2017-06-21

夫婦をテーマとした4編の短編集を再出版しました。

ご無沙汰でした。
高橋熱です。

再出版に向けてリライトを行っていました下記の短編集が、昨日アマゾンにて出版開始となりした。

今回リライトを思い立った背景は、各短編とも当初の執筆から既に数年~十数年が経過しており、誤字脱字はもちろん、内容の一部にやや時代にそぐわない点が出てきたことと、現在の僕の視点で、もう一度改めて小説のコアや伏線を見直してみたい、という欲求が生じてきたからです。

「完璧な文章は存在しない」という信念、従って「完璧な小説も存在しない」という観点から、小説について「これで完成です」ということはないと僕は思っていて、良い小説を創る為のリライト作業、ブラッシュアップというのは永遠に続けていくべきものだと信じています。また、それが一般の印刷物とは違う、電子書籍やWEB小説の良いところだと思っています。

多かれ少なかれ、時が経過すると共に僕自身も年をとり、僕なりの人生経験知も蓄積されている(のはず?)中で、元来この4つの小説たちが本当に語られたがっていることに常に耳を傾けていくことは、小説の中の登場人物たちにとっても、僕自身の責務であると思っています。

従って、今回の改稿も、誤字脱字や文章リズムの見直しだけに留まらず、小説の「核心」の一部に手を入れているものもあり、以前読んでいただいたことのある方にも、また違った風合い、印象をもって読んでいただけるのではないかと確信しています。

ここのところ、「ポケットノベル」と勝手にカテゴライズした「1,500字完結」の小説ばかり書いていたせいで、その十倍、二十倍のボリュームの小説(それでも一般的には「短編小説」です)と相対すると、とても長い長い小説に感じられ、今これだけのものを書いてみろ、と言われると、実際書けるのかどうか、ちょっと尻込みをしてしまう感じですが、しかし今回のリライトを通じて分かったことは、この長さ、このボリューム感がないと「伝えられないこと」もあるんだ、ということを改めて感じました。小説の「深み」というか、「奥行き」というか。それに、ワクワクしたりドキドキしたり、旧友たちと何年振りかに再会した時のような、自身とても懐かしい感覚もありました。これは新発見でした。

元々リライトするのは好きなのですが、今の自身の持てる全精力を傾けて、一編一編丹念にまとめ直した短編集ですので、是非ご一読いただき、またご感想もいただければ幸いです。

また、前回のブログでもお伝えの通り、短編集については今後もう2冊、既刊を見直し再出版する予定ですので、今しばらくお待ちください。

『若い夫婦がベッドの中で話すこと』
 ~夫婦に関する4つの短編(Kindle版)~

【収録作品】
1.『青虫』(16,800字)
2.『湿疹-ステロイドと赤い下着』(28,000字)
3.『奇跡の微笑は、いつものフードコートから。』(25,600字)
4.『若い夫婦がベッドの中で話すこと』(14,000字)
若い夫婦他3短編集

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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1,500文字完結の20のショートストーリー。
アマゾンkindleにて爆売中。
『若きセールスマンの安息』(Kindle版)
ASIN: B06XSL638Z【第1版 (2016年3月)】

■短編小説専門
高橋熱(Atsushi Takahashi)

HP: http://pandoranovels.com/
Twitter: http://twitter.com/Atsushi_Takah
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2017-05-25

旧作、再アップに向けてリライト中。

こん○○は。
高橋熱です。

これまで、アマゾンkindleで頒布していた下記の書籍については、小説をより読み易く、面白く読んで頂く為、一斉リライトを行います。

また合わせて書籍ごとのコンテンツを組み換える為、一時的に出版停止といたしました。近日、改めて再出版させていただきますので、今しばらくお待ち下さい。

なので、しばしポケットノベルも中断します。リライトが終わったら、また再開します。たぶん、ですが、1ヵ月くらいはかかるのではないかと思ってます。

どの小説も、ポケットノベルと比べるとずっと長いし、初期のものになると、大学生の頃(30年近く前)に書いた物まで含まれてますので(どれとはいいませんが、読んで頂ければ、かなり文体や印象が違うので直ぐに分かって頂けるとかと)、内容がかなり陳腐化、といいますか、今の感覚にはそぐわない表現やアイテムが登場しており、その辺りを、小説の基本的な骨格は維持しながら、今読んでも遜色のないものにしようと思ってます。

