【超短編小説】ヤーゴン、再び

 山道を外れ、特別の場所に作られたこの住処までは、さすがのマスコミも一般人も足を踏み入れることはないはずだが油断は禁物だった。このところ夜になると、懐中電灯の明かりが、真夜中でも山道近辺にちらついているのが見えた。話題の珍獣の姿を何とかカメラに収めようとネタ探しに躍起になっている輩は必死なのだ。もっともそれは、こちらが意図した通りの展開なのだが。
 私が「ヤーゴンの中の人」となってから、ひと月が経過していた。

 この企みが正しいやり方なのか、私はいまだに判断できずにいた。村役場の職員が着ぐるみをきてヤーゴンになりすますというアイデアは、いくら観光資源の少ないわが村を活性化させるためとはいえ、とてもリスキーな戦略だった。とはいえ代案があるのかと問われれば、それ以上の策を提案できる能力は私にも上長にもないのは事実だった。
 三十年前の未確認生命体「ヤーゴン」に関する一騒動は、マスコミが面白おかしく報道したことで、村には全国から観光客が訪れた。
 ヤーゴンとは、日本猿よりは断然大きく、成人男性よりはいささか背が低い、全身毛むくじゃらの類人猿である。我が矢内村の宝見山山中に住んでいるとされ、時折山を下りて民家に現れ食料を物色したり、農地を荒らす事件が起きた。人が襲われたということは幸い一度もなかったようだが。
 ヤーゴンを目撃した人の話を集約すると、「猿と熊の中間のような風貌。きびきびと動き回り所作は粗雑だが、目は人間の目のように優しい瞳」とのことだった。実際にヤーゴンの姿を捕えた数枚の写真が残されているが、どれもピントがぼけていて、決定的な証拠にはならなかった。
 しかし、県立大学の生物学者が、これまでの分類に当てはまらない新たな生命体の可能性があると公言して以来、ヤーゴンはたちまちブームとなった。村には新しい宿泊施設ができ、土産物が開発され、「ヤーゴン発見ツアー」も企画されたりと村は有史以来の賑わいとなった。
 ところが、ある週刊誌が現場に残されたヤーゴンの毛の分析から「ただの年老いた猿だ」と結論付けたり、「精神的に追い詰められた村民の幻視だ」とか、「写真捏造の証拠を掴んだ」など、ヤーゴンの存在を否定する手の平を返したようなネガティブキャンペーンによって、ヤーゴン騒動は一気に下火となった。
 以後、ヤーゴンに関する報道が減るのと同時にヤーゴンの出現情報がぱたりとなくなったこともあって、真相は結局藪の中となった。最近ではヤーゴンブームそのものを知らない若者も多くなっていた。
 そんな「ヤーゴン伝説」をもう一度復活させて村を活性化しようというアイデアが、役場内のどこからともなく持ち上がった。実際、ヤーゴンそのものの個体は、屍を含め未だ捕獲された訳でもなく、週刊誌の分析も真実かどうか明確でないことを考えれば、「ヤーゴンで村おこし」というテーマそのものは、満更無謀なものではなかった。
 しかしヤーゴンの住処を山に作り、ヤーゴンの着ぐるみまで制作して、村の職員が寝泊まりしながら、「宝見山」の山中や県道をうろつくのは国民を騙す行為であり、それを村として進めていくことには後ろめたさもあった。
 とはいえ、背に腹は替えられず、衰退の一途をたどる村としてもはや手段を選んでいる余裕などなかった。若者は次々と村を離れ、高齢化は進み、農業以外にこれといった産業のない矢内村の未来は暗澹としていた。
 かつての「ヤーゴン伝説」に将来を賭ける他なかった。ヤーゴンは最後の切り札だった。どのような方法でもいいから、まずは村が注目を浴び、人を呼び込めるネタ作りが必要だった。そこで、これは推測だが、仕事への不平不満を口にせず上長に忠実であり、逃げ足が速く、且つ四十過ぎで未婚の私が、そのヤーゴン役に抜擢されたという訳だった。

