音楽のない生活。

今の僕の生活の中には、音楽がありません。
小さい頃からずっと、三度の飯より大好きだった、小説と同じくらい、いやそれ以上大好きだった音楽が、です。

この前、中学2年生の頃の通信簿がひょっこり出てきて、先生からの「通信欄」にこう書いてありました。
クラシックを聴くことは、とてもいいことです

なるほど。中学2年ではクラシックを聴いており、それを「先生」に伝えるくらい、好きだったんだ、と。
確かに僕はクラシックを良く聞いていました。正月早々、近所のレコード屋でもらったばかりのお年玉をにぎりしめながら、指揮者も楽団も分からぬまま「カルメン」や「新世界」のLPをわくわくしながら買ったのを覚えています。

高校に入ると、友人の影響で「パンクロック」を聞かされました。ラフィンノーズというバンドです。それはこれまでに出会ったことのない衝撃的なサウンドでした。これには見事にノックアウトされました。クラシックとは全く違った、心を素手で鷲掴みにされるような、今までの経験則ではありえない音色でした。

それがきっかけで、僕はロックにはまり込みます。
オールディーズから80年代までのロックの歴史を好き嫌いせず何でも聞きまくりました。都心に向かう通学電車の中ではウォークマンは必須でした。今のようにスマホなどまだほど遠い時代、本を読むか、音楽を聴くか、電車の中はその選択肢しかありませんでした。

しかし、それほど大好きだった音楽が、結婚し、子供ができるくらいの頃を境に、全く生活の中から消えてしまいました。消えた、といってももちろんメディアは残っています。ジム・モリソンのビデオもありますし、AC/DCのCDもデビューアルバムから直近のものまで。

しかし体が求めていかないのです。
「個人的嗜好」があまりにも排除された、家族中心の現実的な習慣と思考癖が身についてしまって、日常の家族生活に必需品かそうでないか、だけが僕の価値基準になりました。

家族3人が生きていくために、ロックやクラシックといった「音楽」は必要ないわけです。「音楽」をいくら聴いていても、僕たちの生活が経済的に豊かになったり、子供が病気をしないわけではありませんからね。

本来「音楽」とは、そうした現実的なメリット云々を求めて聴くべきものではないはずなのですが……。しかし現実は、音楽を聴く時間があったら、部屋の一つでも掃除をしている方がよっぽど有益だ、と叩きこまれてしまっていて。

もし、僕の老後を好き勝手に生きていい、と言われたら、これまでに自分の中を通り過ぎて行ったあまたの書籍とあまたの音楽を、もう一度、その時の自分の目と耳で、改めて感じてみたい、と思う今日この頃です。

ささやかな、僕の夢。

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