発症

 妻がインフルエンザで寝込んでから、今日で三六四日が経過していた。これほどの長期戦になるとは思っていなかった。インフルエンザなど、薬を飲めば二、三日で快方に向かうものだと思っていた。そもそも私と妻は、予防接種を年中行事のように打っていたのだから。

 その日、妻は「寒気がする」「体の節々が痛い」と言った。酷く辛そうだった。体温を測ると三九度三分あった。近所の内科で見てもらったら、インフルA型の判定だった。
 妻は気力を振り絞って、パート先のマネージャーに連絡を入れた。シフトの交代やら友達との約束やらPTA活動やら、今週の予定を全てキャンセルした。仕方ない、一週間は人に触れてはいけないのだから。
「情けない。ごめんね」と妻は布団を首までかけて、私に詫びた。いつもは薄紅色の頬が、今は真っ白だった。
「しょうがないよ。流行ってるんだから」
 私は急遽休みを取り、妻を看病した。私が家にいると思って安心したのか、深い寝息を立てて、妻は昏々と眠り続けた。日中にこれほど眠る妻を見たのは初めてだった。午前十時頃から眠り始め、夕方五時を過ぎてもまだ起きてこなかった。
 その間に、洗濯やらアイロンやらハンディモップやら、いつも妻がやっていることを代わりに片付けた。掃除機は音がうるさいので止めておいた。いつ食べてもいいように、鍋におかゆも作った。家事を先回りして丁寧に行うと、一日があっという間だった。
「起きてた?」障子の隙間から様子を覗くと、妻はこちらを向いて目を開けていた。
「ううん、今起きた」
 半身を起こすだけで酷く時間のかかる妻の姿は、いつもの活発な妻ではなく、明らかに重病人だった。
「大丈夫?」と私は聞いた。聞いた後で大丈夫な訳ないだろうと思った。「朝よりは」と妻は答えた。「ごめんね」
「そんなに謝らないでよ。この二十年、大病もなく頑張ってきてくれたんだから」
それから一年、妻の容態は一進一退を繰り返した。病院の検査はいつも「陽性」だった。違う薬を試してはみるものの、微熱と関節痛は続き、妻は眠ってばかりいた。
 これだけ寝てばかりいると褥瘡が怖かった。朝仕事に行く前に、妻を左に向けて、帰ってきたら必ず右に向けた。帰ってきて逆を向いている時もあったが、それでも必ず反対にひっくり返した。妻は都度、ごめんね、ごめんね、と繰り返し詫びたが、夫婦なんだから当然だよ、と私は諭した。
 申し訳ない気持ちで一杯なのは、私の方だった。私と出会ったばかりに、子供にも恵まれず贅沢も出来ず、幸福とは対極の生活を妻に強いた。看病する時くらいしか、私の存在価値などなかった。二十年の夫婦生活の中で、たった一年の話だ。この先だって、妻とは何十年もずっと一緒にやっていくのだ。事故に合うかもしれない。認知症を患うかもしれない。その為の訓練だと思えば、一年くらいどうってことはない。
 妻への禊。妻への償い。昔の妻の笑顔を取り戻すために、私は妻にいつまでも寄り添い尽くそう、そう決心した。
 そして発症からちょうど一年後の今日、改めて「インフルエンザB型」の診断が下った。妻の表情はどこか嬉しそうだった。私もどういう訳かほっとしていた。痩せ細った妻の手を取りながら「何も心配いらないからね」と私が言うと、妻は落ち窪んだ目で、静かに微笑んだ。
 外は今にも雪が降りそうだった。突然、背筋に電気のような悪寒が走ったかと思うと、妻と繋いだ手の震えを止めることが出来なくなっていた。我々はもう一度病院に取って返すことにした。「いよいよ僕の番かも」
 聞こえているのかいないのか、妻の反応はなかった。歩道に落ちた大きな枯れ葉を、私は運動靴で何枚も踏んた。一刻も早く薬を飲んで、家の布団で眠りたかった。
 しかし、いくら歩いても病院に着かないばかりか、我々が今どこにいてどこに向かおうとしているのか、さっぱり分からなくなっていた。(了)

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