人には言えない××

人には言えない××

 その尋常ならぬ違和感に気が付いたのは、三日前、トイレで便座に腰を下ろした時でした。「尋常ならぬ」というのは正に字義通り、日頃の一連の排泄行為では感じた事のない、ぼんやりした不安が具象化したような違和感でした。 私はその...

発症

発症

 妻がインフルエンザで寝込んでから、今日で三六四日が経過していた。これほどの長期戦になるとは思っていなかった。インフルエンザなど、薬を飲めば二、三日で快方に向かうものだと思っていた。そもそも私と妻は、予防接種を年中行事の...

老犬

老いぼれ

 二人で会うのは、今回で三度目だった。女はシングルマザーで実家に住んでいた。両親と息子が帰省中で、明日の夜まで女だけだった。男としてはホテルの方が気楽だったが、「こういう時じゃないと、手料理を食べてもらえる機会がないから...

蚊

「ああ、もう」と言って、妻はいよいよ半身を起こした。その不快な音に、私も気になっていたところだった。「本当イライラする。ほら、あなたも起きてよ」 時刻は既に午前零時を回っていた。明日は早朝から支度を始めて家族で海水浴に行...

下着を捨てた途端、女の何かが

下着を捨てた途端、女の何かが

 もうすぐ三十路を迎えるその女には、ある性癖があった。使い古した下着を捨てられないことだ。少なくとも高校生の頃から買った下着は一枚たりとも捨てることなく、タンスとクリアケースに保管していた。時々引っ張り出しては、一枚ずつ...

玉ねぎの神様

玉ねぎの神様

 「玉ねぎ」と聞いて思い出す事は、僕がまだ東京という田舎に住んでいた子供の頃の話だ。 そこでは、町の至る所に玉ねぎが転がっていた。当時は「転がっていた」とか「散乱していた」などと表現する事はタブーであり、町会長に知られた...

孤独

孤独

 またか、と老人は思った。今年に入って既に三人目だった。 この辺りの住人は、妻に先立たれたり離縁したりで身寄りのない年寄りばかりだった。大抵は認知症を患い、何人かは犬を飼っていた。人知れず横たわる亡骸に、餓死寸前の犬もま...

不倫の末路

不倫の末路にある、あまねく倦怠的な

 ソファの肘掛けはひび割れていた。今までここで何組の男女が粘液を交わし合ったかを思うと、せめて下着くらいはきちんと着るべきだったと後悔した。「次はいつ会えそう?」 口紅を塗る前の最後の口付けを交わした後で、女は聞いた。「...

おにぎり

おむすび

 サランラップに包まれたまん丸のおむすびが一つ、路上に落ちていた。朝時間がない中慌てて握ったのか、海苔も巻いていないシンプルなおむすびだった。綺麗な街並みが人気の住宅地なので、道の中心にあるべきものとしては余りにも不似合...

こだわり

こだわり

 昨年九月十日、その日は既に不穏の気配を孕んでいた。空は厚い雲で覆われ、早朝から夕刻の様な暗さだった。台風は太平洋岸をなめるように進行していた。風雨に耐えられるよう、私はいつもの倍の時間を掛けて、入念にドライヤーを当てた...

水漏れ

水漏れ

 三日前からこんな感じなの、と妻は蛇口のレバーをゆっくり上下させながら言った。継ぎ目から、水が漏れていた。操作の仕方によって、じんわり染み出す時もあれば、飛沫が噴き上がる瞬間もあった。「直せる?」「パッキンだとは思うけど...

畜生

畜生

 ケージの扉は開いていた。内側から外す事は、いくら狡猾な動物でも容易い作業ではなかった。今朝、餌をやる時にロックをし忘れたのだと、母は悔いた。「帰ってきたらいなかったよ、ママ」と息子は言った。「家中探したけど、何処にもい...

あるクリーニング屋の日常

あるクリーニング屋の日常

「以上三点で宜しかったですか」と、受付の子は言った。その時の俺は、実に酷い身なりをしていた。寝癖のついた髪、未処理の髭、伸びたロンT、ゴムの緩んだスエットパンツ。いかにも、休日の朝妻に叩き起こされ、クリーニング店に使いに...

チチガシラ

チチガシラ

 洋司の出勤を待っていたかのように、電話は直ぐに掛かってきた。夜を共にした翌朝は、いつもラインを使う筈だった。「おはよう。昨日は」「ねえ、ないの」「何が?」「チチガシラ。たぶんホテルに忘れてきたんだと思う」 憔悴した雪江...

若きセールスマン

若きセールスマンの安息

 今月のノルマまで、もう一息のところまできていた。この仕事が合う合わないというより、当座の生活費を稼ぐ為には必死だった。「東京都水道局の方から来ました。今無料で水質検査を行っておりまして」 白髪を油で固めたスウェット姿の...

歩行障害における夫婦間共時性に関する考察

歩行障害における夫婦間共時性に関する考察

 それは、会社近くのスクランブル交差点で起きた突然の出来事でした。何の前触れもなしに脚が動かなくなってしまったのです。もう幾度となく行き来している通勤経路ですし、少なくとも自宅から電車に乗り、その交差点までは問題なく歩い...

盗難

盗難

 終電の改札を抜けて住宅地に入ると、突然人影はなくなった。週始めから飲んだくれている奴など、この町にはいないのだ。路面は今しがたまで降り続いていた雨で濡れ、街路灯の明かりが染みのように反射していた。越してきて間もない男の...

カウンター

カウンター

「ごめん」と、夫は妻に言った。「一日に何度謝れば気が済むのよ」 妻は四六時中苛立っているように見えた。理屈や真実はどうであれ、まず最初に詫びておかないと、事態はより悪化するように思えた。「ごめん」「馬鹿にしてる? あたし...

ティーグラウンド

ティーグラウンドより愛をこめて

 砲台になったティーグラウンドの遥か彼方に、最終ゴールの旗が見える。下ろしたてのボールにドライバーヘッドを合わせ、肩幅よりやや広めに足を開く。雲の継ぎ目から陽は零れ、名も知らぬ野鳥の囀りが無駄な力みを解きほぐす。男の一挙...

AIコンシェルジュ

AIコンシェルジュ

 駅ビルの一角にある「結婚相談所」のコンシェルジュも、今やロボットに取って代わられていた。時代と共に、人の仕事は次々と人工知能に駆逐されていた。もっとも、夥しい数の結婚希望者のデータベースから、理想の候補者をマッチングす...