それにしても、自分、本当にリライト作業が好きなみたいで、とても愉しみながらやってます。まるで元カノに町でばったり遭遇し、見違えるほど大人の女として魅力的になってて、また交際を始めようかどうしようかと妙にわくわくしている的な感覚です。(変な喩えですいません^^;)
でも、こうした作業が簡単にできるのは、やはり電子書籍やWEB小説ならでは、ですね。

以前、既に読んで頂いた方にも、また違った印象に見える小説にするつもりです。
場合によっては、結末が変わる小説もあるかもしれません。
お楽しみに。


◆『若い夫婦がベッドの中で話すこと~夫婦に関する短編小説集』

◆『ラブドールズ・ライフ~4つの奇妙な短編集』

◆『奇跡の微笑は、いつものフードコートから。』

◆『既婚同士で話しませんか?~ネット恋愛を巡る三つの短編』

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2017-05-20

不倫の末路にある、あまねく倦怠的な

不倫の末路
『不倫の末路にある、あまねく倦怠的な
 

 ソファの肘掛けはひび割れていた。今までここで何組の男女が粘液を交わし合ったかを思うと、せめて下着くらいはきちんと着るべきだったと後悔した。
「次はいつ会えそう?」
 口紅を塗る前の最後の口付けを交わした後で、女は聞いた。
「年度替わりは何かとね。来月下旬を過ぎれば」
 手持ちの現金を頭に浮かべながら、男は答えた。
「そんなに先?」
「ごめん」
「その辺、多分生理」
 男は何も答えなかった。シャツを着る時、脇の下に痛みを感じた。二回目の性交の際に違えた筋だった。年だな、と男は思った。会社のロゴ入りの社章が上着に付いたままだった。女と会う時は、社章と指輪は外すと決めていたのに、今日はそのどちらも忘れていた。
「無理言っちゃ駄目だよね。分かった。また調整しよ」
「本当にごめんね」
「そんな謝らないで。私だけが凄く我儘言ってるみたいになるから」
 女はバスローブを脱いでブラを着けた。女の下着は、いつも初めて見るものだった。色もデザインも男の好みだったが、鮮度が保たれるのは、会って最初に脱がす瞬間までだった。
 矢鱈に気だるかった。これから電車に乗って帰ることを思うとうんざりした。頭もくらくらしていた。女は無言のまま三面鏡に向かって化粧を進めた。家に帰れば思春期の男の子を二人抱える母親だった。もしこの事実を知ったら、と男は考えて止めた。男の思考はいつもぶつ切りで結論は先に送られた。
「ライン、ちょっとだけいい?」と女はスマホを手に言った。「明日から修学旅行なの」
「もちろん」
 男も自分のスマホを見た。妻と会社から一件ずつ着信が入っていたが、どちらも留守録はなかった。テーブルのゴミを片付け、空き缶を潰し、くしゃくしゃのシーツを伸ばした。女が難しい顔でラインを打っている間、男は手持ち無沙汰だった。ごめんね、と女はスマホを仕舞った。
「お待たせ。ごめんね、文也、本当」
「何が?」
「ううん、色々と」
「謝ることなんて何もないよ」
「せっかく二人だけの時間なのに」
「お互い家庭があるんだから仕方ないよ」
 女は肩の力を抜いて、男に微笑んだ。男は上手く笑顔を返せなかった。とにかく早くこの場から立ち去りたかった。ホテルのキーを掴み、行こうよ、と女に言った。

