【掌編小説】同僚

「ところで」と、男の同僚は話題を変えた。同僚のウイスキーグラスは既に空いていた。男は時計を確認したかったが、次の言葉を待つしかなかった。会社の経営状態が酷く悪化していることや無能な上司の話には、いい加減うんざりしていた。同僚の目は、いよいよ宙を彷徨い始めていた。
「佐藤瑠美」
 突然その名前を切り出した同僚に、男はびくりとした。逢瀬を重ねているのがばれたかと思った。彼女とは部署は違ったが、同僚に誘われた合コンで出会い、その後単独で会うことになった。それは彼女からのアプローチだった。これまでに五回デートし、三回彼女の家で体を重ねた。男は今年三十八歳、これまで結婚はなるべく遠ざけてきたが、彼女となら、ひょっとするとうまくやれそうな気がしていた。
「あいつ、どう思う」
「どう思うって?」
「好きか嫌いかで言ったら」
「もちろん、好きなタイプかな」
  素直に答え過ぎたかな、と男は冷静になった。
「お前とは昔から女の嗜好被ってるからな」
 そう言って、同僚はグラスの汗をおしぼりで拭った。目は半分閉じ、口は半分空いていた。男は既に洋酒風味の氷水となった液体を口に含んだ。
「実は付き合ってるんだ」と同僚は言った。同僚は今確かに「付き合ってる」と言った。口を突いて出そうになった促音を飲み込み、男はあくまでも平静を装った。
「半年前から。でももう駄目っぽい。つれないんだよ最近。全然二人で会おうとしてくれないし。俺の経験から、きっと他に男が出来たんだと思う」
 男はどう答えていいのか分からなかった。他の男が、今正に目の前にいるお前の同僚だなんて言える筈もなかった。
「やっぱりそうだったんだ」と男は言った。取り急ぎ、そう応答してみた。
「知ってたのか?」
「何となく」
「さすが、同じ穴の狢」
「何年付き合ってると思ってるんだよ」
  男には何の感情も籠っていなかった。感情の籠め方を忘却していた。同僚と話をしたり一緒に酒を飲んだりすることは、今では惰性だった。話題はいつも同じだった。一年前の話題と半年前の話題と一か月前の話題に、大した違いはなかった。しかし、今日はやや違った。きっと飲み過ぎているんだろうな、と男は思った。
「嫌いじゃないなら」と同僚はうつろな顔で言った。「面白い物見せてやるよ」
 スマホのロックを解除して、同僚はたどたどしく指を動かした。男は終電が気になっていた。タクシーで帰る程、金銭に余裕はなかった。
「そろそろ」と男が言うと、「ちょっと待ってろ」と同僚は苛ついた感じで制止した。「どうだよ、これ」
 裸の女の写真だった。ベッドの上に全裸で向こうむきに横たわっていた。白い背中と尻が丸見えだった。煌々と照る部屋の明かり、雑然とした電化製品のコードや壁に掛けられたバイクのカレンダーから、何度もお世話になった同僚の部屋に間違いなかった。
「これじゃ分からねえか。次」
 今度はベッドの真上から見下ろすように撮影された全身の写真だった。目は閉じていたが、佐藤瑠美だと一目で分かった。会社では髪留めをしているが、写真の彼女は髪が解け乱れていた。乳房も陰毛も隠すことなく、大の字になって四肢を広げていた。
「これは誰?」と白々しく男は聞いた。
「佐藤瑠美だよ。なあ、いい体してるよな。脱がすまでこんなに胸があるとは思わなかった」
 男も彼女の裸体は見ている筈だが、それは常に暗がりの中であって、こうして明るい光にさらして見ると、まるで別人のようだった。
「会社ではすましている癖に結構な好き者だぜ。女は見た目じゃ分からねえもんだよな」
 同僚の言葉は次第に荒っぽくなっていた。そろそろ限界が近づいている、と男は察した。
「写真なんて良く撮らせてくれたね」
