④イントロダクション
イントロ、と言っても、「イントロで勝負しろ」ということではありません。もちろん、導入部というのは、人を惹きつけるアイキャッチの観点からは非常に重要な点ではありますが、僕は小説はオーケストラの楽曲に似ている、と思っています。
起承転結があり、聴かせどころがあり、抑えどころもあり、前振りがあり、サビがあり、華々しいラストがあり、物悲しいフェードアウトがある。
書き手は正に「作曲家」であり、指揮者です。聴衆の心に響く音楽をどう奏でるか、その人の技量であり、個性であると。
静かな滑り出しから、次第にクライマックスに向けて盛り上げてもいいし、派手な出だしから、穏やかに終焉を迎えてもいい。
「いい小説」とは、そうした「聴かせどころ」をきちんと分かっている小説ではないでしょうか。
最近は「小説」を「選ぶ」側の論理なのか、イントロダクションの正否だけで小説の良し悪しを判断する、という慣行が広がっている気がします。
確かに、文学賞にしろ、WEB小説にしろ、名も実績もない人間の書いたピンキリの小説群から、時間のない中で、少しでもいいものを選りすぐろうと思えば、やむをえない部分もあるのかな、とは正直思っています。
しかしそうなると、文学賞を獲りにいきたいと考えますと、最初に「サビ」を持ってこようとするあまり、中盤や終盤での盛り上がりに欠けてしまうものが多くできてしまうのではないでしょうか。「最初の勢いは一体何だったのだろう」と読み終わってみて騙されたような気分になることも往々にしてあります。かといって、全てが「サビ」ばかり、というのも読んでいて疲れてしまいますし、それぞれの「サビ」が相対的に希薄になってしまう気もします。
どうもそうした傾向は、正直いやだなと僕は思います。じっくり小説の音に耳を傾け、第一楽章から最終楽章まで、時間をかけてストーリーや行間を味わう、ということがなくなってしまう気がするのです。
文学賞のハウツー本には、「イントロで勝負」と書いてあるのがほとんですが、「いい小説を書くこと」と「文学賞をとる」というのはニアリーイコールであっても、イコールではないと思っています。
自分らしさが発揮された新しい世界を構築するためには、そうした「ハウツー」からは極力遠ざかっていたい、と思うのは僕だけでしょうか。(→続く)