ウォーキング

【掌編小説】ウォーキング

 男はずんずん歩いた。男の足取りは軽かった。中年で独り身の男にとって、休日のウォーキングは何よりの楽しみだった。ウォーキングをしている間は何も考えなかった。頭の中は空っぽだった。家のこと、仕事のこと、将来のこと、言葉はも...

階段

【掌編小説】階段

 僕らは階段を昇っていた。確か、どこかの商業施設の階段だった。おかしな話だが、何のために階段を昇っているのか目的を失念していた。目的が分からない故、どこまで昇るべきなのか目標も不明だった。 妻に確認を求めてみたかったが、...

極夜

【掌編小説】極夜

 太陽が失われて、既に三か月近くが経過していた。屋外は一日中、暗闇だった。もちろん、駅前の街灯やコンビニの明かりはあるものの、さすがに太陽の光には敵わなかった。電気代も馬鹿にならなかった。単純に三倍近くになった。妻は節電...

酩酊

【掌編小説】酩酊

 暗く長い眠りから、ようやく男は目を覚ました。本当に目が覚めているのか、実はまだ怪しかった。眼に映る天井の照明はぼやけ、きわどく歪んでいた。 昨夜は泥酔した。店で飲んでいる記憶は途中で切れていた。あれ程の酒量は珍しかった...

風という名のフォロワー

【掌編小説】あるフォロワーの死

 僕は毎朝、空の写真をアップしていた。起き抜けにベランダに出て、その時の空の写真をスマホで撮ってネットに投げた。それはもう日課だった。大した写真ではなかった。特別な操作はしなかったし、加工も補正もしなかった。ただスマホの...

同僚・リベンジポルノ

【掌編小説】同僚

「ところで」と、男の同僚は話題を変えた。同僚のウイスキーグラスは既に空いていた。男は時計を確認したかったが、次の言葉を待つしかなかった。会社の経営状態が酷く悪化していることや無能な上司の話には、いい加減うんざりしていた。...

静けさ

静けさ

 池は、いつも静謐だった。都会の住宅地にあるとは思えない程、辺りは鬱蒼とした木々に覆われ、水面はどこまでも暗く深かった。「立ち入り危険」の看板と規制線を侵して、少年は池を眺めるのが好きだった。細かな泡がぷつぷつ湧き上がっ...

未来について語るときに我々の語ること

未来について語るときに我々の語ること

 男と女は、公園のベンチに腰かけている。二人の間には雑誌一冊分の隙間が空いている。他に人影はなく、時折強く吹く風が、古ぼけた欅の葉を揺らしている。男は空を見上げる。三つ程星は確認できたが、それ以外は何も見えない。昔はもっ...

夕病み

夕病み(ゆうやみ)

 毎月第三水曜日は、「夕病みの日」だった。日没の時間帯になると大半の人は無気力になり、虚脱した。目はうつろで呼吸は浅く、表情は老若男女問わず乏しくなった。しかし翌日には嘘のように症状は消えた。星回りやら気圧の関係やら新種...

毟る男

毟る男

 男は「毟る」ことが好きだった。好きというより、うがい、手洗いと同様、今や習慣となっていた。手癖のように、いつも何かを毟っていた。何かを毟っていると、不思議に心が安らいだ。 毟る対象は様々だった。手近なところでは自身の体...

共生

共生

「またあのことを考えているのね」 食事を中断して、ぼんやり宙を見つめている娘に母は言った。娘ははっとして再び口を動かしたが、今食べている物の味覚がまるで分からなかった。「あたし達は何も悪くない。悪いのはいつだって」 母は...

楽しい「アイロン」

楽しい「アイロン」

「アイロンがけ」は、私の週末の楽しみだった。折り皺、畳み皺、洗濯皺、変形した繊維分子を、高熱を加えて「あるべき正しい組成」に復元する「アイロンがけ」。正にこの「皺が伸ばされていく過程」こそ至福の愉悦だった。衣装ケースに積...

超短編小説「傘」

 その傘は、学生時代の彼女から貰った物だった。千鳥格子のサテン生地、重みのある精巧な骨組み、手に馴染む木製の持ち手など、どれをとっても上質だった。銀座三越で買ったの、と彼女は言った。銀座三越ならいい物に決まってる、と男は...

ぼんやりした夫婦

ぼんやりした夫婦

 帰宅すると、妻はそのまま私をリビングに招き入れ、【ぼんやりとした不安】を見せた。ここまではっきり分かる程巨大化してるとなると、もう随分前から存在していた筈だった。その見た目からして何らかの形で処分しないと、いずれ我々の...

みどりのおばさん

みどりのおばさん。

 「みどりのおばさん」は、今日も立っていた。小学校前の横断歩道で、黄色い旗を手に子供達を誘導していた。坂の途中に校門がある為、自動車や自転車は常に一定のスピードで通り抜けた。過去、何度かひやりとする場面もあったようで、特...

人には言えない××

人には言えない××

 その尋常ならぬ違和感に気が付いたのは、三日前、トイレで便座に腰を下ろした時でした。「尋常ならぬ」というのは正に字義通り、日頃の一連の排泄行為では感じた事のない、ぼんやりした不安が具象化したような違和感でした。 私はその...

発症

発症

 妻がインフルエンザで寝込んでから、今日で三六四日が経過していた。これほどの長期戦になるとは思っていなかった。インフルエンザなど、薬を飲めば二、三日で快方に向かうものだと思っていた。そもそも私と妻は、予防接種を年中行事の...

老犬

老いぼれ

 二人で会うのは、今回で三度目だった。女はシングルマザーで実家に住んでいた。両親と息子が帰省中で、明日の夜まで女だけだった。男としてはホテルの方が気楽だったが、「こういう時じゃないと、手料理を食べてもらえる機会がないから...

蚊

「ああ、もう」と言って、妻はいよいよ半身を起こした。その不快な音に、私も気になっていたところだった。「本当イライラする。ほら、あなたも起きてよ」 時刻は既に午前零時を回っていた。明日は早朝から支度を始めて家族で海水浴に行...

下着を捨てた途端、女の何かが

下着を捨てた途端、女の何かが

 もうすぐ三十路を迎えるその女には、ある性癖があった。使い古した下着を捨てられないことだ。少なくとも高校生の頃から買った下着は一枚たりとも捨てることなく、タンスとクリアケースに保管していた。時々引っ張り出しては、一枚ずつ...