『奇跡の微笑は、いつものフードコートから。』

「いらっしゃいませ、こんにちは」
 日本で一番大きなハンバーガーショップのカウンター。その時の私は目の前の客ではなく、街道に面したテーブル席の片隅で、怖い顔してスマホを弄ってる若いママに気を取られていた。歳は二十代半ば。茶髪のロング。派手目な化粧。胸元の大きく開いたニットシャツ。クロエのショルダー。ベビーカーの赤ちゃんそっちのけで、画面を睨み付けてる。
「フィレオフィッシュ一つと、ナゲットを一つ」
 あの感じ、この間までの私そっくり。顔も背格好もファッションも。きっと私も他の人からはあんな感じに見えていたのだろう。
 旦那らしき男性がドリンクの載ったトレイを持って近付いてくる。彼女は慌ててスマホカバーを閉じてバッグに放り、それまでの表情とは一八〇度違う笑顔で彼を迎える。
「あの、すいません」
 怪訝そうな表情の中年女性。いけない。私は頭を下げて、もう一度オーダーを聞き返す。
 それでもやっぱり私は気になり、財布の小銭を探る女性の肩越しにチラ見する。ママは、旦那と一緒にポテトを齧りながら、特に会話もなくドリンクを飲んでいる。夫婦でいるのに浮かない顔してたり、スマホやメールに夢中になってたりするのを見ると、直ぐ浮気してるんじゃないかと考えてしまう。あるいは、どちらが先に浮気するかって。
 恋人がいようがいまいが、休日一緒に家族で出かけられるだけ、当時の私よりずっとまし。会話なんてなくても、気持ちが通い合っていなくても、一緒に同じ空間の空気を吸ってさえいれば家族の体裁を保つことは出来る。
 私はいつも一人だった。この店のカウンター席で。いや、正確には一人じゃない。ベビーカーに乗せた「宇宙(こすも)」がいた。けれど、私の寂しさを分かってくれるには、宇宙は余りにも小さ過ぎた。孤独や不安は一人より二人、二人より三人の方が感じるものだと誰かが言ってたけど、その時の私はそれを実感してた。宇宙と二人でいるより、宇宙と旦那、三人でいる時の方がずっと寂しかった。
 だから、誰かと一緒にいても、私はいつも「一人」と思うようにしてた。その方が余計な寂しさを感じなくても良かったから。

 平日のイオンモールのフードコートは、土日の賑やかさとはうって変わって、シーズンを過ぎた海の家のように閑散としていた。
 午前中という事もあるのかもしれないけど、少なくとも開店直後から入店して、お替わり自由なホットコーヒーをいつまでもだらだら飲んでる女は私だけ。同じ幼稚園のママ友とか、散歩の途中で立ち寄った感じの老夫婦とか、学校をさぼって昼間からゲームに興じる高校生とか。
 カウンター席の一番端っこ、私の「指定席」はいつも空席だった。この席からだと何となくフードコート全体の様子が見えるし、巨大なガラス越しに外を歩く人間ウオッチングも出来るし、何より富士山が見えるのがいい。マンションとマンションの間から、日本で一番宇宙に近いその山は、慎ましくその存在感をアピールしてる。
 私はフードコートが好きだった。家でじっとしていると、気が触れてしまいそうだった。自宅から歩いて三十分もあるイオンモールに来たからといって、何か状況が好転する訳ではないけど、ここに来れば誰かいる。万が一私がおかしくなっても、何とかしてくれる人がいる筈だから、多分。
 宇宙の乗ったベビーカーを足元に置きながら、私は素早くメールの返事を打つ。そんなに慌てて打たなくてもと思うけど、早く返信して「待ち状態」にしてないと気持ちが落ち着かない。移り気は女の特権なんてことない。男だって移り気。他にちょっとでもいい女がいれば直ぐに乗り換えられる。
 家を出る直前に投稿した「メル友募集」のメッセージには、過去最高の「七十五通」の返信メール。育児中の女って、相当ストレス溜まってると思われてる。
 冷めたコーヒーを啜りながら、屑メールの整理。一言だけのメール、プロフィールのないもの、ハンドルネームが奇抜過ぎるもの、挨拶がないもの、最初から下ネタ、そういったものは問答無用で屑扱い。即、削除。経験上、そういう男にロクな奴はいない。質が悪い。出会う前から切なくなる。
 そうして残るのは十通程度。メル友サイトには無礼で奇特な男が溢れてる。その中から、いかにマシな男を見つけるか。素敵な、というより、マシな。ネガティブかもしれないけど、平日の昼間から出会い系に繋いでくるような男は、どこか暗くていじけてて、現実救い難い歪んだ闇を抱えている。以下同文。私も同じ。
 屑を片付けたら、本文とプロフィールを一人ずつ見比べる。相性が合うか合わないか、直感的に選別。これは、と思う人には、まずは御礼の言葉を返してみる。全ての関係はそこから始まる。(→続きはAmazon(Kindle版)で)