 ヤーゴンの着ぐるみは、お金をかけて作っただけあって中々の代物だった。当時の情報を元に、毛並みはもちろん指先の爪や顔の皺一つ一つまで忠実に再現されていた。保温性、保温性に優れ、寝袋として冬から春にかけての今の季節に丁度良く、排泄用の穴もご丁寧に開いているため、私は食事を取る時以外殆ど着ぐるみを着て過ごした。
 日が昇り、周囲に明るさが増すと、私は任務を全うする為、ねぐらを出る。任務とは、言わずもがな「ヤーゴンとして、山林を巡り、農地を荒らし、観光客やマスコミに捕獲されることなく、謎の生命体として村に話題を提供する」ことである。
 山道のある山の中腹に、特別に整備した別のルートから向かう。この時刻になると、山道を歩く人の姿はちらほら見られた。もちろん、ただの山登りではなく、ヤーゴン発見ツアーの一環である。役場あげてのSNSや動画サイトを介した情報発信により、昔の「ヤーゴン騒動」を記憶している年配者のノスタルジーや怪奇現象などに興味を持つ若者の心をくすぐり、既に県を超えた話題になりつつあった。
 「発見ツアー」と銘打つ以上、適度に「ヤーゴンの存在」を匂わせる痕跡を示す必要があった。糞、足跡、食べ跡などが、山道のあちらこちらに仕込まれた。事前撮影したそれっぽい出現写真を、それぞれの撮影スポットに並べた。いつ何時ヤーゴンに出くわし、襲われるとも限らない道中では、簡易なヘルメットの着用が義務付けられた。そうした小物も、雰囲気を演出するには大切な小道具だった。
 私は遠目で様子を見ながら、わざと音を立ててブッシュを駆け巡り、視界を横切り、疑似的な獣の遠吠えを大音量で流すことのできるボタンを適当な感覚で押しながらツアーを盛り上げた。

 そんなある日、一か月に渡る山暮らしでそれなりに疲れが溜まっていた私は余りの天気の良さと昼飯後ということもあり道中で居眠りをした。そのことで、特別ルートを知ってか知らずか、複数の人間がこちらに歩み寄ってくる気配に気付くのが遅れたのだ。これは大きな油断だった。
私は木々の間に身を潜め、しばし様子を窺った。話し声は次第にこちらに近付いているように思えた。こん棒のようなもので枝を払う姿が遠目で見えた。
 まずい。
 私は覚悟を決め逃げることにした。住処に戻る訳にはいかないので、別の方向に向かわざるを得なかった。
 その音に誰かが気付いたか、背後から奇声が上がった。立ち止まったら追いつかれる気がした。私はヤーゴンになって初めて身の危険を感じた。万が一捕獲されては身も蓋もなかった。全ての計画は台無しだった。村おこしどころか、村の信用そのものを失いかねなかった。
 私はありったけの筋力を振り絞って逃げることに集中した。脚力には自身があった。高校まで、短距離選手としてインターハイまで出場した経験があった。しかし今は着ぐるみを着ている。いくら軽量化された着ぐるみとはいえ、長靴を改良したヤーゴンの足では、それほどのスピードで走ることは難しかった。加えて、枯れ木や草のつたに何度も足をとられた。
 視界は狭められている。ヤーゴンの目では、ほぼ眼前の世界しか見えない。左右を確認したければ、顔そのものを向けるしかなかった。もちろん、今山のどこをどう進んでいるのか分からなかった。
 後ろを振り返る余裕はなかった。追手はもうすぐそこまで迫っていた。ヤーゴン、という叫び声が何度か聞こえた。これ以上早くは走れなかった。茂みは密度を増し行く手を阻んだ。止まることは許されなかった。というより、止まれなかった。
 視界の先の景色が、手前の草木と分断されていた。それがちょっとした崖だと気が付いた時は既に遅かった。体が重力に引きずられて恐ろしい勢いで回転した。頭部に何度も衝撃が加わった。そのうちの一つは、私の意識を完全にあちら側に飛ばした。

