サンタクロースがやってきた夜

 サンタクロースの出で立ちで、俺は煙草を吸っていた。妻は既に夢の中だった。吐いた煙がその場で凍り付く程の寒さだった。ただでさえ疲れていたが、今日はまだ眠る訳にはいかなかった。イブの夜、サンタは子供の眠っている枕元にプレゼントを置かなければならなかった。毎年の行事だが、案外きついミッションだった。酒を飲んだら、妻のように直ぐ眠りたかった。明日も朝早くから仕事だった。
 息子が寝付くまでは、サンタは姿を現す訳にはいかなかった。万が一目覚めて気付かれた時のための変装だった。赤い帽子に赤い服、黒の長靴に大きな白い袋を担いで、俺はベランダで煙草を吸っていた。馬鹿馬鹿しいと思ってはいけなかった。「夢を壊す」ことは反社会的行動だった。父親は子供に夢を与え続けなければいけなかった。俺にも夢はあった筈だが、いつの頃からか、大人が夢を持つことは、近親相姦と同じくらい禁忌された。
「酷いサンタだな」と、もう一人のサンタが言った。恐らく、本物のサンタだった。本物のサンタは煙草など吸わなかった。
「そんなに嫌なら私が代わりに。本望ではないがね」
 サンタは流暢な日本語で、俺に同意を求めた。さすがに本物には敵わなかった。風格も貫禄も大人と子供くらい違った。息子にとっては、本物のサンタがいいに決まっていた。父親はただの演じ手に過ぎなかった。本職に敵う筈もなかった。俺は留保なく頷いた。
 本物のサンタはベランダの扉を開けて、部屋に入っていった。この際は土足でも仕方なかった。本物のサンタに靴を脱げとは言えなかった。そんな些細なことに拘泥している時点で、俺はサンタ失格だった。流れ星が見えた気がしたが気のせいだろうと火種を消した。
 新興住宅地のクリスマスイブは市街地の喧騒とは正反対に、今日が本当にイブなのかどうかさえ分からない程、各戸の電気は消え、物音一つしなかった。
 既に時間は夜中の二時を過ぎていた。明日も朝早くから仕事だった。そろそろ俺も眠らなければいけなかったが、本物のサンタが部屋に入ったばかりであり、一家に二人のサンタは不要だった。本職の仕事の結果を、一応確認しなければならなかった。俺はここの家主であり、イブに子供にプレゼントを仕込むのは、本来俺の仕事だったのだから。子供を悲しませることは即ち、妻を悲しませることと同義だった。妻子を同時に悲しませることは、本望ではなかった。仕事も大して出来ないのに、父親の勤めさえ否定されたら、最早俺の存在価値はなかった。
 本物のサンタの様子は、さっぱり分からなかった。あと一本、煙草を吸ったら部屋に入ろうと思った。これ以上、寒さにも眠気にも耐えられなかった。子供に渡そうと思っていたプレゼントが、知らぬ間に手元からなくなっていた。さすが本職のサンタだと思った。手抜かりはなかった。
 ここからだと、オリオン座が良く見えた。その側を、今度は間違いなく流れ星が横切った。それでも見間違いだろうと自身を疑ってしまうのが、俺という男だった。

