【超短編小説】うさぎになった妻

 うさぎのロップが亡くなってからというもの、妻はおかしくなりました。一週間泣き続けて涙を枯らし、やがて声を失い、遂に生気も尽きたようでした。
 子供のいない我々夫婦にとって、ロップは我が子同然の家族でした。ちょうど十年目の誕生日の翌日、横になって眠るように、ロップは天国に旅立ちました。横になって眠るのは、いつもの日常的な行為でしたが、その日のロップはそれ以降起き上がることはありませんでした。呼吸する度上下に動いていたお腹の膨らみに、あばら骨が透けていました。黒飴のような目は、きつく閉じられた瞼のせいで二度と見ることは出来ませんでした。いつかこういう日が来ることは、もちろん妻も分かっていた筈ですが、いざそうなってみると悲しみは想像以上のものでした。
 妻はロップを何よりも大切にしていました。私達のことより、常にロップを優先しました。この十年、日帰り旅行以外はしたことありませんでした。二日間以上ロップを独りにすることを、妻は許しませんでした。
 水、牧草、ペレットといった食事の世話、にんじんやキャベツ、果物などのおやつの支度、ケージやトイレの掃除はほとんど妻がやりました。まるで赤ん坊に話し掛けるように、いつもロップに声を掛けていました。ロップも妻の声が理解出来るようで、妻が呼び掛けると眠っていても直ぐに反応し、ケージの網に足を掛けて、食べ物や頭を撫でられるのをおねだりしました。
 妻が眠る時は、いつもケージの隣でした。ロップは、基本的には夜中も大人しく眠っていましたが、時々ケージの中を走り回ったり、柵をがりがりと齧って妻を求めました。妻はどれ程真夜中で熟睡していても、まるでその時間に呼ばれるのを待っていたかのように反射的に体を起こし、ロップの要求に答えました。ロップは妻の生き甲斐そのものでした。
 そのような日常ですから、私達の夜の営みは自然となくなりました。ロップの目の前でそうした行為は憚られました。私は気にしませんが、妻は気になるようでした。私達が抱き合うと、ロップはやきもちを妬くように、ケージを齧り始めました。そうなれば妻は気になりますから、私達は行為を一旦中断し、ロップをケアすることになりました。そうしたことが何度か繰り返されてから、キスすることも裸で抱き合うこともなくなりました。子供は中々授かりませんでした。年齢的に、子作りを続けることはしんどくなっていました。不妊治療を続けるほどのお金も持ち合わせていませんでした。
 その代わり、我が家にはロップがいました。妻はもし私達に子供がいたら注いでいたであろうありったけの愛情を、ロップに捧げました。私への愛情の一部、否、大部分をロップに注ぎました。ロップは妻の全てでした。
 そのロップが、いよいよ亡くなりました。妻はその事実を受け止めることが出来ませんでした。毎日当たり前のように存在していたものが突然いなくなる、というのはとても寂しいものです。何せ十年間、家族として共に過ごしてきたわけですから。
 もちろん私もショックでしたが、妻の喪失感は私の比ではありませんでした。お腹を痛めて生んだ我が子のように、ロップの死を悼み、悲しみました。言葉の掛けようもありませんでした。我が子の死を悲しむ親に、掛けられる言葉などありませんでした。どんな慰めの言葉も、陳腐に感じました。私はひたすら悲しみに暮れる妻を、傍らで見守ることしか出来ませんでした。
 ロップのいなくなった空のケージの柵を、妻は一本一本いとおしそうに指でなぞりました。プラスチックの床の凹凸に残された、ロップのかすかな温もりを、指の腹で救い取るように撫で続けました。もうそこにロップはいません。しかしまるで今でもケージの中に存在しているかのように、妻は毎日水を替え、トイレの砂を交換し、牧草を器一杯に盛りました。お三時には、いつも決まってあげていた野菜や果物を床に置きました。
 ロップが亡くなってから、妻は食事も喉を通らず、テレビを見ることも無くなりました。体重はみるみる落ちていきました。口の周りや首には、沢山の筋が浮き上がるようになりました。台所に立ったり掃除機をかけることが酷く辛そうでした。体力は落ち、目はいつもうつろでした。パートは欠勤がちになり、遂に出勤することが出来なくなりました。私は妻に代わって、しばらく休職したい旨の連絡を入れました。休職と伝えましたが、そのまま解雇されても仕方がないと思いました。妻にとって、働くこととロップに尽くすことは同義でした。ロップに係る費用は、全て妻のパート代で賄っていました。ロップがいなくなった今、妻の働く意義はなくなりました。そして一日中外出もせず、ロップがいつもそうしていたように、妻は体をくの字に曲げてケージの側に横たわり、今はなきロップにいつまでも思いを馳せていました。
 四十九日の法要が済んで以降、妻は更に衰弱しました。身長は急激に縮み、あっという間に一メートルを切りました。ケージの側でほぼ寝たきりとなりました。家事をこなすことは、もう不可能でした。
 従って、家事は全て私がやりました。もちろん私にも仕事がありますから、簡単な昼食だけ用意して、後ろ髪をひかれる思いで出勤しました。元気に動き回る認知症の徘徊老人とは違って、衰弱していて殆ど動けませんから、妻が家から勝手に出て行ってしまう心配はありませんでしたが、水分補給とトイレだけは心配でした。昼食はおにぎりを一口齧った後があるだけで、そのまま残されていることが多くなりました。大き過ぎて口に入らないのかと思い、徐々に一つ一つを小さく握って小分けにしたり工夫しましたが、それでも一つ食べるのが精一杯でした。反対に、水は良く飲みました。コップ一杯では足りず、水筒に入れても足りなくなり、一リットルのペットボトルをそのまま置いていっても殆ど飲み切ってしまうくらい飲みました。
 ある日帰宅すると、トイレの外でおもらしをしていました。妻は顔を覆ってしくしく泣いていました。きっと間に合わなかったのでしょう、それは気の毒で仕方ありませんでした。
 私は直ぐにパジャマを脱がせて温かいタオルで身体を拭き、パンツを履かせました。そもそも、着ている物は依然の妻に合ったものばかりですから、全てが大き過ぎてぶかぶかでした。今の妻には、新しいサイズのもの、恐らくは子供服が必要でした。
 私は近所の子供服チェーン店に行き、取り急ぎ必要なものを買い揃えました。おしめを履いた妻の姿など、まさかこの年で見ることになるとは思ってもみませんでしたが、日中仕事に行く時はやむを得ませんでした。私が仕事しなければ、家賃も食費も払えませんでした。妻を養うことももちろん出来ませんでした。まだこれから何十年も、妻と生きていかなければなりませんでした。
 会社には我が家の実情を伝え、早めに上がれるよう配慮いただきました。なるべく妻の側にいる時間を多くとれるよう、有給休暇をまめに取るようにしました。会社も私の状況を理解してくれて、残業のない部署に配置転換してもらったり、仕事のボリュームを減らしてくれたりしました。会社は私にとても優しく対応してくれました。働き手にとってはつくづく良い時代になったと実感しました。
 日を追うごとに、妻は変化していきました。サイズは五十センチを割り込みました。加えて、手足は縮み、鼻が付き出し髭が生え、頭から角のようなものが伸びてきました。瞳から白目がなくなり、左右後方に離れていきました。
 私は毎日一緒に暮らしていますので何とか見分けはつきますが、久しぶりに会った人は、もう彼女が以前の彼女であると分かる人はいないのではないでしょうか。ペットの死をきっかけに人はここまで変わってしまうものなのかと、私は衝撃を受けました。これまで妻がロップに注ぎ続けてきた愛情、そして愛する者を失うことの絶望の闇の深さに改めて畏怖を覚えると同時に、そうなることは実に自然な成り行きであるようにも思えました。むしろ、妻が望んでいたことなのではないかとさえ。
 ありのままを受け入れてしまう私は、もしかするとおかしい人間なのかもしれません。しかし今回のロップの死をきっかけにして、現在の妻のありようを見て、むしろ夫婦のあるべき理想の姿とはこういうことなのではないかと、私は思いました。妻がどう変貌しようが、私達はずっと夫婦であり、私達のどちらかが命を全うするまで、共に時を共有していかなければならないのですから。容姿がどうなろうと、ライフスタイルがどう変わろうと、私達夫婦の関係は変わりませんし、いかなる事実も受け入れていかなければなりませんから。