 濃密な夕暮れが辺りを覆っていた。ホテル街から駅までは少し遠回りの道を選んだ。外に出たらお互い離れて歩くのが暗黙のルールだった。しかし女は、男の側を中々離れようとしなかった。
「手、繋いでもいい?」
 予想外の言葉に、男は息を飲んだ。一緒に歩くだけならまだしも、手を繋いだら言い訳は出来ない。この明るさだと、顔を識別することはまだ充分可能だった。
「ちょっと危険じゃない?」
「ホテルから出たらもう知らん振りなんて寂し過ぎる。大通りに出るまででいいの」
 男の返事を待たずに女は男の手を掴んだ。男は諦めて握り返した。この界隈も会社の営業のテリトリーだった。擦れ違う人々が皆自分達を観察している気がした。
「夢はね、昼間の太陽の下で、普通の恋人同士みたいに手を繋いで町を歩くことなの。でもそれは一生叶わない」
 誰か知り合いに見られたらまずいのはお互い様なのに、男はいつでも手を引く準備は出来ていたが、駅に近付けば近付く程、女の握力は益々強まった。

「また連絡して」
 別れた後の電車で、女からラインが入った。男は直ぐには返信しなかった。潮時という言葉が頭に浮かんだ。別のライン通知は同僚からだった。
「奥さん、変えた?」
 末尾に置かれたアニメの顔文字がにやにや笑っていた。まだ七時なのに、外は深夜の様だった。下腹にひりひりとした痛みを感じた。
 俺だって三人の子供の父親なんだよ。
 吊革に掴まったまま、男の意識は失われつつあった。(了)


 

2017-05-19

電子書籍の無料配布を一部終了します。

高橋熱です。
未だ春花粉(カモガヤあたり)と格闘しながら、
変わらず短い小説ばかりしこしこ書いてます。

さて、長期間に渡り無料にて頒布して参りました、
電子書籍については、超短編集とポケットノベル集に限り、
有料に戻させていただきます。
無料期間中は、実に多くの方にダウンロードいただき、
また一部の方にはレビューまで付けていただき、本当に
ありがとうございました。
(楽天の方はDLが殆どないのでリストから落としました)

残りの短編集については、執筆から相当の年月が
経過していることもあり、一度大幅に見直しをしてから、
再編集したものをアップしたいと思います。
(それまでは無料のまま置いておきます)

小説を書くのに王道はなく、またこれで完成というのも
ないと思っています。
なので、いつも筆を入れ直したくなりますし、
後悔や自己嫌悪を繰り返すことになります。

それでも、日々、自分なりのスタイル、個性を研究しながら、
さほど派手ではないけれど、どこか気になる人だよね、と
思ってもらえるような作家を目指して精進したいと思ってます。

僕の小説のテーマは、そのほとんどがいつもの身の回りの生活や
家族、異性とのコミュニケーションにあります。
生きることそのものが小説であり、
小説を書く行為そのものが、生きることに繋がります。

なので、これからも僕は生き、小説を書き続けようと思っています。
生きるって大変だけれど、実はとても楽しいんですよ?

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2017-05-09

おむすび

おにぎり
『おむすび
 

 サランラップに包まれたまん丸のおむすびが一つ、路上に落ちていた。朝時間がない中慌てて握ったのか、海苔も巻いていないシンプルなおむすびだった。綺麗な街並みが人気の住宅地なので、道の中心にあるべきものとしては余りにも不似合いだった。
 私は出勤途上の足を止め、何故ここにおむすびが落ちているのかを考えた。もしこれが小さな子供のお昼御飯だったらどれ程悲しい事か。あるいは散歩がてら食べようと思っていた年寄り夫婦の腹の足しとか。
 いくつか想像を巡らせた結果、おにぎりの所有者は子供ではないか、と私は見立てた。友達とふざけ合いながら登校しているうちに、ランドセルから飛び出してしまったのだ。
 おむすびごときで電車一本乗り過ごしてしまうのは、後で考えれば詰まらぬ事だが、その時の私は仕事と家庭のごたごたで気持ちが参っていたせいか、やや感傷的になっていた。
 その間、何台かの車や自転車が目の前を通過したが、おむすびは奇跡的に難を免れた。側を行く同輩や学生も、おむすび、そしてそれに釘付けになっている私には目もくれず、先を急ぐばかりだった。
 であれば尚のこと、私にはそのおむすびの存在が偉大に思えた。世の中全ての母の慈愛そのものだった。現世における神ですらあった。
 いつしか私はおむすびを前に跪き、ひれ伏し、手を合わせていた。そうしなくては収まりが付かなくなっていた。
 最後に柏手と礼拝をし、私は後ろ髪をひかれる思いで、ようやく駅に向かった。曲がり角で見切るまで、何度も振り返りながら、おむすびがいつまでもそこに鎮座している姿を見守った。私の中に、建設的で溌剌とした何かが宿り、くすぶる自嘲と厭世を駆逐した。その一連の思考と行動を馬鹿げていると思うには、私の頭は余りにも疲れていた。

