【掌編小説】極夜

 太陽が失われて、既に三か月近くが経過していた。屋外は一日中、暗闇だった。もちろん、駅前の街灯やコンビニの明かりはあるものの、さすがに太陽の光には敵わなかった。電気代も馬鹿にならなかった。単純に三倍近くになった。妻は節電、節電と家中の電気を消して回った。従って、家の中も一層暗くなった。
「洗濯物が全然乾かないのよねえ」と、妻は嘆いていた。「そろそろ、本当は明けるんじゃないの? 夜」
 かりんとうを頬張りながら呟く妻に、さして切迫感はなかった。世の中には、妻のようにまだ太陽が失われたことを信じない者は沢山いた。しかし事実は事実だ。太陽はもう二度と、地表に降り注ぐことはなかった。太陽はある日忽然と無くなった。世界中の科学者が言うのだから、間違いなかった。
 私は黙ったまま、コーヒーカップに口を付けた。「今日の自殺者数」の報道にうんざりするだけだったので、テレビは点けないでおいた。とはいえ、間もなく妻の大好きな俳優が出てくるドラマの時間だったので、リモコンは食卓から片付けないでいた。
「だって、本当に太陽がなくなったらさ、もっと寒くなる筈じゃない」
 妻は珍しく、もっともなことを言った。
「温暖化が進んでいるからね。殆ど寒くはならないんだよ」
「温暖化が進んでいて良かったこともあるんだ。太陽光発電してる人はお気の毒ね」
「確かに。発電のしようがない」
「ベランダ太陽光発電機なんて買わないで正解だったわ。パート先の人から勧められてたの」
 妻は予想通り私との会話を打ち切り、テレビのスイッチを付けドラマのチャンネルに合わせた。ドラマに見入ると、私は全く用をなさないので、席を外して外の風に当たることにした。
 分厚いガラス戸を閉めると、テレビの音は殆ど聞こえなかった。分譲住宅地の家々の灯は、半分ほど点いていた。まだ眠るには早い時間だったが、毎日こうも暗いままだと、時間の感覚が無くなっていくようだった。何時に寝ても何時に起きても、「朝の目覚め」の実感がないのには困った。ある感染症の蔓延でテレワークとなってからは、会社には殆ど行かず、家に籠ってばかりいるので一層生体リズムは乱れた。
 秋の夜長は、いつまでも夜長のままだった。秋だろうが、夏だろうが、太陽が失われた今となっては毎日が夜長だった。星の数は、それほど多くなることはなかった。太陽が無くなるのと同時に、月もなくなった。厳密にいえば、月は存在していたが、月の存在を視覚的に認識できる「月光」がなくなった。太陽が無くなれば同時に月も見えなくなるというのは当然と言えば当然だが、多くの人々にとっては誤算だった。
「昼間は嫌いだが、夜は好きだ」という人は身近にも多くいた。「夜が好き」ということと「月が好き」ということは、粗方同義だった。月の光で救われていた人は多かった。これだけ自殺者が増えているのは、太陽の光を浴びれないというより、月の光が見えなくなってしまったことへの絶望からなのではないか、と個人的に分析していた。
 ドラマに没頭する妻を横目に、私は歯磨きと用を足してから、先にベッドに横になった。特に眠い訳ではなかった。横になる以外、他にすることがなかった。ネット界隈も、太陽が失われたことへの真偽を問う話題ばかりだったので繋がなかった。誰が何を言っても、真実は一つしかなかった。そしてその真実は、素人では誰も証明することが出来なかった。議論は不毛だった。目を閉じても、睡魔に襲われることはなかった。体が小刻みに震えているのを自覚した。徹夜した時に起こる、あの現象だ。私は布団の中で、悶々と枕を抱えた。
 間もなく妻が隣に横になるのに気づいた。私とは逆向きに眠る姿勢を整え始めた。私は体を寄せ、妻の肩に手を置いたが、妻は体を向きをずらして拒絶した。偶然かもしれないが、少なくとも私はそう感じた。今日も駄目か、と私は諦めた。もう子供はいいのだろうか、と思った。
「ねえ」と妻は言った。何、と私は言った。
「自家発電があるのに、懐中電灯、こんなにいるの?」
 寝室には、大小合わせて十個近くの懐中電灯が並んでいた。もちろん、電池も箱で買ってあった。
「今一番怖いのは、地震だよ」と私は言った。「もし、今大きな地震がきて電気止まったら最悪だよ。それこそ、真っ暗闇になる。電灯みたいなものは、いくらあっても足りないよ」
「そんなに怖いの? 私、別に平気よ」
「その状況を経験したことないから、そんなこと言えるんだよ。いいかい? もう昼間はこないんだよ? ずっと夜である上に、電気が止まってごらん? 電気だって、そんなに大きな地震がきたら、いつ復旧するとも分からない。ずっと真っ暗闇の中で何日も過ごさなければいけない状況を考えたら」
「そんなに熱くならないでよ」
 時間は午前零時を回っていた。いらいらしているのが自分でも分かった。何に対して苛立っているのかまでは分からなかった。
「私が怖いのはね」
 少し言葉を切り、妻は小さく息を飲んだ。「あなた」
「俺? どうして」
 その問いに、妻は答えなかった。私はしばらく妻からの答えを待ったが、恐らく今日中には答えは聞けないだろうと直感した。間もなく妻は、寝息を立て始めた。私の意識は高ぶっていた。かといって、明日までに仕上げなければならない仕事の資料には取り掛かる気にならなかった。明日の朝、やろうと思っていた。今となっては、朝も昼も夜もないものだが。外の雰囲気で現在時刻を推測するのは無理だった。昨日なのか今日なのか明日なのかを知るには、時計だけが頼りだった。
 風のない闇の中を、私は街路灯を頼りに無目的に歩いた。ベッドにはいられなかった。外に出てみると、私と同じような人間は沢山いた。元来このような時間に散歩もないのだろうが、全てが夜一色になると関係ないのだな、と思った。犬を連れている人もいれば、夫婦でジョギングしている人もいた。酔っぱらいもいれば、物陰でキスしている者もいた。皆それぞれ、太陽を失った不安を紛らわそうとしているのだ。
 妻は何故、俺が怖いと言ったのだろう。いくら考えても、私自身には理解できなかった。怖いという言葉の定義が認識されていないのではないかと思った。
 空を仰いだ。自ら輝ける恒星だけが、白い光を放っていた。きっと人は、光合成をしなければいけない動物なんだ、と思った。太陽が恋しかった。もう、この世界にどうやって光が降り注いでいたのか、思い出すことさえ難しくなっていた。
 私は公園のベンチに横になって、何度も目を開けたり閉じたりした。背が高く髪の長い女の人が視界を横切った。反射的に、体に力が漲った。私は危険を感じた。早く通り過ぎろ、と心の中で叫んだ。私は思い切り目を閉じ、女の映像を遮断した。心の中で三十数えてから、目を開けた。既に女性はいなかった。ほっとした。強がっているが、結局自分もぎりぎりの地点で踏ん張っているんだな、と自覚した。
 信じてみよう、と思った。科学者でもなく、ネットやテレビでもなく、一番身近にいる人、そう、妻を。そして、自分を。信じる者のみが、恐らく揺るぎない唯一無二の真実に辿り着けるのだと。
 だとすれば、妻の言う通り、夜明けはもう直ぐそこまで来ている。(了)

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