「プロ作家」と「素人小説家」の違い その⑤(まとめ)

高橋です。前回からの続き、まとめです。

■短編小説の専門作家として

僕は気が多い人間なので、じっくり腰を据えた長編小説が中々書けない人間です。もちろん時間がない、ということもあります。限られた時間に集中して書く作業の中で、息の長い長編小説を一年かけて書き続けるモチベーションも気力もありません。

といいますか、途中できっとプロットも伏線も忘れてしまいます。昔から長距離走は大の苦手でした。短距離は瞬発力が勝負です。そこはとても得意な分野です。だから仕事も、「短編小説専門」ということでお願いしています。

僕もそうですが、この世の中には「短編小説ばかりを好んで読む方」がいます。そこで、僕も最近では、短編小説の中でも特に短いものを「超短編小説」とか「ポケットノベル」などと名付けて、それこそ5分以内で読み切れる小説ばかりを書いています。

「そんなもの、文学と呼べるか。小説と呼べるか」というご指摘、ご批判もあるかもしれませんが、どう呼ぼうが呼ぶまいが、そうした「短めの小話」を好んで読む層がいることは間違いないのです。

WEB小説が広く読まれる以前には、そうした読者に提供される書籍はほとんどありませんでした。今だって、満員電車の中では本を広げることすらできない状況です。

満員電車

しかしスマホやタブレットなら、吊革につかまって、立ったまま小説を読むことができます。防水タイプのものなら、浴槽の中でも本が読めます。電子化のメリットはいろいろなところにあります。ガジェット側の機能や選択肢が広がってきているのであれば、コンテンツ側の選択肢も広がっていくのは必然の流れですし、そうでなくてはガジェットも広がりません。ハードとソフトはいつの時代でも常に一身同体です。

■増え続ける「素人」作品

日々増殖し続ける素人小説家の小説は、もちろん自身もその末端に身を置いている訳ですが、プラットフォームの選択肢が増えるに伴って、恐ろしいスピードで拡大しています。小説の投稿サイトや電子書籍出版サイトが新たに開設されると、あっという間に数万という点数の小説が登録されていきます。(僕が3年前に登録した「パブー」(2019.9.30をもって閉店予定)という電子書籍出版サイトでは、当初6,000前後で推移していた登録点数が、今では47,000点を超えています)

アマゾンにおいても、KDPという仕組みの中で誰もが簡単に出版できるようになってから、途方もない数の小説が新規にアップされています。しかしどれだけ出版点数が増えようが、売れる小説は売れるし、売れないものは売れない、ただその結果があるだけです。WEBにおいては、プロや素人の区別はありません。皆、同じ地平線上に並んでいます。販売するフロアも書棚も一緒です。

書棚

電子書籍の場合は、廃刊という概念がなく、売れない書籍でもずっと蔵書として残り続けるため、いい小説に出くわす可能性が相対的に少なくなるということは、あるかもしれません。いい小説が、悪く言えば「ゴミのような小説」に埋もれてしまう、という懸念。

ただ、今は様々な形で「いい小説」が埋もれない仕掛けが考案されています。カスタマーレビューや評価で検索できたり、立ち読み機能として中身の一部を公開していたり。電子書籍専門の紹介サイト(「きんどるどうでしょう」など)や素人小説家の電子書籍ガイドなども立ち上がっています(もちろん、選定する側の「目利き」や「嗜好」の問題はありますが)

当然電子出版側も、いい小説、売れる小説は、多くの人に知らせたいでしょうし、売りたいと思っています。読者も自分に合った小説をどうやったら見つけられるかを考えています。その両者のマッチングをとるための仕組みはこれからも様々に登場し続けると思いますが、最終的には、読者側の判断となる点については変わりありません。

今回のブログでは、先のツイッターでの意見(素人小説家が有料販売する行為の可否、プロ作家と素人小説家を分ける境界線はどこか)をベースにして、自身の立ち位置を合わせて確認してみる、ということで5回に渡り書いてきました。

僕はあくまでも、小説を読んで頂いている方々に常に寄り添っています。もし、それでもプロと素人を分ける必要はあるということであれば、出版社が決めたプロではなく、読者が決めたプロになりたい、と思っています。

そのために、難しい言葉ではなく、理解され易い言葉、読み易い言葉をなるべく使うように心がけています。読書の時間をしっかり確保できる方よりは、あまり時間のとれない方を想定して、小説は極力短い小説と決めています。

同世代の方々に向けて、自身と似たような生活環境にある方に共感いただけるテーマの小説をこれからも書いていこうと思っています。

■WEB小説から「芥川賞」

こうしたスタンス、やり方は「文学じゃない、プロじゃない」と言われても構いません。出版社が主催する従来の文学新人賞をプロの登竜門とする考え方を否定するものでも、決してありません。

ただ、時代に合わせて、「もっと違ったプロデビューの方法」があってもいいのではないか、と。小説家としての身の立て方があってもいいのではないかと思うのです。いつか、WEB小説出身の芥川賞作家が生まれたっていいのではないかとか。

