最後の忘れ物

最後の忘れ物

  近頃、電車に忘れ物をすることが多くなっていた。片道一時間半という通勤電車の中で、必ず一度は熟睡してしまうというのが原因の一つだった。車輛の揺れであったり、冷暖房の効いた車内の温度や静けさが、何とも心地良かった。音楽を...

病い

 四十を過ぎてからというもの、私は極度に死を意識し、病いを恐れるようになった。周りの同級生や若者が癌や心臓発作で立て続けに亡くなるのを見るにつけ、自分もいつ逆の立場になってもおかしくないのだと思うといたたまれない気持ちに...

かすがい

かすがい

 逃げる様に家を出た。最近顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた。自身はともかく、一人娘が不憫でならなかった。こんな環境で勉強なんて出来る筈ないと思った。 私は車を走らせ、塾帰りの娘を迎えに駅に向かった。「子はかすがい」と言う...

裸

 帰宅した妻は、真っ裸だった。結婚してから、何度かこういうことはあった。その理由について、敢えて問うことはしなかった。何か事情があるとは思ったが、その事で何か生活に支障をきたしたことはないし、普段はちゃんと服を着ているの...

漂流物収集家

漂流物収集家

 海は遠く、凪いでいる。波打ち際は、零れた炭酸のように寄せては返す。緩やかに湾曲する水平線に沿って、大小様々な雲が、盛りの夏空を化粧する。 どす黒く日焼けした痩せぎすの男は、馬の背に切り取られた島の稜線を背景に、目の前の...

小便悲話

小便悲話

 男が帰宅すると、トイレに明かりが点いていた。消し忘れなんて珍しい、取手に手を掛けると鍵も掛かっているようだった。試しに扉を叩くと、こんこん、と中から返事が返ってきたので、男は肝を潰した。「入ってます」 若い女の声だった...