【超短編小説】夢のお告げ

「それが変な夢なんだ」と俺は妻に言った。
 妻は朝食の支度で台所と居間を行ったり来たりしていた。この忙しい時間帯に話すべきことではないのかもしれないが、夢の鮮度が落ちない前に、どうしても誰かに伝えておきたかった。二日連続で全く同じ夢を見るというのは貴重な体験だったし、何かを暗示しているとしか思えなかった。
「品川駅、というのははっきりしてるんだ。そこからバスに乗って病院に向かおうとしてて。それが何の病院かは分からない。どこか調子の悪いところがあるようだけど、夢ではそれがはっきりしない。でも、どうしてもその病院に行かなければ、という切迫感だけはあるんだ。何かのお告げだと思わない? しかも全く同じ夢を二夜連続でさ」
「あまり夢見ないからなあ」
 妻は鍋にキャベツを放り込みながら、関心なさそうに言った。
「不思議とね、病院に着く前に目が覚めるんだよ。停留所を降りてから、その病院は目の前にあるはずなんだけど、どの建物か分からなくてね。スマホで調べようと思っても、うまくキーをタッチできないし。そのうち誰かに追われているような気がして、怖くなって逃げようとするんだけど、足が重くなったり空回りしてうまく走れないとか、本当にこういう夢って何なんだろうね」
「良く分からないけど、心配事でもあるんじゃない?」
「追われる夢はしょっちゅうだから、それほど驚かないんだけど、気になるのは病院なんだ。一体何の病院に向かおうとしているのか、何が悪いのか、それが気になる。もしかしたら病気のサインなのかと。夢の中では分かってるはずなんだけど、朝起きてみると、それが急にぼんやり記憶から薄れてしまう。どんなに思い出そうと思っても思い出せないんだよね。○×病院、その○×って部分が、いつも曖昧で。それにしてもさ、二日連続」
「ねえ、今日は残業はありそう? あるなら早めに言っといて。夜実家に食材届けたいから」
「ああ、うん。七時くらいまでは固いと思うけど」
 それを潮に、俺も支度にかかることにした。たかが人の夢の話になんて付き合ってる暇はないのだろう。妻だってパートがあるのだ。
 とはいえ、俺は気になっていた。「夢占い」をネットで調べる必要もないくらい、夢の意図は明快だった。俺の身体のどこかの変調を、俺の無意識下は訴えてきているのだ。最近の俺は弱気だった。四十を過ぎたあたりから、体の無理が効かず、血圧も上がり、疲れ易かった。色々な生活シーンで年を感じることが多くなっていた。いわゆる「老化に対する恐怖」のようなものが、夢で具現化されつつあるのかもしれない。二日連続ということなら「三日連続」もありうるのでは、と思った。何としても、病院を確かめたかった。
 鍋に味噌を溶くいい香りがした。妻は手際良く作業を進めていた。常にマイペースで日常を送れる妻の性格が羨ましかった。俺はシェーバーを顎に当てて、今宵に思いを巡らせた。

 バスに乗っていた。昨日見た夢と同じだった。同じバスに乗り、次の停留所で降りるつもりだった。しめた、と俺は思った。
「とまります」のボタンは既に光っていた。視力は良くなかったが、正面の電光掲示板に「病院前」と書かれているのは分かった。その言葉の前に何か書かれていたが、そこまでは見えなかった。漢字にも見えるし、カタカナのようにも見えた。最後の「病院前」という文字だけは、やけにくっきりと見えた。
 くそ、俺はもっと近くで確認しようと思ったが、混雑で思うように前に進めず、そうこうしている間にバスは停留所に停車したので、後ろの乗降口から降りた。
 近くに病院の気配はなかったが、多くのお年寄りが、ぞろぞろと一つの方向に向かっていった。
 お年寄り。俺はそのまま人の流れについていくことにした。足は昨日、一昨日と比べて軽かったし、誰かに追われる気配もなかった。
 列はある場所で左に折れ、白い建物に吸い込まれていった。どうやら病院らしい。俺は反射的にスマホを向けて、建物の全体像を押さえた。病院名のサインが掲げられた建物の壁面にズームして更に一枚撮った。それでもやはり、肉眼で見ると○×病院の○×の部分がぼやけて見えなかった。仕方ない、これは夢なのだから。
「ねえ、あなた」と俺は聞き馴染みのある女性の声に呼び止められた。
「今日は休みなの?」
 慌てて目覚まし時計を見た。一度アラームを止めてから二度寝してしまったらしい。
 俺は跳ね起きて、トイレに飛び込んだ。三度目も失敗だった。しかしこれは決定打だ。三日連続で同じ夢を見るなんて。
 夢のお告げを、俺は確信した。品川駅から出ているバス。○×病院。俺はスマホで天気予報とヤフーニュースの目次を確認した後、仕事で使う写真を会社のメールに送るため「ギャラリー」フォルダを開くと、ピントのぼけた白い建造物の写真が二枚、新規で保存されていた。
 さてこれは。サムネイルをアップして、俺は驚愕した。夢で見たあの病院の写真だった。病院名の部分はぼやけてはいたが、どうにか頭の文字が「都立」というのが読み取れた。