 体の節々が痛かった。仰向けに寝返ろうとすると、後頭部がずきんと疼いた。転がり落ちた断崖は、下から見上げるとかなりの高低差だった。よく死なずに済んだものだ。ヤーゴンの頭部がいつの間にか外れて無くなっていた。私は毛むくじゃらの胴体に人間の顔という出で立ちだった。追手の姿は、少なくとも今の私の視界にはなかった。
 日差しは木々の隙間を抜け、直接私の顔を差した。山の雪はもうほとんど溶けていた。全身に痛みはあるが、骨折するなどの致命傷は追っていないようだった。奇跡的だった。
 そこは少しだけ木立の薄いちょっとした広場のような場所だった。鬱蒼とした森の谷底にしては違和感があった。人の手が意識的に加えられているような空間に思えた。体中が暑かった。熱が内部に籠っていた。着ぐるみを脱ぎたかったが、背中のチャックが引っ掛かり下がらなかったので諦めた。
 直立して私を見つめる、二つの視線を感じた。最初は熊かと思ったが、それにしては細身であり、立ち方が余りにも人間的だった。
 否、それは「ヤーゴン」だった。ヤーゴンが、顔を失ったヤーゴンの私をずっと見つめていた。奇妙だった。身長はそれほど高くはなく、むしろ子供の身長に近かった。体毛はかなり汚れ疲れている感じだったが、金を掛けた作り物のヤーゴンなどではない、野生の生き物と言った感じの風合いだった。まさか。
 ヤーゴンは無言のまま、私の方に歩き出した。私は目線を逸らさず身構えた。不思議と恐怖心はなかった。むしろ、本物のヤーゴンに遭遇しているのだとしたら、これ以上の幸運はない。この体験はしっかり記憶しておいて、次のヤーゴンによる村おこしに生かさなければいけない。
ヤーゴンはいよいよ私の側まできて、訝しそうに私の顔を見つめた。
「大丈夫?」とヤーゴンは言った。
「え、はい」と私は答えた。
「あそこから落っこちたんだよ。あんた、持ってるよ」
 ヤーゴンの瞳は、かつての目撃情報の通り、優しい感じだった。人を警戒し、人の物を盗み取るヤーゴンのイメージとは全く違っていた。それより、と私は気付いた。ヤーゴンは、普通に日本語を話すのだ。
「すいません、あなたもしかしてヤーゴンですか?」
 私は単刀直入に聞いた。
「元祖のね」
 躊躇なく目の前のヤーゴンは認めた。元祖というと、三十年前の、という意味なのだろうか。彼は私の正面に腰を下ろし、後ろに両手をついて天を仰いだ。「もう随分年をとったよ。山を巡る気力も度胸もなくなった。でもあんたが頑張っているのを知って、また少しだけ勇気が出た」
 ヤーゴンの言っている意味が良く分からなかったが、私はどこか穏やかな気持ちになっていた。
「再ブームになっているようだね」とヤーゴンは聞いた。
「村に多くの人が集まってますよ。マスコミも含めて」
「なるほど。あの頃と同じだ」
「あなたは一体」
「村は大好きだよ。役場もね。骨を埋める覚悟だった」
「あなた、もしかして」
「ああ多分その予想は、外れてるよ」
 私は混乱していた。耳元に虫の羽音を感じ手で払い退けた。アブや蜂の類は大嫌いだった。それでは何故森に入ったのか、と言われれば、業務命令だから、と答えるしかない。業務命令に逆らうことなどできないし、私が少しだけ虫を我慢出来れば、白けた村が活性化するかもしれないと思うとヤーゴンでも何でも引き受けるしかなかった。しかし、本物のヤーゴンがいるというなら話は別だ。こちらはあくまで彼のレプリカに過ぎない。素性が知れる前に身を引くべきなのかもしれない。瀬戸際で、私は仕事をしていた。
「本当に、本物のヤーゴンですか?」と私は改めて念を押した。
「もちろん本物だよ。見ての通り」
 ヤーゴンは決して正体を明かすことはなかった。それは正体がばれたらまずいのか、否、そもそも着ぐるみではなくて本当にそういう動物なのかもしれない。
私は余りにも理不尽な今のこの状況に、夢を見ているのではないかと疑った。崖から転落をして、頭が一時的に壊れているのかもしれない。
「ここは一つ相談だが」とヤーゴンは言った。
「ヤーゴンをやらせてもらってもいいかな?」
「やらせてもらってもって、あなたが元祖だって」
「いや、今のあんたと同じように、村の人寄せパンダとしてまた活動したくなったんだ」
「それは私が判断することでは」
「ヤーゴンは一人である必要はない。複数いてもおかしくない。ヤーゴンには家族がいたなんて、またそれはそれで話題になりそうだし」
 酷い幻聴と幻視が起きているのかもしれない、そう思うようにした。辻褄を合わせようとしても、元から破綻していれば合う筈もない。
 私は周囲を見回した。私の頭部はどこに行ったのだろう。私の素性が割れてしまうのはタブーだ。最初に出会った動物がヤーゴンで良かった。とにかく、私は早く頭部を探して住処に戻らなければならない。今度こそ、誰にも見つからないように。いやもしかしたら、先ほどの追手に住処の存在を知られてしまったかもしれない。
 私は立ち上がり、全身の着ぐるみに損傷がないか確認した。
「立派な衣装だね」とヤーゴンは言った。
「金掛かってますから」
「自分の時は予算がなくてね。手縫いだよ」
「すいません、戻ります」
「ああ。引き留めて悪かったね。家族が増えた、ということでこれからよろしく。捕まるようなヘマはしないから安心して。あの当時だってね。まあ、いいか。あんたの頭、あそこに転がってるよ」
 ヤーゴンの指の先の草むらに、茶色い塊の影が見えた。
「ありがとうございます」
「村の為にもう一旗あげよう、なあ同志」
 私は頭を拾い被った。うまく外れてくれたようで、頭部にも目立った傷はなかった。ボタンを押して咆哮を確かめた。
「ハイテクな着ぐるみだね。三十年の進歩を感じるよ」
元祖ヤーゴンは私をブッシュの薄い山への入口に案内した。「このまま道なりに沿って登っていけば、山道方面に抜けられる」
 私は言われた通りに山を登ることにした。ここがどこなのか分からない以上、元祖ヤーゴンに従わざるを得なかった。私はある程度進んだところで、後ろを振り向いた。その時にはもう、元祖ヤーゴンの姿はなかった。今頃になって、再び頭痛が押し寄せた。酷い頭痛だった。しかし私はそのまま頭部を取らずに歩き続けた。いつ何時、誰かに見られるかもしれなかった。ヤーゴンの秘密は墓場まで持って行かなくてはならない宿命なのだ。
 私は自身の帰巣本能を信じた。宝見山は鳥の鳴き声しか聞こえなかった。私は夢中で前に進んだ。べたべたとした汗が顔から噴き出しているのが分かった。
 突然村のはずれにすむ両親が頭に浮かんだ。もう随分帰っていない気がした。父親の体は酷く弱っていて、すでに老老介護の域に差し掛かっていた。地域活性化の次は、福祉の問題だ。過疎の村には、課題などいくらでもあった。