「酔っぱらった隙に撮ったんだよ。まだまだあるぜ、本丸見るか?」
「いや、もういいよ」
「遠慮すんなよ。会社で毎日顔を合わせる女の裸見れる機会なんて、そうそうねえぞ」
 同僚は男の腕を掴んで、無理矢理男の目の前にスマホを置き、画像をピンチアウトした。
 ぼやけた輪郭の中に、光沢のあるピンク色の襞が見え、その表面は濡れていた。その両脇には、襞を押し広げている同僚の指先も映っていた。この穴の向こう側とこちら側に何度も行き来したという事実が、果たして本当に自分の仕業だったのかどうか、男は俄かに信じられなかった。
「俺と別れるとか言い出したら」
同僚はそこでにやりと笑った。「写真をばらまく。なんてな」
 語尾を濁したものの、今の同僚ならやりかねない、と男は思った。
「なあ、どうして会ってくれない? 俺を避ける? 他に男が出来たとしか思えない。俺は飽きられたのか? なあ」
「声がでかいよ」
「絶対嫌だ。大好きなんだ。こんなに体も性格も合う女、中々出会えないんだよ。瑠美もそう言ってた筈なのに、どうしてだよ。なあ」
「もう帰ろう。今日は十分飲んだ。終電が」
「終電なんていいだろ、今日はうちに泊まれよ。動画見せてやるから。六五型液晶テレビで瑠美の」
 がたん、と大きな音が聞こえ、テーブルの上のグラスが跳ねた。椅子に引っ掛けていた足を同僚が踏み外したらしかった。もう潮時だった。同僚のスマホが手から離れ、奥の椅子に転がった。
 テーブルに突っ伏して動かなくなった隙に、男は会計をテーブルで済ませ、椅子に転がった同僚のスマホを自分のジャケットに仕舞った。
「帰ろう」
 濡れた土嚢のようになった同僚をどうにか宥めながら店外に連れ出し、路上でタクシーを待った。外は小雨が降っていた。もう終電には間に合いそうもなかった。
茂った陰毛の中の、濡れた襞。そこには度々口を付け、出し入れし、射精したのだ。自分も。同僚も。同僚の介抱には慣れていたが、今日は体力的にも精神的にもきつかった。
 タクシーは間もなくつかまった。男は同僚を車に乗せ、運転手に行先を告げた。辛うじて同僚は目を開け、敬礼の素振りを男にしてからやがて力尽きた。男はタクシーの運転手に合図した。車のテールライトが、直ぐ先の交差点で曲がるまで、男はその場で見届けた。地震かと思うくらい、自分が揺れていた。今日の飲み会が果たして正しかったのかどうか。飲み会に正しいもくそもあるかと喚く同僚の声がどこかで聞こえた気がした。
 駅に向かう途中、上着に重みを感じた。同僚のスマホだった。馬鹿野郎。自身の口から出てきた言葉に、男は驚いた。そんな言葉を口にしたことは、これまで一度もなかった。
 濡れた路面の脇に、排水溝が口を開けていた。男はしゃがんで、同僚のスマホを穴から落とした。ぼとんという音が、やや間を置いて暗闇から小さく聞こえた。極めて正当な幕引きだと思った。フィリピンパブの客引きが、にやついて男の様子を眺めていた。男は首を左右に振ると、客引きは舌打ちをしてつまらなそうに退散した。
 男は財布を見た。あと千円しか残っていなかった。カードを使ってまでタクシーに乗るのは許せなかったが、今日だけは仕方ないと諦めた。歩いて帰ったら二時間はかたかった。タクシー乗り場には何人かの酔客が並んでいた。皆スマホをやっていた。男もスマホを取り出した。ラインのアイコンには「3」の数字。佐藤瑠美に間違いない、と確信した。
 佐藤瑠美。
 それはいつしかユーチューブで見た、レイプで犠牲となった若い女の死体のようだった。(了)

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