 息子の枕元に、プレゼントは置かれていた。任天堂のゲーム機だ。以前から本人が欲しいと言っていた物を買っただけだった。希望していない物をあげて、翌朝がっかりされるのが嫌なだけだった。これまでにそうしたことは何度も経験があった。がっかりした息子の顔を見ると、妻もがっかりした。妻子ががっかりすると、俺も虚しくなった。誰もがっかりしないようにする為には、全て息子の意に沿うしかなかった。
 息子はぐっすり寝入っていた。俺は部屋の扉を静かに閉め、自身の寝室に向かった。これで、今日の任務は全うした。最後は本職のサンタの手を借りることにはなったが、もっとも、それは俺が最初から望んでいたことではなかった。結局、眠っている子供の枕元に子供の欲しいプレゼントを置くことなど、誰でもいいことなのだ。
 寝室のベッドがみしみし音を立てて揺れていた。手前から靴、帽子、上着、ズボン、そして白い下着の順番で点々と脱ぎ捨てられていた。呻き声が、掛け布団の中から聞こえた。
俺は一瞬で全てを察した。何も妻にまでプレゼントしなくてもいいだろうに。そしてそれは、俺には真似することの出来ない、サプライズな贈り物だった。やはり本職というものは一味も二味も違うものなのだと、俺は脱帽した。
 リビングのソファに身を横たえ、俺は天井を眺めた。静かな我が家のクリスマスイブだった。否、既に日は替わっており、本番のクリスマスだった。
 これほど寂としたクリスマスは今まで経験がなかった。物事は不穏に動いている筈だった。不穏どころが、嵐が訪れている筈だった。俺のミッションは終了したのだ。もう眠ってもいい筈だった。明日は早朝から仕事なのだ。眠らないで仕事に行くことは出来なかった。
 雄叫びにも似た大きな音が、寝室から聞こえた。様子を伺う気力もなかった。叫びたいならいくらでも叫べばいいさ。ただ寝室を占拠されたのはきつかった。
 俺は諦めて、ソファで眠ることにした。もう一杯だけウイスキーを飲みたかったが、先ほどの晩餐で飲み干してしまったことに気付いた。煙草を吸うために、また外に出るのは嫌だった。これ以上寒くなるのは勘弁だった。俺は膝掛を腹に巻いて、スマホのアラームをセットした。
 明日起きたての息子の顔を見ることは、愉しみでも何でもなかった。欲しいという物をあげるのだから、喜ぶのは当たり前だった。俺は矢鱈に悲しくなった。しかし涙が出てくるような悲しみではなかった。むしろ体中の水分を干上がらせるような悲しみだった。許容の限界値は近付いていた。
 三時間は眠れる、真っ白なキャンバスを頭の中でイメージした。今日に係る一切の記憶を消し去りたかった。本当にお疲れ様でした、俺は念仏の様に、そう自分に声を掛け続けた。

 夢だった。
 目覚めると、俺は寝室で眠り込んでいた。隣には妻が向こう向きで寝息を立てていた。俺はサンタの格好をしたままだった。手元にはまだ息子の枕元に置くべきプレゼントが残されていた。
俺は時計を見た。午前三時半だった。間に合うと思った。息子が起きるにはさすがにまだ早過ぎる時間だ。
 俺は妻に気付かれないよう上半身を起こした。枕元の手紙に手が触れた。スマホのライトを点けて手紙を照らした。「メリークリスマス」というたどたどしい筆致のタイトルと、煙草を吸っている男のイラストの間に、糸屑のような言葉が罫線を無視して並んでいた。

「メりークりスマス パパ
 いつもぼくとママのために、あさはやくから、よるおそくまで、はたらいてくれてありがと、パパはいつもやさしくて、すごく大すきだよ、パパ、だからながいきしてね、たばこはびょーきになっちゃうってママいってたよ、ぼく、びょーききらい、あとね、ママとけんかしないでね、ママないちゃうとかなしいから、でもね、ぼくしってるよ、ママ、ぼくがパパすきなのとおなじくらい、ほんとうはパパが大すきだよ、あとね、ぼくもっともっとべんきょうがんばるよ、べんきょうがんばると、パパもママもよろこんでくれるから、だから、ゲームはもうやらないよ、サンタさんにもそういったよ、だからサンタさん、きっとこない、でもいいんだ、ぼくにはパパがいるから、ありがとうパパ」
 
 不意打ちだった。これ程長い息子の自筆の文章を見たのは初めてだった。俺は目元を袖で拭った。クリスマスイブを面倒くさがった自分を恥じ、責めた。
 そして、この手元にある息子へのプレゼントを渡すべきかどうかしばらく悩んだが、当初の予定通り渡すことに決めた。良い子にも悪い子にも一様に、サンタは区別なく訪れるものなのだ。勉強するしないには関係なく。
 俺は細心の注意を払って、息子の部屋を覗いた。布団の中で丸まっている息子の頭が半分だけ見えていた。息を止めたままそっとプレゼントを置くと、俺は直ぐに部屋を出た。それから急いで、ドンキホーテで買ったサンタクロースの衣装セットを脱ぎ捨て、袋に詰めて押し入れに仕舞い、そのままワイシャツを羽織りネクタイを締め、スーツを着た。
 時間はまだ四時前だった。外は当然真っ暗で寒かった。コートを着込んで、ベランダで煙草を吸った。最後の煙草の味は、全くなかった。
 あと一時間もしたら出勤する時間だった。今度は間違いなく、流れ星は見えた。そう確信した。しかし願い事は何もできなかった。それほど贅沢をいうべきではない、と思った。
今年は、三十年振りに、俺にもサンタクロースがやって来たのだから。(了)

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