マスク

【超短編小説】リスク

 土曜の昼下がり、私は妻を食事に誘った。妻は内科と小児科のある町医者の門前薬局で働いていた。来る客の大半は発熱していた。感染対策は万全を期さねばならなかった。通常業務以外に、対策の為の作業が上乗せとなった。職場からクラス...

ずぶずぶ

【超短編小説】ずぶずぶ

 気のせいであって欲しかった。しかし間違いなく、その「ずぶずぶ」な感覚を、男は足の裏に感じていた。まだこの年で、と思ったが、自分よりもっと若くしてそうなってしまった人の情報に触れると、少なくとも五十になった今まで大過なく...

蕁麻疹

【超短編小説】蕁麻疹

 腹回りの痒みから始まった蕁麻疹は、胸、背中、腕、足、頭皮に至るまで、あっという間に全身に広がっていった。私はいつもどこかしら掻いていた。痒みには波があり、場所もその時々で違っていたが、手が止まっていることはなかった。家...

双子の車

【超短編小説】凹み

 駐車場に二台の車が並んでいた。一台は男の車であり、もう一台は隣人のものだった。トヨタのコンパクトカーで、色もグレードも全く同じだった。唯一の違いはホイールだけだった。隣人の車には、オプションのアルミホイールが付いていた...

ヤーゴンの住む森

【超短編小説】ヤーゴン、再び

 山道を外れ、特別の場所に作られたこの住処までは、さすがのマスコミも一般人も足を踏み入れることはないはずだが油断は禁物だった。このところ夜になると、懐中電灯の明かりが、真夜中でも山道近辺にちらついているのが見えた。話題の...

呪縛

【超短編小説】実家

 久しぶりの実家だった。「孫を連れて顔を見せることが親孝行」と世間では言われているものの、どうやら僕の実家の場合は異なるようだった。 実家に行くのは、仕事以上にエネルギーと覚悟がいることだった。大して年金は貰っていない筈...

恵方巻

【超短編小説】二月二日

 その日は、一二四年ぶりに「二月二日」となった「節分の日」だった。節分と言えば「二月三日」と決まっているが、今年はある理由があって一日前倒しになったようだ。しかし私にとっては、節分が二日だろうが三日だろうが、あるいは前倒...

夢のお告げ

【超短編小説】夢のお告げ

「それが変な夢なんだ」と俺は妻に言った。 妻は朝食の支度で台所と居間を行ったり来たりしていた。この忙しい時間帯に話すべきことではないのかもしれないが、夢の鮮度が落ちない前に、どうしても誰かに伝えておきたかった。二日連続で...

ロップイヤー

【超短編小説】うさぎになった妻

 うさぎのロップが亡くなってからというもの、妻はおかしくなりました。一週間泣き続けて涙を枯らし、やがて声を失い、遂に生気も尽きたようでした。 子供のいない我々夫婦にとって、ロップは我が子同然の家族でした。ちょうど十年目の...

サンタクロースがやってきた夜

サンタクロースがやってきた夜

 サンタクロースの出で立ちで、俺は煙草を吸っていた。妻は既に夢の中だった。吐いた煙がその場で凍り付く程の寒さだった。ただでさえ疲れていたが、今日はまだ眠る訳にはいかなかった。イブの夜、サンタは子供の眠っている枕元にプレゼ...

下着泥棒

下着泥棒

 話し合いの場は、既に整っていた。後は本人を待つだけだった。田中夫妻と藤木夫妻はマンションの隣同士、年が近く同じような時期に引っ越してきたこともあって、年に何度か食事をし合う程の仲だった。田中家に招くこともあれば、藤木家...

靴の小石

なぜ歩いていると靴の中に小石が入るのか?

 なぜ歩いていると靴の中に小石が入るのか、不思議でならなかった。砂浜や砂利道を歩いている訳ではなく、靴に穴が開いている訳でもないのに、何度取り除いても、しばらく歩くと、いつの間にか足の裏に小石を感じるのだった。 石を捨て...

似た者夫婦

似た物夫婦

 帰宅すると、妻はソファに寝そべって眠り込んでいた。テレビは点けっぱなしで、350㎖のビールの空き缶が、柿の種と一緒に放置されていた。元々、コップ一杯のビールさえ飲めなかった妻が、最近は缶ビールを一本空ける程になったのだ...

今日が永遠に続いて欲しいと本気で願うこと

今日が永遠に続いて欲しいと本気で願うこと

 大半の人々は眠っている時間帯だった。眠るとは即ち、明日を迎える覚悟が出来ているということだった。 五十を過ぎたばかりのその男は、いまだ覚悟が出来なかった。これほど明日が来ることに恐怖を感じることはなかった。今日が永遠に...

火種

火種

 一通り片づけを終えた後で、妻は居間にいる私の前に座り、かしこまった顔で言った。「ちょっと話があるの。どうしても許せないことがあって」 妻の唇が震えているのを見て不穏な気配を感じ、私はテレビを消した。「どうしたの?」「午...

土を食べる。

土を食べる。

 今朝、土を食べた。昨日も一昨日も、土だった。最近は土ばかりで、しばらく米を食べていなかった。さすがにこう毎日土ばかりでは辟易するが、妻はそうでもないようだった。家計が逼迫しているのだから仕方がないという消極的な選択肢で...

短編小説

短編小説

 あなたは今、「短編小説」を読み始めている。 私はあなたにどのような「短編小説」を提供しようか、思案の途中である。あなたにとって、この「短編小説」が少しでも印象深く心に刻まれるよう、これまでに類のない「短編小説」の完成を...

ねじ

螺子(ねじ)

 二十代半ばの若い夫婦の未来は、今や妻のパート収入にかかっていた。男は、結婚してからこれで五度目の職探しだった。気性の荒い短気な性格は、何処の職場でも馴染みにくかった。学がないことを直接的にも間接的にも批難されるのは精神...