③読み手は誰か
「誰」に向かって「何を」語るのか。
つまり「読み手」の視線を意識する、ということです。
そもそも論として、「いい小説」とは何か。誰にとっての「いい小説」なのか。誰が「いい小説」かどうかを判断するのか。
もちろん、好き勝手に書きたいように書いて満足して終わり、っていうのなら、実はいいも悪いもない。そういう価値基準は必要なく、それはむしろ書いている本人の「快か不快か」という問題だけです。誰に見せるのでもなく、自分だけの秘密の楽しみとして書くのであれば、自分が満足するか否か、ということが大切で、自己完結のカタルシスだけを求めるのならそれで問題ありません。
でもなぜ、あなたは「いい小説」を書きたい、と思うのか。
それはその次のステップとして、自分以外の第三者に「いい小説だね」とか「楽しかった」とか「素晴らしい」とか、何らかの評価、反応を得たいからではないでしょうか。所謂、マズローの欲求段階でいうところの「承認欲求」の満足です。あわよくば、新人賞を取って華々しく作家デビューを果たしてみたい等と思うからです。
「いい小説」を書くということは、自己満足で終わらせることではなく、それを第三者に認めてもらい、社会的な自己実現を図る可能性があるからです。
では、誰にとって「いい小説」なのでしょうか。
こうしたことを考えるのは、正に経済でいうところの「マーケティング」の理論と似ています。あなたの顧客は誰なのか、ということです。
僕のように、曲がりなりにも著作の一部を電子書籍として有料で販売している者にとってみたら、それは特に強く意識しなくてはいけないことです。「商品サービスを提供し、読者から対価を得る」という市場原理の中に身を置いていると、本人が望む望まないにかかわらず、必然的に他の書籍と競争しなくてはいけなくなるわけですからね。
そう考えると、やはり書いたものが「誰かと似ている」「誰かの焼き直し」みたいなものでは駄目で、その書き手にしか書けないような世界観、文体、「〇〇ワールド」を形成する必要があります。「商品の差別化」や「ブランディング」といったものです。
そのためにも、前回「生きること」ということを伝えたわけですが、「いい小説」との評価を受けるために、その「いい小説」と評価を下す「自分のお客様」は誰でどこにいて何を求めているのか、は意識する必要があると思うのです。(→続く)