『結婚記念日』

 妻と結婚してからのこの二十年という歳月は、妻がどう感じているのかは知らないが、僕にとっては明け方に見る夢のようにあっという間に過ぎていった。振り返れば、夢も希望も生活も身の丈に合わせ、自身に課せられた必要最低限のノルマを必要最低限の労力でこなしていくばかりの日々だった気がする。
 その間に、僕の腹周りには脂肪が蓄積し、妻の顔には細かい無数の皺が刻み込まれていった。

 「結婚記念日」のその日、僕は妻に内緒で二人だけの一泊二日旅行を企画した。妻に内緒と言っても、ひょっとしたら妻の記憶にはあるのかもしれないが、当時の結婚式のオプションとして、「二十周年記念サプライズツアー」というものがあったようだ。
 ある日、「親展」と書かれた封書が会社の僕宛てに届くまで、そんなものが特典としてついていたことなどとうの昔に忘れていた。その封書には、式を挙げたホテルの支配人名と、「NPO法人夫婦のキズナ再生協議会」という団体の名が差出人欄に記されていた。
 キズナ。
 カタカナで書かれたその言葉の意味を、僕は考えた。あの頃に比べ、今の僕と妻との間に、どれ程の絆が保たれているのだろうかと。
 先日も妻と口論したばかりだった。きっかけは高校受験を考えなくてはいけない息子の教育に関することだった。僕が言い放ったある言葉が彼女の逆鱗に触れたようで、一週間、お互い口も聞かない日々が続いた。
 妻には、一年の間に何度かこうした癇癪を起こす時があった。人が真剣に話をしているのに上の空で聞いている、子供とまともに向き合おうとしていない、あなたからの話題がない、家事を手伝わない、給料が上がらない、付き合いの酒が多過ぎる云々。
 その時々によって内容は様々だが、それでも以前までは、日を跨ぐ前に関係は修復していた筈だった。
 僕は感覚で物を口走ってしまうタイプなので、矛盾を含むこともしばしばあった。その矛盾は、恐るべき記憶力に裏打ちされた妻の合理的な論理でたちまち論破された。口ではとても妻には敵わないのだ。最終的には、「家族に対する愛情と思いやりの欠如」という印籠の前に僕はひれ伏すより他なかった。
 ところが、最近は自分が折れても一日では解決せず、三日、一週間と尾を引く時間が長くなっていた。
 結婚以来、家のことは妻に任せっきりで、確かに思いやりは欠けていたかもしれない。しかし僕の仕事量も勤続年数を重ねる毎に増えていき、帰宅時間もじわじわ伸びていたので、家のことや子供に関わっている物理的な時間も心の余裕も少なくなっていたのは事実だった。
 馬車馬のようにあくせく働く割に年収の増えない中、子供が大きくなるにつれて出費だけは嵩んでいく。結婚した当初思い描いていたような将来の自分たちの姿からは、幼児のいたずら書きとレンブラントの絵くらい異なっていた。

 狭苦しい一軒家の我が家の前に横付けにされたのは、ぴかぴかのキャデラックのリムジンだった。こちらが恥ずかしくなるくらいの派手な演出だが、二十周年記念だし、普段経験できない趣向をこの時ばかりはと楽しむことにした。
「素敵。こんな車、映画の中でしか見たことないわ」と、妻は目を輝かせて後部座席に腰掛けた。真っ黒なレザーシートに体を埋めると、まるで自分自身も映画俳優か芸能人になったような気分だった。
「それでは井上様、出発します」
 白手袋をはめた品の良い運転手は、これ以上ない丁寧さでドアを閉め、運転席に座りサイドブレーキを解除した。
「啓太の修学旅行に合わせてくれたのね。二人だけで外出なんて本当に久しぶり。前から考えてくれていたの?」
「もちろん」
 前からと言っても、せいぜいあの案内状が届いた日からだが。
「リムジンなんて贅沢過ぎる。お金の方は大丈夫なの?」
「心配しなくていいよ。この日のために、ちゃんと貯金しておいたんだから。楽しもうよ」
 実際、費用は無償だった。二十年前に前払いしたサービスなのだ。
「そんなこと考えてくれてたなんて。本当ありがとうね。最近あなたには酷いことばかり言ってしまって」
「もういいって」
「これから何処に?」
「それは、お楽しみに」
 と言いつつ、僕自身も今日一日どういうコースになっているのかは知らなかった。(→続きはAmazon(Kindle)で)