短編小説のメリットを活かした「売り方」

どれほどの長さの小説が「短編小説」と定義づけられているのかは知らないけれど、更に短い「超短編小説」「掌編小説」と呼ばれるもの、また自身も一時期集中的に書いていた、文字数を1,500文字に限定して書いた掌編小説、あるいは1,000文字の小説コンテスト、更にツイッターの文字数に合わせた「140文字小説」なるものまで登場して、小説の世界もどんどん「短文化」しているように思う。

そこまで短い小説を果たして「小説と呼ぶべきか否か」は置いといて、それだけ短い小説を好む人も増えてきているということの現れだと思っている。それは社会環境の変化に伴う読み手側の嗜好の変化もあると思うし、携帯やスマホの影響か、「長い文章」を読解することの能力、集中力が欠如してきている気もしているが、今回書きたいのは「短編小説の執筆ノウハウ」ではなく、出口としての「売り方」を考えてみたい。

ここ数年、自身もアマゾンのKDPで定期的に短編集を「電子書籍化」し販売しているけれど、そもそも「短編小説を売りたい、世に出したい」と考えた場合、従来のように、「書店」という本を扱う専門店に「本」という「商材」を並べてもらって流通させる、という方法が果たして最良なのかどうか、と疑問に思っている。

実際、書店の「ベストセラーコーナー」や「本屋さんが勧める~」というものを見ても、ほとんどが一定の文章のボリュームを持った「長編小説」であり、「短編集」、とりわけ原稿用紙でも20枚以下のものを沢山集めたような冊子が選ばれることはほとんどない(そもそも、そのような書籍自体見かけない)。

もちろん、星新一氏のショート・ショート集など、掌編でもきちんと書籍化されて販売されているものもなくはないけれど、それは「星新一」という著名なブランド力があってこそのものであり、全体からみればごくわずか、短い小説というものは、基本的に従来の商業出版という枠内では、「書籍化」のスタイルにそぐわないのではと。もっと「長編小説」ではあまり考えられない、書籍化以外の「売り方」というものも考えられるのではないかと。

短編小説の魅力の一つに、「数分で読み切れる」というメリットがある。忙しい時間の合間でも、それこそ今ではちょっとスマホをつなげば、さっと休憩時間に読み切れてしまう長さ。
それをかき集めて1冊の書籍にして販売する、というのは、むしろそのメリットがあまり活かされていない商品であり、同じ「小説」や「文芸」といったカテゴリの固定観念みたいなものに余りにも縛られ過ぎた「売り方」なのではないかと。別に否定するわけではないけれど、もっと「多様性」な売り方があってもいいのではないかと。

例えばふっと思いついたのは、「日めくりカレンダー」。毎日1枚ずつめくっていくその1枚1枚に、読み切りサイズの短編小説がちょこっとあったら、めくるのが楽しくないですか? その日が祝日とか行事に当てはまるのであれば、それをモチーフにした短編があったりすると、より季節感や親近感を味わえるような気もするし。

ただ、「日めくり」となると、文字数はある程度限定された中で書く必要があることと、365日、毎日違う小説なので書き手も大変にはなるけれど、そこは世の中の短編の名手が何人も集まって「わいわいがやがや」のコラボをしても面白いかと(むしろ、様々な書き手の様々なスタイルの短編小説を読めた方が楽しい!)

あるいは、「トイレットペーパー小説」なんてのも考えた。紙の「切れ目」にそれぞれ「短編小説」が印刷されていて、トイレのたびに、新しい小説と出会えるなんて、素敵じゃないですか? え、「小説は高貴なものだから、そんな汚い場所で、しかもお尻拭いて捨ててしまう、なんてとんでもない!」と思いますか? でも世の中には、同じことを考える人って必ずいるものだなあとつくづく思うけど、実際に調べてみたらいたんですよ、これが(笑)

静岡県富士市でトイレットペーパーを製造している、林製紙株式会社。ここでは、「リング」で有名な鈴木光司氏に、トイレットペーパーにプリントする書き下ろし小説をお願いし、“日本一怖いトイレットペーパー”として、これまでに計30万冊売り上げたらしい。30万冊なんて、有名作家の「ベストセラー小説」といえども、そう簡単に売り上げられる数ではない。こうした「売り方」が、正に短編小説ならできるのではないかと(長編小説だと、自分以外の人に途中で「紙」を使われてしまったら、ストーリーが分からなくなってしまいますからね。「マイトイレットペーパーを準備する」という面倒なことになる。まあ、それはそれで面白いかもしれないけれど(笑))
以前、フリーペーパーとの親和性も書いたことがあるけど(関連記事:「ムック本のような。フリーペーパーみたいな。」)、発想を広げていくと、他にも様々な扱い方が出来る気がしている。

企業のイメージアップや製品のブランディングにつながる小説というのは既にやられているところで。広告メディアのコンテンツとして、またちょっとした埋め草としても、「短編小説」という短い物語を綴る形態はうまく使えると思う。(拙著「壁画の娘~銀座ライオンの恋」や「ラベルの記憶」は、偏愛する「サッポロビール」を題材にして書いている)

「短編小説」には、「書籍流通」という従来型の流通だけではない商流というものが、まだまだ未開拓な気がしている。それには、書き手である我々の側も、もっと「短編小説」や「掌編小説」のメリット、効果をアピールし提案していく必要があるのではないか。“ライフワーク”でもある大好きな短編小説、その魅力や可能性を、色々な人に知ってもらいたい、その効果効用を体感して欲しい、日に日にその思いばかりが強くなっている昨今である。

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