高橋です。
前回からの続き、その③です。
話を元に戻します。
■「プロ」と「素人」を何で区別する?
主張その①の「有料販売は『出版社』のお墨付きが必要だ」ということについて、僕の考えとの相違点は、「プロ」と「素人」をどこで区別するのか、という点です。
その方の主張では、プロは「新人賞受賞作家など、出版社が主催する賞を受賞した人や、編集者の目を通じて校閲を終えた出版物を出している者に限る」ということです。ここでは、「プロたること」を認める主体は、「出版社」です。出版社にお墨付きを得られないとプロとは言わない、言ってはいけない、自ら「作家」だとか「小説家」などと自称すべきではない、ということです。
前回のブログで書いた通り、僕もWEBを活用する以前は、ずっとそう思っていましたし、それが当たり前だと思っていました。しかしあまりに自分の嗜好や方向性とかけ離れていく作家の本を読む(お金を払って読ませられる)につれ、果たして「プロ」とは一体何なのだろう、と疑問を抱くことが多くなりました。
装丁や帯はとても“立派”なのですが、どうにか苦労して最後まで読み終わった後でも、結局、何も残らない。出版社の厳格なチェックを突破して、単行本1,500円の値札を付けて売られている、プロの書いた「商品」な筈なのに。
一時期、「若い女性」ばかりが新人賞を賑わしたことがありました。その傾向は未だに続いていると思っています。所謂「話題性」で本を売る、ということがかなり露骨に行われている気がしてなりませんでした。
当たり前ですが、出版社も営利企業ですから、小説だろうが雑誌だろうが、「売れてなんぼ」と考えれば当然のことです。しかし「プロをプロたらしめてきた出版社」が、その内容やクオリティよりはむしろ、扇情的なキャッチコピーや話題性ばかりに頼ったり、既成作家の既得権を頑なに守ろうとする(のように見える)姿勢に対して、僕の出版社への不信感が少しずつ生まれてきました。これは書き手の目線というよりは、むしろ一読者の視点として。
ここでは出版社を批判するテーマではないので、余り深くは言及しませんが、つまるところ、「プロの小説家」とは一体何か。
あくまでも僕の定義としてですが、
「小説という商品を自ら生産販売し、生計を立てている人」
と考えています。
■「出版社による出版」から「個人出版」へ
所謂職業としての「小説家」を選択し、商品としての「小説」を書いて販売し、その収入で生計を立てている人が、今自分の考える「プロ作家」像です。「小説を書く」「本を出版する」というアウトプットだけを捕えた「プロ」ではなく、それを有料で読む(買う)販売先を有しているか否か、また一時的ではなく継続性が保たれているか、というところまでを含めたものです。
従って、いくら出版社のお墨付きを得て「プロになった」としても、書いた小説を購入してくれる相手がいなければ、プロとは言えないのではないか、と思っています。この場合、「小説を買う」のは最終消費者だけではありません。出版社はもちろん、一般の民間企業、学校、行政なども含まれます。
もちろん民間企業の場合は、その「プロ小説家」の書いた小説を買って、自分のところの商品を売っていかなければならない訳で、企業の商品の売り先である「最終消費者」の満足度や企業イメージを高めていかなければならないところに繋がっている点では、「最終消費者に売っている」ことと同義とも言えます。所謂「BtoBtoC」というビジネスです。
今は、出版社を通じた出版といっても、自費出版という方法や、Kindleダイレクトパブリッシングのように自ら電子書籍を作って、セルフパブリッシングとして販売したり(自分で作れなくても、代行業者は沢山あります)、SNSなどのコミュニケーションツールを駆使して、個人販売できる時代です。
「プロ」に限らず、誰もが自分の書いた小説を個人個人に直接売ることが出来る「仕組み」がある時代に、「出版社」が認めた者以外「プロではない」とする考え方は、やや視野が狭量な気がします。出版社の企画による小説だろうが、自費出版だろうがKindleだろうが、もしもそれで一定数の読者が承認し、収入を獲得し続けることができるのであれば、その方は立派な「プロ」と呼んでいいのではないかと思っています。つまり、その人がプロの小説家であるかないかは、出版社ではなく、お金を払う「最終消費者」たる読者が決めるのだと。
■良い小説 つまらない小説
これはあくまでも僕自身の捉え方ですから、今回の方のように「いや、それはやはり出版社が決めるべきだ」というご意見があってもいいと思いますし、「プロとは収入のあるなしではなく、精神論やポリシーの問題だ」という主張もありだと思います。
ただ、今の出版市場の状況やアマゾンがやろうとしているビジネスモデルの今後を想像してみるに、もはや「プロ」とか「素人」の区分けも必要にならなくなってくる(既にそうなっている?)気がします。ダウンロードの結果が全ての世界に。その良し悪しは別にして。
小説を書く人は、押し並べて「小説家」であって、「いい小説を書く小説家」か「つまらない小説を書く小説家」か、ということだけです。いい小説を書く人の物は放っておいても売れるし、つまらない小説を書く人の本は半永久的に売れない。売れる売れないはあくまでも最終消費者側の判断に委ねられます。
裏を返せば、読者自身にも「いい小説」と「つまらない小説」をきちんと見分ける「目利き」が必要になる、ということでもあります。読者自身も試されることに(必然的に)なります。出版社が出す物を「プロの書いたものだからいい小説のはずだ」と信じ、自らの目利きを出版社に委ねていた時代から、出版社を通さないものまでを含めて、自らの「目利き力」で、お金を出して買うに足る小説を選択しなければならない時代になったのだと思います。
有象無象、あまたの小説達が世の中に溢れ返る中で、自分が本当に求めている本はどれなのかを探し出すことは容易ではありません。ただ少なくとも小説が好きな方にとっては、この出版革命、と言いますか電子書籍を代表とするセルフパブリッシングのブーム、あるいはアマゾンによる月額読み放題のようなサービスは、本の選択の裾野を広げ、これまで触れることのできなかった多くの「いい小説家」、自分が読みたいと思う小説を適確に提供してくれる、自分だけの小説に出会うきっかけになるではないかと思っています。(→次に続く)
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