう言って、マキはゴミ袋をひったくるようにして抜き取り給湯室へ向かう。 俺はつんと張り出したマキの豊かな尻をしばらく眺めている。
 彼女は勤続二十年のベテラン職員だ。子供がいないせいか、とても四十の年には見えない。ファッションもメイクも若々しいし、仕草もどこか誘惑的である。
 もちろん個人的にも容姿は嫌いではないし仕事のこなし方もそつがなく感心するが、色気を武器に役員を取り込み、影の人事権を掌握する偏った存在感がいまいち好きになれない。
 予定通り、仕事は午前中で終了。簡単な伝票整理と文書作成。仕事は他にもあったが、明日の仕事がなくなるのでそれには手を付けない。
 熱いコーヒーを入れデスクで飲む。コーヒーでも飲んでいなければ、仕事のないデスクワークで半日潰すのはとても苦痛だった。
 幸い、全館無線LANが整備され、ハイスペックなノートパソコンも各人に割り当てられている。建物の外観によらず、通信環境だけは抜群にいい。会計ソフトとワープロソフトを使うだけでどうしてこれだけの設備が必要なのか理解に苦しむ。
 椅子に腰掛けながらぼんやり時計を眺める。出張や上部団体へのお伺いで役職者の大半は出払っている。マキは片足だけパンプスを脱いで足を組み、つま先を小刻みに揺らしながら、こっそりファッション雑誌をめくっている。
 メールチェックといくつかの情報サイトに目を通した後、俺は「お気に入り」フォルダにある地域限定のアダルト系チャットサイトを開く。
 空室ゼロ。
 最近はこんな時間でも部屋が埋まっている。暇な人間というのは大勢いるものだ。しばらく「更新」ボタンを押し続けるがなかなか部屋が空かないので、諦めてコーヒーを入れ直す。

ルーム1 「ひろ こんな時間だけどまったりしよう(主婦の方限定)」
ルーム2 「翔 サポ希望・JK以下・込5@渋谷」
ルーム3 満室
ルーム4 「ミチル TELで感じてみない? 初心者の方も気軽にどうぞ」
ルーム5 「けん 初体験してみたい十代の女の子おいで(世田谷・三十代)」
ルーム6 満室
ルーム7 「ゆきこ としさん、ここです」
ルーム8 「なお 露出好きな方。じっくり見てあげるよ」
ルーム9 「俊之 家事、育児でストレスの溜まっている奥様希望♪」
ルーム10 「調教師S じらされたり恥ずかしい格好させられたりするのが好きな淫乱M女おいで(→続きはAmazon(Kindle版)で)