小説は「無力」か。

「小説なんて、有事の時には何の役にも立たない」とよく言われます。

そんな時、僕はこう思うようにしている。「小説が無力」いうことではなく、その状況における「優先順位」が相対的に低くなっているだけである、と。

腹が減って餓死しかけている人に食えない「本」などあげても何の役にも立たない。そんなことは自明の理です。

しかし「本を読むこと」が生きる希望になる時があります。荒んだ心を癒す薬になる時があります。衣食住がまずは満たされたその次の段階では、精神的安定や知識欲を満たしたいという願望が現れる。その人が今いるフェイズによって、求められるものが違うということだと。

自分も小さい頃からずっと本を読んで育ってきました。好きな本を好きなだけ読んで。そうしている間だけが、家庭やら勉強やら仕事やらの現実の「嫌な状況」を忘れることが出来ました。

「本が売れない」と言われて久しいですが、昔と違って現代は、他にもたくさん「現実」を忘れられる方法があります。もちろん、本を読む行為は「現実を忘れたい」という目的だけではないけれど、これは一つの例として。

だから、「本をいらない」という人に無理やり読ませるのではなく、「本を必要としているステージの人」に、いかに「必要としている本」を「的確に」、そして「スピーディーに」届けてあげられるか、ということだと思っています。

「電子書籍」が流通し、「的確に」「スピーディに」届ける物流インフラは昔に比べたら格段に整いつつありますが、「必要としている本」は果たして出来ているでしょうか。

「有名な」小説家の本ばかりを「プロダクトアウト的」な感覚で垂れ流し続けてきたつけが今きている気がしてなりません。読者が「必要としている本」をいかに見出し生産していくかという「プロダクトマーケティング」的発想を持つ出版社が多くなることをとても期待しているのです。

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