 そもそも、品川駅など行ったことないし、都立病院など縁がなかった。俺は病院が実在するのか気になった。通勤電車の中で、品川駅からバスで行く都立病院を調べると、何と一件、「都立広尾病院」がヒットした。実際にあるじゃないか。
 俺の鼓動は早まった。あまり血圧が上がるような緊張感は持ちたくなかったが、さすがにこればかりは興奮した。早速妻にラインをして、午前中で会社を早退し、広尾病院に行ってみる旨を伝えた。
「夢の話でしょう? どこが悪いのよ」と妻の返信は相変わらずそっけなかった。「どこが悪いか分からないから行ってみるんじゃないか」と俺は言った。「お好きにすれば」と来たので、「夕食までには帰るから」と返すと、「そのまま即入院になっちゃったりして」とにやにやしたキャラクターのアイコンと一緒にリターンされてきたので、俺はちょっと心配になった。即入院、満更冗談ではないかもしれなかった。
 俺は広尾病院までのバスルートを改めてネットで確認してから、瞼を閉じた。

 午前中で仕事を切り上げ、俺は山手線に乗り、自宅とは反対方向の品川駅に向かった。早退など久しぶりだった。激務続きで、翌日の業務量を考えたり、他の同僚の目を感じながらオフィスを後にするのは気が引けた。それでも今日こそは、どうしても夢のお告げが一体何なのか明確にしたかった。それにしても、品川といい、広尾病院といい、これまで行ったことも聞いたこともない実在する病院が夢に出てくるものだろうか。あるいは全くの偶然なのだろうか。
 妻の言うように、同じ夢が数日続いたくらいで何をそんなに気にしているのかと言われればその通りだが、今回の夢ばかりは、どうしても無視する訳にはいかない何かを感じた。それが何かは分からないが、これからの人生において、自身のアイデンティティ、あるいは生命そのものに関係する極めて重要な示唆を孕んでいるという気配だけは濃密に感じていた。
 夢で見たのと同じように、バスの車内は多くの乗客、高齢者ばかりで満たされていた。連日夢に見た、正にあの風景だった。「都立○×病院前」というアナウンスが聞こえた。アナウンスが鳴る前から、既にボタンは押されていた。回りの会話がうるさくて、やはり病院名が聞き取れなかった。視力だけではなく、聴力まで落ちてきているのかもしれない。しかし俺は気にしなかった。既に目的地が「広尾病院」であることは分かっているのだから。
 停留所に着くと、俺は自力で病院に向かった。一緒にぞろぞろと降りていった年寄りは俺の後に従った。スマホのナビは最強なのだ。間違いようもなかった。
 間もなく、三棟に分かれた白い建物が見えた。壁面のサインはなかったが、スマホの位置情報では、間違いなく「広尾病院」だった
 一番大きな建物に入ると広い待合があり、整然と並べられた椅子に老若男女の患者がまばらに腰かけていた。受付で初診である旨を伝えると「紹介状はあるのか」と聞かれたので「ない」と答えると、ピンクの白衣を着たベテランぽい女性はやや気難しそうな顔をして「どこが悪いのか」と俺に聞いた。
「実はそれが分からないのです」
 俺は正直に答えた。この数日、連続してこの病院を暗示する夢を見たこと、夢の中で、どうしても病院に行かなければならない強い理由を感じたこと、だから今日それが一体何なのかを確かめに来たこと、頭のおかしな人間だと思われても構わないという覚悟で、俺はありのままを素直に話をした。
「少々お待ちください」と言って、受付の女性はパソコンのキーを叩いた。「そういうことでしたら、『脳機能リハビリ科』をご案内します。今直ぐ診察できますが」
