【掌編小説】あるフォロワーの死

 僕は毎朝、空の写真をアップしていた。起き抜けにベランダに出て、その時の空の写真をスマホで撮ってネットに投げた。それはもう日課だった。大した写真ではなかった。特別な操作はしなかったし、加工も補正もしなかった。ただスマホのカメラアプリに任せて、僕は空に向けてシャッターを押すだけだった。
 何がきっかけだったのかは覚えていない。ただ朝一番の空を見上げ、大きく深呼吸をしてから写真をスマホに収めると、その日一日を上手く生きられる気がした。空をネットにアップする作業は、僕が今ここで目覚め、今日も生きていくのだという何よりの証だった。友達と会うより、仕事に行くより、僕の撮影した拙い空の画像が、拙い空の画像としてそのままネットにアップされることが、僕自身の存在を誰かに分かってもらえる何よりの方法だった。

 そんな僕にも、何人かのフォロワーがいた。写真をアップすると、時々何人かのフォロワーが「いいね」をくれた。コメントを貰うことはなかった。コメントを貰えるレベルの写真家でもなかった。それでも「いいね」の数が少しでも多くつくと、多くの人に認めてもらえたようで嬉しかった。

 フォロワーの中に、「風」という名の女性がいた。彼女は僕の写真の「失敗作」ばかりに足跡を残した。「失敗作」とは、誰からも「いいね」が付かないものだ。
 プロフィールから分かることは、僕と同世代の女性であるということ、関西方面に住んでいるということ、絵画や観劇が好きだということ、そして癌で闘病中である、ということだった。
 僕は一度も彼女と会話したことはなかった。彼女は、数日を経過して誰からも「いいね」を貰えていない僕の写真に「いいね」を付けた。コメントもダイレクトメッセージも貰ったことはなかった。僕も特に彼女にアクションを起こすことはしなかった。タイムラインを覗くこともなかった。ただ、時々「いいね」を押してくれる優しい人くらいの認識だった。
 僕の中では、朝一番で写真をアップすることで目的は達成されていた。それで十分満足だった。その後の「いいね」は、おまけみたいなものだった。フォロワーにそれほどの執着はなかった。「風」という名のフォロワーも、何人かいるフォロワーのうちの一人に過ぎなかった。

 彼女の存在を意識したのは、いつの日からか「失敗作」にも「いいね」が貰えなくなってからのことだった。「失敗作」は、いつまでも「いいね」が一つも付かない「失敗作」のまま、僕のタイムラインに上がり続けた。
 ある日、僕はフォロワーリストを眺めていた。「風」という名のフォロワーは離れることなく、いまだにちゃんと残っていた。プロフィール欄も変わっていなかった。僕は初めて、彼女のタイムラインを覗いた。タイムラインの最新投稿欄には、僕の写真につく「いいね」の数とは比較にならないくらいの「いいね」がついていた。

「風は、約半年の闘病生活の末、
 本日、令和2年2月4日午前4時3分、空へと旅立ちました。
 享年五十二歳でした。
 ここでの沢山の繋がりに、妻に代わってお礼を申し上げます。
 ここが妻の日常生活の一部だったことを、妻が亡くなってから知りました。
 しばらく、妻の記憶として、このままにします。
 どうか風を忘れないでやって下さい。 風の夫より」

 タイムラインは無音であり、無風だった。その最新メッセージは、御堂の裏庭に咲く茎の長い花のように、厳かに佇んでいた。
 僕は言葉を失っていた。何度もそのメッセージを読み返した。「風」という名のフォロワーは、その名のごとく、風のように僕の中を過ぎ去り、空に舞い上がっていった。僕がアップする空の写真。そして風。今思えば、空も風も、同質であり均一だった。同じ仲間であり同じ色彩だった。
 彼女は間違いなくこの世の中に存在し、旦那との結婚生活を送り、日常生活の中で僕の写真に痕跡を残した。何故、彼女が僕の「失敗作」にだけ「いいね」をくれたのか考えてみたが、その作業にはあまり意味がないような気がしたので止めた。
 僕は初めて、フォロワーのタイムラインに「いいね」を押した。これまで僕の写真に「いいね」をくれた彼女へのお礼として出来ることは、この程度のことだった。
 それから彼女のタイムラインを遡ってみた。ほとんどが写真で埋め尽くされていた。病院食やティータイムのスイーツ、病室の窓から眺める景色、散歩中に撮影した草花、お気に入りのポーチ、そして銀婚式を迎えたというメッセージと共にアップされた結婚指輪など、僕の写真なんかよりずっとピントも露出も定まった綺麗な写真ばかりだった。後ろ向きなコメントは一つもなかった。これからもずっと生き続けるという決意、退院したらやりたいこと、行きたい場所、食べたい物、そんな言葉が必ず添えられていた。

 「風」という名のフォロワーが亡くなった。本名も顔も知らない人だった。しかしアカウントはいつまでも僕の「フォロワー」として残っている。彼女は僕の拙い写真にだけ「いいね」を押してくれた。過去の僕の写真には、いつまでも「風」という名が記録されていた。
 いつか、そのアカウントが消されてしまう日も来るかもしれない。その日が来るまでは、少なくとも「風」という名のフォロワーは、僕のフォロワーとして存在し続ける。

 三日ぶりに、僕は空の写真をアップした。
 古雑巾を敷き詰めたようなぱっとしない空だった。アップした直後に「いいね」が付いた。「風」という名のフォロワーからだった。
 僕はとても幸せな気分だった。朝から誕生日プレゼントをもらった感じだった。今日も間違いなく、いい日になると思った。(了)

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