「ヤーゴン射殺」のニュースは、住処の移転準備を進めている間隙を衝いた。ハンターによる誤射とのことだった。山歩きの人がいるのに狩猟をするなどありえないと思ったが、しかしそれは事実であり、実際に起こってしまったことだった。
 ヤーゴンは着ぐるみを着た人間だった。未確認生命体などではなかった。亡骸は早速検視にかけられた。三十年前に行方不明となった矢内村の職員である可能性が高いと報道された。
 ヤーゴンによる町おこしは、悲劇的な結末で二度目の幕を閉じた。村役場では全職員に箝口令が敷かれ、ヤーゴンの話に触れることはタブーとされた。観光客は一気に蒸発し、村はたちどころに閑散とした。三十年前もきっとこのようなことが起こったのだろうなと、私は思った。
 その後、ヤーゴンの話は、過疎地の活性化のために殉職した職員の美談として一部の地方公務員の間で語られる程度となった。美談なのかどうかは怪しかった。しかし少なくとも一定期間、村に話題と経済効果をもたらしたのは事実だった。三十年もの間、ヤーゴンとして居続けた生活も、なぜ彼がヤーゴンとしての生涯を送ることになったのかといういきさつも、彼亡き今となっては知りようもなかった。あの時もっと時間をかけて、私は彼と対話すべきだったと後悔した。

 事件後、私は福祉関連の部署に異動となり、「老老介護」を含めた高齢化問題に取り組んでいるが、これもまた観光振興以上に、一筋縄ではいかない問題だった。
 しかし、いまだに私の中で、ヤーゴンは生々しく生きていた。またきっと、ほとぼりが冷めた頃に、ヤーゴン復活ののろしは上げられる気がした。この村には、ヤーゴンしかないのだ。私にはどうしても、いまだに元祖ヤーゴン以外の、殉職したОB以外の、正真正銘の未確認生命体「ヤーゴン」がいる気がしてならないのだ。(了)

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