短編小説のアイデア発想法

高橋です。
いよいよ秋到来、読書するにも小説書くにも、いい季節になりました。

たまに、「どうしてそんなに次々とアイデアが浮かぶの?」と言われる時があります。
次々に書いているように見えますか?

確かに短編小説ですので、長編小説を書いている方のペースから見たら、更新頻度、といいますか、新しい小説を公開する頻度は当然早くなりますので、「アイデアが次々に浮かんでいる」(ように見える)のかもしれません。

■小説アイデアはいつ「ひらめく」?

現在、60を超える数の小説を公開していますから、確かに小説のアイデアは「60超」はあります。更新頻度も、ブログではなく、集中して小説ばかりを書いている時期であれば、1~2週間に1編はアップしていましたから、そう見えるのかもしれません。

けれど、小説のアイデアを考えるというのは、いくら短編小説とはいえ、実はそんなに簡単なものではありません。
アイデアが湯水の如く浮かんでいて、1編校了したら、直ぐに次の作品を間断なく書き始められたら、それはそれは理想的なのでしょうが、もちろん、そういうタイプの方もいるのでしょうか、僕には「湯水の如く」浮かぶような現象は今のところ起きていません(笑)。

なので、アイデアが困るくらい止めどなく溢れ出してきて、書く方が追いついていかない、なんていう人の話を聞くと羨ましくてしょうがない。僕にもそんな時期がいつか来るのでしょうか。

小説のアイデアって、他の作家の皆さんは、どうやって閃いているのでしょうか。
さあ、書くぞ、とパソコンに向かってコーヒー飲みながら考えますか?
あるいは、お風呂とか、トイレとか、はたまた入眠前にぼんやり浮かんでくるのを待ちますか?
夢のお告げがあるとか、実話をベースに発想していくとか、まあこれは千差万別、書き手それぞれの着想の仕方があるのではないかと思います。

僕の場合、それはある日ある時、突然やってきます。
と言っても、ありがちな、お風呂場とかトイレとか寝る時とか、脳がリラックスしているような時は、意外にありません。

むしろ、仕事のメールを打っている時とか、通勤時の混雑する駅のホームとか、妻と諍いをしている時とか、テレビに向かって不平不満を呟いている時とか、何か社会や人や世間と相まみえている時の方が多い気がします。

その時、目にしている光景とは全く関係のない(関係のないように見える)、ある「とても印象的な場面」が、ふっと頭の中に浮かぶのです。それは正に瞬間的な出来事です。どうして今、そのタイミングで、そんな場面が想起されるのか。何の脈略もないように見えます。否、無意識の中では、連関しているのかもしれませんが、僕自身には何の自覚もありませんし、想像もつきません。

例えば、母親が赤ん坊におっぱいをあげているところにやっかいな電話がかかってきたりとか(『夫も私も、いない家』)
例えば、楽しみに買ってきたレタスをあけたら青虫が蠢いていたとか(『青虫』)
例えば、真夜中、狂ったように布団を叩く音が聞こえて来るとか(『例えば、満月の夜の奇妙な行為』)

おっぱい授乳

全く不意打ちのように、そんなイメージがふっと頭に印象付けられる。
それは、映像として強烈なインパクト(快不快に関わらず)のあるものもあれば、それほどでもない場合もあります。
母親が赤ん坊におっぱいをあげているところに電話がかかってくる、なんていうことは特に日常的な事ですし、何の特徴もありません。

ただ、どういう訳か、やたらそのシーンばかりが、頭に焼きつくように、いつまでもずっと腰を据えています。
印象としての一つの光景が、大よそ一両日、食事をしていても、風呂に入っていても、仕事中ちょっと息を抜いた時にも思い出されてきて、何かを主張してくるのです。

その時、物事が少しだけ、動き始めます。
印象的な光景の前後に、別のスライドが一枚、差し込まれてくる感じです。スライドが二枚あると、めくることができます。パラパラ漫画のように。一枚では動きませんが、二枚になるとそこに「差分」が生まれ、「動き」が出る。
そんな感じに話が動き始めると、あとはもうそのスライドが、動きに合わせて自然に増量していきます。

印象的なシーンがまずあって、しばらくの間頭を支配し、そこを起点に、ストーリーが語られ始める。
僕はそれに相応しい言葉を忠実に選び出し、スライドを埋めていく。

違う例え方をすると、僕は機長となって、大よその着地点を予想し、最短距離で到着する為の航路を見定め、正確に操縦桿を握ります。時には、突風が吹いたり、燃料が漏れていたり、乗客トラブルが起きることもあって、違ったルートを選択したり、場合によっては、着陸予定の空港自体を変更することだってあるかもしれない。

しかし、それでもいいのです。それは、機長として僕の取りうる事の出来た、最善のリスク回避であった訳ですから。

■「印象深いイメージ」に耳を傾けてみる

アイデアの発想法から書き進め方まで踏み込んでしまいましたが、つまり、僕の場合、まずは頭に残った「印象深いシーン」が、小説を書き始める、またプロットを組み立てたり、物語を動かしていく全ての原動力になっています。

もっとも、若い頃は、「自分の書きたいことをしっかり書いてやろう」と意気込んでばかりいました。
冒頭から締め括りまでのシナリオをしっかりと組み立て、こういう主義主張の物語を、こういう文体、こういう展開で書いていこうと事前に決めたり、あるいは文章も、所謂「文学的」なスタイルやテクニックばかりを気にして書いていた時期もありました。

しかし最近ではそういう書き方を一切止めて、先のような、突然浮かぶ「印象的なシーン」は、きっと僕に何かを「書かれたがっている」、何かを「訴えようとしている」、だからこそ、いつまでも僕の頭に澱のように残っているのだ、と。
そして、僕はそのシーンに「静かに耳を傾けてみよう」というスタンスで書くようにしています。

その感覚、もちろん小説は僕が書いている筈なのですが、まるで僕の小説ではないかのような感覚になる時があります。
そのアイデアは、僕としてはあまり気乗りしないけれど、どうしても「仕上げなければならない義務がある」というような。
この声を見える化する人間は、僕以外にはいないのだ、出来ないのだ、という使命感のような。
何かの見えざる力で「書かされている」といったような。

実のところ、それは一体、誰の物語なのでしょうね。

2件のコメント

  1. ヴォイスは良く聞こうとすれば、聞こえます。 ヴォイスには逆らわずに、がポイントですね。

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