 午前中の仕事はまるで手に付かなかった。あのおむすびはもしかすると、どこかの誰かが私の為に握ってくれた物なのだとさえ思った。そう思うと居ても立ってもいられなかった。私は早退届を出し、他の社員の冷たい視線を感じながら正午で仕事を止め、帰宅の途についた。
 おむすびは、未だ手つかずのまま路上にあった。今しがたみたあの姿形、位置関係もそのままに。私はハンカチでおむすびを丁寧に拾い上げ、鞄にしまい、意気揚々と帰宅した。
 妻は外出しているようだった。おむすびをダイニングテーブルに置き、熱い湯船を張り、これから執り行う儀式について瞑想した。奇跡のおむすび。私は勝手に命名していた。ひょっとすると、このご飯粒の小さな集合体こそが、五十を過ぎた私の不安の霞を吹き飛ばしてくれる救世主なのかもしれない、私は本気でそう思った。
 風呂から上がると、妻がダイニングに腰掛けておむすびを頬張っていた。既に食べ終わる頃で、ラップについたご飯粒を指で摘まんでいた。私はバスタオルを腰に巻いたまま、その場に呆然と立ち尽くした。
「どうしたの?」と、妻は目を丸くした。
「早退してきた」と私は正直に言った。
「調子でも悪いの?」
「いや、そういう訳では」
「おむすび」と妻は最後まで聞かずに言った。「鞄に入れたつもりが忘れちゃったみたい。お昼休憩で一旦帰宅したの」
「お昼休憩?」
「今日からパート始めるって言ったよね?」
 私ははっとした。以前そんなことを言われていたような気がした。
「本当、最低」
 妻はラップをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨て、何も言わずに家を出て行った。あれ程ゆっくり湯船に浸かった筈なのに、私の体は既に湯冷めしていた。
 矢鱈腹が減っていた。余り物のご飯を温めてラップで握り、塩だけまぶして一口齧った。がりとした塊りが奥歯に触れた。これ程不味いおむすびを食べたのは生まれて初めてだった。(了)


 

2017-04-22

こだわり

こだわり
『こだわり
 

 昨年九月十日、その日は既に不穏の気配を孕んでいた。空は厚い雲で覆われ、早朝から夕刻の様な暗さだった。台風は太平洋岸をなめるように進行していた。風雨に耐えられるよう、私はいつもの倍の時間を掛けて、入念にドライヤーを当てた。
 私が特に拘っていたのは、真正面から正視した際の前髪のスタイルだった。分け目は65対35、右目涙丘の延長線上に作るのを基本とした。分け目の前髪の根元から二センチ垂直に立ち上げ、そこから重力に従ったナチュラルな放物線を維持したまま、合わせて両眉毛を隠す位置に前髪の先端部が位置するよう、デンマンブラシと櫛を用いて調整した。
 その際、前髪は決して直線でも湾曲し過ぎてもいけない。流れるラインはあくまで自然でなくてはならず、作為性を感じさせたりヘアスプレーを大量にかけ過ぎたりするのは愚作である。違和感を修正出来ない場合は、何度でもシャンプーからやり直す。
 私の髪は癖毛だった。湿度が高いと、その特徴は顕著に表れた。縮れた髪はたちどころに水分を吸収し、一旦垂直下降を目指した筈の先端部は、眉毛の上1・5センチ地点で切り返し、勝手に上昇カーブを描く。まるで前髪全体にビューラーを当てたかのような「カール状」となる。
 それは私が最も忌み嫌う姿だった。その髪型を人前で晒すことは、気恥かしいといったレベルの段階ではなく、自我を封印し、いかなる人間的思考も停止させなければ、一日やり過ごすことなど不可能であった。
 従って、日頃は芯と腰のある直毛の人が羨ましくて仕方がなかった。風雨だろうが汗をかこうが、朝から晩まで髪型が寸分も変化しない、スプレーなどの整髪料を一切使う必要のない人種というものが、この世の中には少なからず存在する。「もし、生まれ変わるとしたら、どんな人間に生まれたい?」と聞かれたら、私は何の躊躇も留保もなく、そうした髪質を持つ人間に生まれたい、と答えるであろう。
 九月十日のヘアースタイルには、約一時間を要した。当日の風速と湿度から、いつも以上に補強した。スプレーを掛け過ぎた嫌いはあるが、しかしその位しておかないと、その日の風と湿度では、忽ち崩壊するのは明々白々だった。
 出勤直前、雨は止んでいたが、霧状の雨水の粒子が大気中をくまなく漂っているのが肉眼でも見えた。下手をすると駅までももたない。
 とはいえ出社拒否する訳にもいかず、勇気を出して飛び出した。会社まで持ち堪えられれば会社でリカバリーできるという淡い期待は、マンションを出た直後の突風によって、一瞬にして粉砕された。
 私は直ちに家にとって返し、三面鏡の中の自身の姿に絶句した。あれほど時間を掛けてセットした痕跡は跡形もなく、前髪はもはや他の領域と区別すら出来ない程、頭頂部に同化し、側頭部に吸収された。突風の破壊力は圧倒的だった。私は絶望に打ちひしがれた。職場に電話を入れる気力もなく、髪をぐしゃぐしゃ掻き毟り、壁に額を打ちつけた。癖毛に産んだ亡き親を恨み、社会を恨んだ。
 以降私は部屋に閉じ籠り、一歩も外に出ることはなかった。

