みどりのおばさん。

 「みどりのおばさん」は、今日も立っていた。小学校前の横断歩道で、黄色い旗を手に子供達を誘導していた。坂の途中に校門がある為、自動車や自転車は常に一定のスピードで通り抜けた。過去、何度かひやりとする場面もあったようで、特に登校時の交通ボランティアは常時募集中だった。生徒や父母から「みどりのおばさん」と呼ばれていたその女性は町会の有志で、もう何十年もボランティアに参加している大ベテランだった。
 「みどりのおばさん」は、その名の通り緑のウインドブレーカーをいつも羽織っていたが、低学年の子が被る黄色い帽子、ボリュームのあるウェーブがかった白髪、大きな赤縁眼鏡とのバランスは、誰が見ても奇妙であり無理があった。一言で言えば気色悪かった。
 学校前を通過する大の大人に対しても、「歩きスマホは止めろ」だの「歩道は右側を歩け」だの「曲がり角では歩速を緩めろ」だの、のべつ幕なし、容赦なく注意した。特に自転車は横断歩道で減速しないと、背中越しにいつまでも怒号を浴びせられた。
 聞き分けの良い男のことを気に入ったのか、「みどりのおばさん」は何故か男にだけやけに優しく話し掛けるようになった。
「今日はお嬢さん、送迎しなくて良かったんですか?」
 男が娘を車で送迎してから出勤するのを、「みどりのおばさん」はチェックしていた。それをいちいち言われることが、男には鬱陶しく、いらいらさせられた。
「この前ね、京都の東寺に行ってきたんですよ。行かれたことありますか? 素晴らしいですね、感動しました」
 そんなことを俺に話してどうなるのだろう、男は適当な相槌を打ってかわそうとするものの、「みどりのおばさん」は後を追いかけるようにして、交通整理とは関係ない話を一方的に男の背中にぶつけた。
 毎朝、坂の下で待ち構えている彼女を見ると、次第に男の足はすくむようになった。朝は黙って会社に向かいたかった。誰とも口を聞きたくなかった。仕事の段取りや休日の過ごし方について考えたかった。「みどりのおばさん」と接することは、いつしかストレスになっていた。とはいえ迂回する道もなく、男は諦め、心を石にして、「みどりのおばさん」を日々やり過ごした。

「あの人、評判悪いのよ」と男の妻は言った。「学校にもしょっちゅう苦情が入るみたい。こないだはサラリーマンと喧嘩になったって」
「分かるよ。本当にうるさいし、しつこいんだ」
「この前は車の前に飛び出したみたいよ。いくらなんでもやり過ぎよね。聞いた話だけど、自分の子供を小学生の頃に事故で亡くしてるみたいなの」
「え?」
「だからあれだけ熱心なのね」
 妻もパートの合間に時々ボランティアに参加していたが、それは初めての事実だった。とはいえ、やはり毎朝の挨拶と一方的な話には、男は辟易していた。

 ある日、男は「みどりのおばさん」を一週間近く見ていないことに気付いた。あまりの苦情に辞めさせられたのだろうか。あの小うるさい「みどりのおばさん」がいない通勤路は、とても気楽だった。黄色い帽子も緑のウインドブレーカーも赤縁眼鏡も身に着けていない母親ボランティア達が、実に常識的な淑女に見えた。
 ひと月経ってもふた月経っても、「みどりのおばさん」は現れなかった。男の中では、もはや「みどりのおばさん」は過去の風変りな遺物として、記憶の隅に押し込まれようとしていた。
「事故で大学病院に入院してるんだって。体張って自転車に注意しようと」
 何故そういう流れになったのか男には思い出せなかったが、たまたま「みどりのおばさん」の話になった時に妻が言った。
「ねえ、素人のボランティアなのよ、私達。そこまでやる必要あると思う?」
「あるわけない」
「お金もらっても、やらないわよね」
「やらない。やるべきじゃないよ。それにしても、どれほどの事故だったんだろう。容体は」
「意識不明だって」

