いい小説を書くために~その①乱読

いい小説を書くためには、どうすればいいのか。
それが分かれば、正直僕も知りたい。

と言ってしまったら終わりですので、これまでの経験の中で感じたことを、思いつくままに書いてみたいと思います。

「いい小説なんて書けたこともないのに何を偉そうに」という感じですが、「こうすれば、きっと書けるんだろうなあ」という勘所の様なものは、これまでの経験から掴みつつある気もしてますので、軽く聞き流して下さい。

①とにかく本をたくさん読む

ここであえて「小説」と言わずに「本」と言ったのは、あらゆる活字、文章に触れることが大切なのではないか、という意味でそう言いました。本の内容もさることながら、小説の肝となる「文体」は、著作者それぞれ千差万別。人間の数だけ書き方がありますよね。

自分の好みの小説、好きな作家となると、ある程度確立されていて、パターン化している筈です。いつ読んでも変わらぬその作家の文体、「安心感」というのもまた、「読みやすさ」や「味わい深さ」という個人的な印象、嗜好に結びついています。

読み手でいる間はそれでいいですが、こと「書く」という著作側になろうとするならば、別です。

そっくり真似をするわけにはいかないですし、最終的に「文体」はその人独自性、「〇〇ワールド」と言わしめる世界観にも繋がって来ますので、「その著作者ならでは」のものを構築する必要があります。それには、特定の分野や作家に偏らず、様々な文章に触れることが必要なのかな、と。

これまで、僕は僕なりに日本文学全般に渡って広く読んできたつもりですし、日本にこだわらず欧米文学にもあたり、小説だけではなく漫画や経済、文化、評論、評伝、社会批評、心理学書など様々な書物を読んできました。
もちろん、とりわけ強くその作者の文章の影響を受け、その人の書いたものなら雑文でも何でも読んでみたい、所謂「貪るように読みまくる」中毒症状を呈した作家も少なからずいました。しかし、今自分が書いている小説は、当然その人そのままの文体ではありません。

今まで読んだ数々の書き手の「手癖」のようなものが、僕の中でどのように混ざり合い収斂されているのか分かりませんが、その時その時の僕の小説を「僕らしく」形作るエレメンツになっているはずです。

小説の深さや奥行きをいかにもたせられるか、というのは読書量に比例するところが、かなり大きいのではないか、と思っています。
結婚し、子供が産まれ、会社でもそれなりの仕事を任せられる年齢になってからの読書量というものは、おそらく学生時代の20分の1、いや50分の1くらいに減ってしまっているのではないか、否、ほとんどといっていいくらい、読書時間がなくなってしまっている……。

大人になると、現実生活に追われ、優雅に小説を読みながら、個人的な空想世界に浸る時間が圧倒的になくなってしまう。

今、自身に不安があるとすれば、「小説が書けなくなる」ということではなく、「本を全く読めてない現状」が、これから自分の書く小説の世界をどれだけ“狭めてしまうか”ということに対する不安です。

もし、僕よりもずっとお若い小説家志望の方がいたら、是非言っておきたいと思います。とにかく、時間のある若い今のうちに、なるべくたくさん読書はしておいた方がいい、ということを。社会での経験値は、社会に出れば自然と日常生活の中で上げることが出来ますが、読書量を増やすことは、他の社会関係性が増えてくるにつれて、俄然難しくなってきてしまいますから。もっとも、人により環境は違いますから、全ての人がそうだとは言いませんが。

小説を書く、書かないは別にして、そこで得た数々の言葉やものの見方、見識は将来必ず役に立つと思いますし、「文章」を、人よりも「“少しだけ”上手く書ける」ということは、これからますます必要とされる能力になると確信しています。(→続く

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