 あの日から、まもなく五年が経過します。髪の全てを切り落とした今となっては、何故あれ程までに前髪に固執していたのか分かりません。髪型を気にしないということが、どれほど生活に潤いを与え、人生を生き易くするのか、もっと早く気付けば良かった。
 僧侶を辞することがない限り、前髪で悩むことは二度とないでしょう。執着の煩悩から解放され、今はとても清々しい気持ちで一杯です。
 皆様も、その拘りを一度捨ててみて下さい。自分の全てだと思っていたものは実はただの思い込みであり、これまでとは全く違った世界に出会える筈ですから。(了)


 

2017-04-19

水漏れ

水漏れ
『水漏れ

 三日前からこんな感じなの、と妻は蛇口のレバーをゆっくり上下させながら言った。継ぎ目から、水が漏れていた。操作の仕方によって、じんわり染み出す時もあれば、飛沫が噴き上がる瞬間もあった。
「直せる?」
「パッキンだとは思うけど、部品がないから今は無理だよ」
「じゃあ今夜は? ずっとこれじゃ水道代が」
「今日は飲み会があって」
「明日は?」
「会議で九時過ぎ。駅前のホームセンターは何時までやってるの?」
「八時」
「間に合わないな」
 夫は時計を見た。一つ思い出した仕事があり、一本でも早い電車に乗りたかった。
「クラシアン頼んだら」
「パッキンくらいで簡単に言わないでよ。ただじゃないのよ」
「ごめん、そろそろ行かなくちゃ」
 三日前からの話を何故今このタイミングで言うのだろう、と夫は思った。妻からの大事な話は、決まってゆっくり耳を傾けられる態勢になっていない時だった。
「私じゃどうにも出来ないから相談してるのに」
 妻も苛立っているのが分かった。パッキンと言ってはみたものの、自分で交換した記憶はなく、出来るかは疑問だった。有料でも業者に見てもらうのが一番早いし確実だ。
 水漏れ具合に変化はなかった。妻はどうにか止められないかと、継ぎ目の金属を左右に回したり、指で隙間を塞いでみたりしたが全く効果はなかった。
「業者呼ぼうよ」
「パッキン交換すれば直るんでしょう?」
「それはやってみなくちゃ分からないから」
「やってよ」
「だから、今は時間がないって」
「いつやってくれるのよ」
 妻のけちさ加減にも限度がある。夫は無言でその場を離れ、コートを羽織った。妻はずっと洗面所で格闘しているようだった。後ろ髪はひかれるが、やり忘れていた仕事の事で夫の頭は一杯になっていた。水漏れは放置しても少し水道代が増えるだけだが、仕事の失敗は、お金ではなく精神的ダメージを受ける。
行ってきます、と夫は家を出た。もちろん、妻から折り返しの返答はなかった。