現在の選考システム上、そんなことはありえませんが、かなり本気で想像したりもしますし、もし「芥川賞」がWEB小説までを包含して選考対象にする、ということになれば、これは大革新であり、次世代の賞としてまた違った読者の裾野を広げることができるチャンスではないかとも考えます。どうせ業界の「お祭り」というなら、なるべく多くの参加者、多くの聴衆があった方が面白いじゃないですか。(あの「ノーベル文学賞」でさえ、ボブ・ディランが受賞したりしましたし)

従来の王道だけではなく、日々進化するインターネットツールを上手く活用しながら、新しい「小説家」のモデルが生まれることを期待したいですし、僕自身も、その一端を担っていけたらと思っています。自信なんてありません。間違っているかもしれません。でも今の僕が考えうる、できうる最善のことを続けていきたいと思っています。少なくとも、僕の書いたものを「面白い」と言って頂ける数少ない、けれども大切な方々のために。

希望

以上、こんなに長くなるなんて思っても見ませんでした。タイトルからはかなり脱線してしまったかもしれません。すいません^^;)。でも、これまでの自分の小説に対する考え方、これからの生き方について考えるいいきっかけでしたので、思いのたけを遠慮なく書かせていただきました。こんな思いで小説を書いている奴がいるんだなあ、程度に思って頂ければ幸いです。

拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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2件のコメント

  1. 初めまして。プロとアマの違いについて、色々と考えていて、こちらのサイトに辿り着きました。この記事がいつ書かれたのかがわからなかったので、えらい古い記事にコメントしていたらすみません。 私は文学賞等に応募したことはありませんが、だらだらと小説を書いています。 時折文学フリマのような即売会で、自作の本を売ったりするので、金銭が発生する怖さは理解しているかなぁと思っています。 とにかくお金が絡むと、人は変わりますよね。タダだと許してくれる詰めの甘さや文章の乱れも「商品」になると、途端に厳しくびしびしと指摘されます。つまらないと思われたら、二度と買ってはもらえません。 そういう経験を経て「商品」として他人の目に触れるものを作る心構えというか、意識が育っていくのだと思うのです。 以前プロの作家さんから「作家として十年間、毎年作品を出版出来たら、一人前だと思っていい」という話を聞きました。 常に自分のプライドと妥協を天秤にかけて、編集者のフルボッコに耐え、眼精疲労に頭痛腰痛と戦いながら産み出した作品が、読者の辛らつな批評を受けて、売れなければ廃棄処分。これに耐えられるならプロになれるよ、というようなことをおっしゃっていました。 この話を聞いてから、自分に超絶甘い私は、絶対プロになれないと思いました(^^; 不特定多数の人からお金を貰うというのは、それほど怖くて厳しい世界なのですよね。 これを踏まえてですが、私が考えるプロとアマの差は、お金を貰うことに対する意識の違いではないかと思っています。 金額の大小ではありません。見ず知らずの人からお金を貰うことに対して、作品をもって真摯に返す心構えが出来ている人を、プロなのだと思います。 だから値段と内容の見合っていない本に出合うと「こいつプロじゃねぇ!」と怒りがこみ上げますね。迷わず壁ドン(壁に向かってどん)しますわ。 即売会では自分の作品に値段をつけて販売していますが、完全に赤字でも、自分が考える金額以上つける気にはなれません。それが今の私の精一杯です、という意思表示なのかな。 せめて500円つけられるように、カメの歩みで頑張りたいと思います(笑) 長文失礼いたしました。 作品、楽しみに拝読させていただきます。
    1. にゃんたろうさん、初めまして。 最後までお読みいただき、またコメントまでいただき、ありがとうございます。 当記事は2年半前に書いたものです。プロアマの違いについてはいろんな考え方があっていい、と思います。逆に、自分の場合は「文学フリマ」のような「リアルな対面販売」の経験はないので、WEB販売とは全く違った「緊張感」があるんだろうなと想像しました。でもまたそれが、目の前で「購買者」の顔が見えるフリマのいいところなのだろうなということも。もっとも、「無料公開」している小説であっても、辛辣なコメントを貰う時もありますけどね。 恐らく、文学フリマでも、きっと「相場感」のようなものがあると思います。この金額なら、最低このくらいのクオリティは、みたいな買い手側の共通認識。他の作品との比較はあるでしょうし、常に競合しますから。そこにいたらないと「何だ損した」という話になるし、逆に「このクオリティでこの値段なら安過ぎる」なんてこともあるでしょう。この買い手側の「相場感」も売り手はある程度想定する必要があるのかなと思っています。クレームは、結局そのギャップの大小なので。 プロアマの定義をどう考えるにせよ、僕は僕の小説を待ってくれている人がいる限りいつまでも書き続けるでしょうし、その期待に応える為に、少しでもいいものを書く為に、日本語を学び続け、仕事や家庭生活を含めて、今をしっかり生きようと思ってます。 重ね重ね、貴重なコメントありがとうございました。

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