 脳機能リハビリ。初めて聞く科だったが、異議の唱えようもなかったので、俺は女性の勧めに従った。
 病室の前で、名前は間もなく呼ばれた。診察室はとても小さな部屋だった。ベッド一つ置いていなかった。部屋全体が白で統一されていた。統一したというより、診察室に最低限必要なものを、必要最低限の価格で買い揃えると、自然と白いものばかりになった、という感じだった。
「概ね、話は伺いました」と目の前の若い白衣は言った。どこかで見覚えある気がした。ネームプレートの名前が小さすぎて読み取れなかった。
「端的に言いますと、夢から目覚めない病です。何度でもループします。自然治癒は基本的にありません。特効薬があるので処方しておきます。あなたの場合は比較的軽度のようですから、おそらく一度飲めば大丈夫でしょう」
 若い医者はそう言って、俺に早々の退室を促した。俺に対する問診は何もなかった。夢から目覚めない病なんてあるのか。
 狐につままれた感じだが、俺は言われるがままに手渡された処方箋を薬に変え、品川駅の売店でペットボトルの水を買い、早速一錠飲んだ。
 それにしてもこの数日間、夢に見ていた「病気のお告げ」が、どこか身体的なもの、例えば癌であるとか、脳腫瘍であるとかを暗示するものではないことが分かり少しほっとした。もっとも精密検査を受けた上での結論ではないので実際のところは分からないが。ところで、俺はこんな結末で納得しているのだろうか。
 帰りの電車でずっと、俺は自問自答を繰り返した。思考を深く掘り下げようとすると他の意識に邪魔をされ、集中して考え続けることが出来なかった。一定の深度に達すると手打ちをし、まるでテレビのチャンネルをがちゃがちゃ切り替えるように、他の興味や関心事に気持ちが向いた。わざわざ半休を取ってまで、品川まで出向くほどのことではなかったかもしれない。
 妻には、このまま帰る旨のラインを入れた。「どうだったの?」とレスがあったので、「何もなかったよ」と返した。妻に「夢から目覚めない病」云々と言ったところで、きっと混乱させるだけだと思った。「無駄足だったね」と妻。「まあ、でも気掛かりなことが一つ解決したから」と俺。
「スーパーで油とからし買ってきて」
 山手線の車窓に流れるビル、そして橙色に染まり始めた空を眺めながら、日常日常、と俺は思った。夢なんかじゃなく、これは現実なのだ。俺はスマホを握り直し、妻に「りょ」と打とうとしたが、何度打っても、ミスタイプを繰り返した。

 俺は賑やかな目覚ましの音に起こされた。体が酷く重く、寝違えたと思うくらい節々が痛かった。疲労が抜けていないのは、起き上がる際の身体の重さで分かった。随分眠っていた気がしたが、実質四時間しか眠れていなかった。
 朝ご飯を食べたくはなかったが、今日のオペを考えると、本来はしっかり食べておくべきだった。こんな時こそ、妻がいてくれたらと思うが、出会う暇もない程、日々の仕事に追われていた。
 一口サイズのアンパンを齧りながら、車に乗った。本当は三日三晩、死んだように眠りたかった。とにかく疲れていた。仕事場に向かうのが苦痛だった。外来の患者に会うのが怖かった。早く結婚したかった。誰かに側にいて欲しかった。相当参ってる、脳機能の専門家としては余りにお粗末だと俺は自覚した。
 そして今日も、恐らく明日も明後日も、都立広尾病院に向かうのだった。(了)

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