 昼休みに、今夜の飲み会が中止になった旨をメールしたが、妻からの返信はなかった。返信がないということは、緊急事態は免れているのだと夫は勝手に判断した。
 帰宅すると、妻は不在だった。洗面台の蛇口は特に異常なく、漏水は止まっていた。レバーも継ぎ目も、新品のようにぴかぴかだった。それから三十分程して妻は帰宅した。
「飲み会じゃなかったの」と妻は驚いたように言った。
「メールいれたよ」
 夫が履歴を確認すると、メールは未送信フォルダに入っていた。
「たまたま隣の望月さんと駐車場で会ってこの話をしたら、直ぐ飛んで来てくれて全部取り換えてくれたのよ。ねえ、水道工事屋さんで働いてるんだって。偶然でしょ? 本当、助かっちゃった」
「そうなんだ。奥さん凄いね」
「何言ってるのよ、旦那さんの方よ。とても若い旦那さんで超イケメンなの」
とても嬉しそうに、妻は言った。
「いくらだったの?」
「ただ。奥さん綺麗だから代金いらないって」
「ただなんて、それは駄目だよ」
「嘘よ。明後日はね、トイレの水が中々止まらないのも直してもらうの。どこかの人と違って、頼もしい旦那さん」
「明後日、会社休むよ」と夫は言った。胸騒ぎがしてならなかった。
「休む必要ないじゃない。望月さんがやってくれるんだから」
「いや」と言った後で夫は言葉を濁した。若い隣人が昼間の我が家に上がり込み、トイレや風呂場を覗き見ている姿が、それを幸せそうに追っかけている妻の姿が、どうにもいたたまれなかった。
「仕事休めないって、あれ程言ってたくせに」
 妻は夫を一瞥した。予定も確認せず勢いで休むと口走ったのには、夫自身も驚いた。
「たまにはランチでもしようよ」
 その言葉は他人の呟きのように、虚空に消えた。(了)


 

2017-04-13

畜生

畜生
『畜生

 ケージの扉は開いていた。内側から外す事は、いくら狡猾な動物でも容易い作業ではなかった。今朝、餌をやる時にロックをし忘れたのだと、母は悔いた。
「帰ってきたらいなかったよ、ママ」と息子は言った。「家中探したけど、何処にもいないんだよ。ベランダから落ちたのかな」
「あなたたちで世話するっていうから許してあげたのに、結局面倒見てるの、ママじゃない」
「だってね、タロウの奴、僕が餌あげようとすると噛みついてくるんだよ。飢え死にしそうだったとこ助けてやったのに」
「あたしもねママ、散歩連れてっても逃げようとするし、うんちも何度も何度もするし、他のペットと喧嘩しようとするから嫌い」
 そんなこと言わないの、と母はスーパーの袋を肩から下ろして、ケージの中の餌の残骸を眺めた。外出時にあげたキャベツの芯には、一か所だけ歯型を残して殆ど手を付けていなかった。良い物ばかり与え続けてしまったせいか、最近は食べ物も選り好みをしている様だ。
「もう一度、探してみよ?」
 帰宅直後のハプニングに幾分うんざりしながら、押し入れを開けて布団一枚一枚を下ろしている母を見て、二人の子供も仕方なく自室や台所を探った。もう何度も探した筈だった。手掛かりは全くなかった。
「もういないよ、ママ」最初に音を上げたのは息子だった。それを聞いて、娘もその場にへたり込んだ。飼い主の思うようにならないペットなど、癒しの足しにもならない。「分かったわ。少し放っておきましょう。またひょっこりお腹が空けば出て来るかもしれないから」
 母は諦めて、エプロンを締めた。
「どうしても見つからなかったら、今度はもっとちゃんとしたの買ってあげるから」
「本当?」二人同時に驚きの声を上げた。
「健康できちんとした血筋のやつをね」
「やった。嬉しい。もうタロウなんていい。逃げてくれて良かった、ねえ、ママ」
「こらこら、そんなこと言っちゃ駄目よ、ジョン。タロウのこと、可愛いと思ったから連れてきたんでしょう?」
「弱ってて可哀相だったからだよ。僕もお腹ぺこぺこなのに何も食べられなかったら辛いもん。お慈悲お慈悲」
「お慈悲なんて。そんな言葉何処で覚えたの」
「タロウが涙目で言ってた。でもあいつ、嘘つきだよ。全然泣いてなんてないよ。その時だけそんな顔するんだよ。ねえ、ママお腹空いた」
「直ぐ支度するから待ってて。戸棚にある子牛のあばらでもしゃぶってて」
「やった。ショコラ、DSやろ」
「やる」
 二人はおやつを持って、ばたばたと子供部屋に戻った。母は探し忘れているところが他にないか考えた。
ベランダ。
 いくら拾ったペットとはいえ、毎日餌やりなどしていると、それでも愛着は湧いてくるのだった。新しいペットの話をしたのは少し早計だったかなと後悔した。包丁を持ったまま、母はダイニングからベランダに通じる扉の鍵に手を掛けた。
 そこに立っていたのは、タロウだった。髪はべったり濡れ、泣いているようにも見えた。何処かほっとした気持ちだった。キャベツなんかではなく、今度はもう少しまともなものを食べさせてあげよう、母は笑顔で扉を開けた。

