書き散らかしっぱなし。

いくつも小説を書いていますと、だんだん自分の書くものが「パターン化」されてきていることに気づきます。「手癖」や、思考と嗜好の「偏り」のようなものといいますか。ストーリーや小道具がどことなく「既視感」を覚えるわけです。

これは同じ人格と経験を持った同じ書き手が書いてるのだから、その書き手の思考や手癖が「似ている」のは当然であり、ある程度は「やむを得ない」と思ってあきらめています。

しかし、その「手癖」ゆえに一定の評価を得ているプロ作家ならともかく、僕らのような素人が自らの「偏り」に閉じこもってばかりいてはどうなのかな、とも。

無意識のうちに書き進めていくと、ふとした時に「あれ、このエピソードは前の小説で使ったな」とか「このフレーズ(メタファー)は使い回している」と、はたと気付く。自ら「手垢のつけた表現」や「プロット」に苛まれることになる。これには気を付けなければいけません。

むしろ、常に新しいカタチ、小説に挑戦していくくらいの気概があってしかるべきですし、そうならなければいけない、と思っています。

二十代の頃は何でも書けた。まだ見ぬ余白の世界がほとんどだった。
さて、それから二十年。

世の中を自身の目でそれとなく眺められるようになり、現実生活での身の処し方や生き方のノウハウをそれなりに身に付けてきました。
しかし一方で、余白にはどんどん文字や色が塗りこめられ、自由に想像する余地は圧倒的に狭められてしまった気がするのです。
といいますと、さぞ昔は「想像力豊かな」ものを書いていたように聞こえますが、全くそんなことはありませんけれど(笑)

ただ、僕なりに、今の文章より、ずっと豊かで自由に書けていた気は確かにしますし、次の展開を想像しながら書く作業がとても楽しみでした。
その頃のものは今読んでもとても懐かしく、何度も何度もリライトしてきたので愛着があります。例えば、ロボットとの恋愛を書いた「ラブドールズ・ライフ」の原型は、実は大学2年生の頃に書いたものなのです。

僕の書くものは、理想の夫婦像や幸福のあり方をテーマとしたものから、子供との交流、ロボットとの恋愛、露出狂、浮気や不倫など様々で何の脈略も統一性もない小説を思いつくままに書き散らかしているように見えますが、当面、書き散らかしっぱなしていこうと思っています(笑)
まだ型にははまりたくないですし、そんな年でもないですし。

などと常に自分に言い聞かせ、次の構想を練ったりしています。

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