 男は校門前に立っていた。風邪をひいた妻の代理だった。たまたま代休で家にいた。モスグリーンのモッズコートを羽織っていたので「さしずめ『みどりのおじさん』だな」と自虐したが、妻に笑う余裕はなかった。
 そのまま休めばいいじゃないか、と妻に言うと「穴をあけた時に事故なんてあったら嫌だし、他のボランティアの手前もあるから」と妻は布団の中から答えた。
「何すればいい」と男は聞いた。
「時間になるまで、旗持って立っていればいいのよ」と妻は言った。
 初めての交通ボランティアだったが大半の子供達は従順だった。男の指示に素直に従った。しかし一部の子供はふざけ合ったり、突然走り始めたりして冷や冷やした。娘に怒鳴ったこともないのでどういう言葉で注意したらよいのか分からなかった。
 それよりも、子供以外にこの場所を通過する全てのものが障害物に思えた。人、自転車、自動車。普通に歩く人でさえ、先の見辛い曲がり角で子供と衝突するのではないかと心配になった。
 横断歩道に子供がいるのを分かっている筈なのに、自転車や自動車の大半は減速することなく坂道を突き抜けていった。中には校門前で加速するスポーツカーさえいた。ただ子供達を安全に登校させるということがこれほど大変だとは思わなかった。「みどりのおばさん」の気持ちが、少し分かる気がした。ボランティアとはいえ、子供の命を預かっているという使命感のようなものが、知らない間に芽生えているのを感じた。
 いつまでも横断歩道を渡してくれない切れ目ない自動車の列に「もっと減速しろよ」「止まれよ」と、男は心で何度も怒鳴ったが、「みどりのおばさん」のように、口に出して叫ぶ勇気はなかった。もちろん、体を張って停止させることなど論外だった。
 あんなスピードで疾走する鉄の塊に跳ね飛ばされたら、それこそ一たまりもなかった。そこに身を挺して子供を守ろうとした意識不明の「みどりのおばさん」の勇気に、男は畏怖さえ覚えた。声すらも上げられない自分を情けなく思った。
 一時間目の授業開始のチャイムが鳴っていても、男は校門前の横断歩道に、いつまでも立ち続けていた。

 間もなく、「みどりのおばさん」が亡くなった、という知らせが妻のメールに入った。「結局、親子とも交通事故で亡くなってしまったということね。本当、お気の毒様」
 校門前のガードレールには切り花が手向けられた。あれほど口うるさかった「みどりのおばさん」も、いなくなってみればそれはそれでどこか寂しいものだった。
 人が一人亡くなってさえ、先を急ぐ自転車や自動車が減速することはなかった。交通ボランティアも依然増えなかった。むしろ死者が出たということで、却って怖がられ敬遠された。
 「働き方改革」で平日休みがいくらか増えた男は、妻に代わってなるべく道に立った。同じハンドルを握る者としての自戒や横断歩道で減速しない都道府県第一位、という不名誉な事実を何かのニュースで知ったこともあり、男はスピードを落とさぬ危険な運転者に、まめに声を掛け始めた。怒鳴るという感じではなく、注意を促す、という風に。若い男性のボランティアは珍しいのか、「みどりのおばさん」よりは話を聞き入れてくれる感触は、男にはあった。
 時々平日に登場する、モスグリーンのモッズコートを着た若い男性ボランティアは、いつしか「みどりのおじさん」と呼ばれ評判となっていた。その影響か、周りの大人しかった母親ボランティア達の行動も、少しずつ変化していった。やらされ感ではなく、本気で子供達を守る為という意識が行動にも現れるようになった。

 それは、坂道を減速せずに疾走する不届き者がかなり減ったと誰もが実感し始めた矢先のことだった。
 男は天国から、新たに「みどりのおばさん」として黄色い旗を持つ自分の妻を見守ることになったのだ。(了)

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