*

 室外機の側は熱く、初夏の陽気と相まって全身汗だくだった。エアガンで撃たれたり、風呂場で水攻めにされたり、髪の毛を燃やされたり、子供達から受ける謂れのない仕打ちはもう懲り懲りだった。しかし家を飛び出したところで、食える保証はなかった。現世、人は犬に依存しなければ生きていけないのも厳然たる事実だった。
 戸の向こうで、包丁を握りしめている雌犬と目が合った。いよいよ、頼みの綱の母にさえ裏切られる日が来たのだ。溢れ出る涙、そして激しい全身の震えを、タロウは止めることが出来なかった。(了)


 

2017-04-07

ムック本のような。フリーペーパーみたいな。

ムック本のような。フリーペーパーみたいな。
そんなリアル雑誌が作れたらなあと。

例えば、自分の短編集が書籍化(電子書籍ではなく、リアル書籍として)するとしても、どうも従来のハードカバーで書店の文芸コーナーに並んでいるようなイメージがとんと湧いてこなくて。

一つ一つの短篇が、その短篇に合わせた書体であったり、文字の配置であったり。
一つ一つ、違った挿絵であったり、写真であったり。
それも有名な方というより、アマチュアかもしれないけれど、僕の小説を気に入ってくれて、とびきり素敵なイラストを描く絵描きさんや、とびきりムードのある写真を撮るカメラマンさんに協力をいただきながら。
フリーペーパー
そうして出来上がった、ファッショナブルな短篇小説のムック本。フリーペーパー。
タウンワークとか旅行のパンフなんかと並んで、駅や書店のラックに刺さってて。
通勤通学のついでに手にとってもらう、みたいな。

1ページずつ、短い小説を読みながら、ぼんやり写真やイラストを眺めていたら、ちょっとだけ、本当に少しだけだけれど、忙しない日常を、憂鬱な生活を忘れられるような。

でもそのムック本みたいな、フリーペーパーみたいな本は、いつ発刊されるのも決まっていなくて。
たまたま短い小説と、絵描きさんと、写真家さんとが意気投合した時だけ発刊される、偶然の産物みたいな感じで。

そういえば、そんなのあったなあ。あれ、最近見ないけれど、どうしたのかなあ。結構、格好良くて、洒落てて、面白かったよなあ。また次あったら、読みたいんだけどなあ。どっかにないのかなあ。と記憶の片隅にいつまでもこっそり残ってる、みたいな。

僕の今の理想は、そんな感じの出版物です。
多くのアーティストの方々と、小説を通じてコラボしてみたいなあ、と。
自分の小説のイメージを描いて欲しい、とか、写真撮ってとか、かなり自分勝手ですけどね。
いつかでいいから、そんなムック本みたいな、フリーペーパーみたいなもの、作ってみたいのです。

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1,500文字で完結の20のショートストーリー。
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