 それから数日後、妻はやはり、うさぎになりました。否、妻はロップになりました。まるでロップの生き写しのようでした。私はサイドボードの写真立てのロップを、ケージの中にいる妻と並べてみました。全く一緒でした。「間違い探し」をするとしたら、腕に嵌め込まれた結婚指輪くらいでした。私は指輪は外してあげました。うさぎの手に金属は全く似合いませんでした。
 お陰で、衰弱する妻の姿はもうなくなりました。ロップになってからの妻は、それは嬉しそうに、ケージやリビング中を飛び回りました。筋肉は躍動し、目には生気が漲っていました。もうおもらしすることはありませんでした。コーナーにあるトイレでそつなく用を足しました。
 うさぎは草食動物ですから、仮におもらししても臭いはないし、うんちだって乾燥した土のパチンコ玉みたいな感じで、掃除する手間は殆どありません。
 食べ物もおにぎりではなく、普通のうさぎがそうするように、牧草やペレットを食べました。うさぎになる前の妻は、ロップが牧草をむしゃむしゃ美味しそうに頬張る様子をみて、良く言っていました。「本当に美味しそうに食べるわよね。こんな草むらの何が美味しいんだろうね」と。一度妻も私も牧草を口にしたことがありましたが、あまりの固さと青臭さにさすがに飲み込むことは出来ませんでした。ペレットを食べる勇気はお互いありませんでした。
 でも今は違います。妻は牧草を心底美味そうに食べ、ペレットを齧り、自身のうんちさえ食べるようになりました。喋ることはもちろん出来ませんが、「美味しい?」という私の問いかけに、妻は一瞬食べるのを止め、ぴくんと私に潤んだ瞳を向ける様子に、私は妻の答えを読み取りました。長年夫婦を続けていると、うさぎと人間という関係になっても、意思疎通はちゃんと出来るのです。
 私達のロップは、また現世に蘇ってきました。妻は暗く深い苦しみから脱することが出来ました。大きな悲しみが二つ同時に消えて無くなりました。
 私は我が身の幸運を恐れました。このようなことが人生にあっていいものなのでしょうか。私は浅はかなのかもしれません。何か重要なものを見過ごしているかもしれません。後で痛いしっぺ返しを食らうのかもしれません。
 しかし今の私が出来ることは、喜びを喜びとして、悲しみは悲しみとして、ありのままを受け入れることしかありません。私は不器用な人間です。そうしていくことでしか私は生きていけませんし、私が生きていけなくなったら、妻も生きていけなくなります。牧草やペレットをペットショップに買いに行くことの出来るのは、この家で私しかいないのですから。

 今、妻はソファで寝そべる私の足元で遊んでいます。私が「おいで」と言うと、妻は私の鼻先まで近づいてくんくん臭いを嗅ぎました。その仕草が余りにも可愛かったので、私は口をすぼめて妻に近付けると、妻はぺろり私の唇を舐めました。それは実に久しぶりの、妻とのキスでした。(了)

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