毎月第三水曜日は、「夕病みの日」だった。日没の時間帯になると大半の人は無気力になり、虚脱した。目はうつろで呼吸は浅く、表情は老若男女問わず乏しくなった。しかし翌日には嘘のように症状は消えた。星回りやら気圧の関係やら新種のウイルスやら様々な説が唱えられたが原因は分からなかった。
夕病みは正確に訪れた。第二火曜日でも第四木曜日でもなく、必ず第三水曜日だった。従って、学校や企業はその日は半日、あるいは一日休みにした。交通機関も午後三時から翌日の始発まで運行を取り止めた。自動化で対応できる部分は自動化し、店舗のシャッターは軒並み下ろされた。最近では自殺者が増加傾向にある為、夕病み中は、なるべく複数の人と屋内に留まるよう国は通達した。
終電(その日は午後二時五六分)で家に帰ると、妻は布団を敷いて既に横になっていた。妻は百%、夕病みを発症した。眠っているかもしれないと思い、私は極めて小さな声で、ただいまと囁いた。
「おかえり」向こうを向いたまま、妻は弱々しく答えた。「吐き気が酷いの」
布団から飛び出した手は、漂白剤に浸けたように白かった。
「薬は?」
「ナウゼリン飲んだけど、全然効いてない。あなたはどうして平気なの?」
「何でだろう」
私は人生で一度も夕病みを経験したことはなかった。そういうタイプの人間も世の中にはいるようで、統計上二百人に一人くらいの割合で存在するとのことだった。当然、夕病みの日は、夕食その他の家事は全て私が担当した。他の家族と比べると、我々はずっと恵まれていた。
「子供が大勢いる家庭は大変だろうね」
妻は何も答えなかった。失言だった。子供が中々出来ない妻に、今ここで子供の話などすべきではなかった。しかし私は単純に、夫婦と子供三人の家庭がもし全員夕病みを発症していたら、と想像しただけだった。
町からは明かりも人の姿も消えた。皆早く床に就き早くその日をやり過ごしたかった。テレビは録画番組ばかり流しているのでつまらなかった。SNSは夕病みの倦怠感や脱力感、そして「死にたい」というキーワードで溢れていたが、私にはその感覚は分からなかった。
「死にたい」と妻は呟いた。私には間違いなくそう聞こえた。死にたい、ともう一度妻は繰り返した。まずい傾向だなと直感的に私は思った。しかしどういう言葉で返してあげたらいいのか分からず答えあぐねていた。普段は一切ネガティブな言葉を吐く妻ではなかったから。
「夕病みの日だからそう思うんだよ。今日だけの話なんだ。いつもそんなこと思ってないんだから。明日になれば、明日までの辛抱だから」
「明日までもたない。ねえ、もう嫌。何もかも嫌なの」
妻は寝返りを打つ力もなかった。ぐしゃぐしゃの髪の向こうにある妻の視線の先を想像したが、そこには何もなかった。視線を送る力もない程、妻は弱り果てていた。
早く寝かせてしまった方がいいと、「ナウゼリンより効く吐き気止めだから」と言って、私は市販の睡眠導入剤を妻に飲ませた。それで少しは落ち着いたように見えたが、夜中、妻は何度も寝返りを打ち、布団の中でむせび泣き、呻いたり奇声を上げた。その度に私も跳ね起き、妻を注視した。吐き気も夜遅くなるに従って酷くなった。妻が唸り始める度、私は洗面器を妻の口元に置いた。吐けるものなど何もなかった。もう殺してくれと妻は言った。私は殆ど一睡も出来なかった。妻の症状は今回は特に酷かった。
「今日は休みなの?」と妻は言った。翌日は妻に起こされた。顔色も話し方も頬の叩き方も、全くいつもの妻だった。
「まさか」と私は半身を起こした。いつも起きる時間より、三十分遅れていた。目覚まし時計を止めてまた眠ってしまったようだった。
「夕病みはもう大丈夫?」
「もう何ともないわ。あまり覚えてないのよ。喉が少しいたいけれど」
指を突っ込んで無理矢理吐こうとしてたからとは言えなかった。あれほど苦しんでおきながら、私に殺してほしいとまで言ったことが記憶にないというのも、夕病みの恐ろしいところだ。
私は急いで支度し食卓についた辺りで突然、今度は私の気力が萎えた。箸を持つ手を固定する力も出なかった。ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車に乗ることが怖かった。会社に行きたくなかった。会社にとって、自分が何の役に立っているのか分からなかった。そもそも、今日やるべき仕事が何一つイメージ出来なかった。
テレビのニュースでは、今月の夕病みと見られる症状で、全国二十人以上が亡くなったと報じた。一日持ちこたえることが出来なかった人々だ。そして、近年夕病みの翌日に、夕病みに似た症状を発症する「朝病み」が流行していると補足した。夕病みを発症しない人が、朝病みを発症するということだった。つまり、第三木曜日は「朝病みの日」ということだった。
なるほど、もしかすると、私は今その朝病みを発症しているのかもしれない。これで、例外なく全国民が、第三週の水木いずれかで病むということになった訳だ。
これ以上椅子に座っていることは苦痛だった。私はスーツのまま、敷きっぱなしの布団に寝転んだ。本気で会社に行きたくなかった。上司に休む旨のメールをショートメールで入れたが返事はなかった。
そんな私を後目に、妻はばたばたと「行ってくるね」と家を出て行った。妻だって仕事しているのだ。家でうだうだしているぐうたらに付き合っている暇などなかった。見慣れないワンピースとショルダーバックだった。昨日は私が寝ずに付き添っていたことなど、妻の記憶にはないのだ。
テレビを消すと、室内はたちまち静かになった。眠い筈なのに、目を閉じても眠れなかった。ふと、妻は本当に仕事に行ったのかと疑い始めたら、もうそのことしか考えられなくなった。
私は最後の気力を振り絞り、きちんと小説の形に記録しようと思いましたが、それももう辛くなってきました。もし朝病みを無事やり過ごせたなら、また明後日以降お会いましょう。そうでなければ御免なさい。これからちょっと横になります。皆さんも夕病み、朝病みには本当にお気をつけて。
では、おやすみなさい。(了)