いい小説を書くために~その⑤校正

⑤校正

僕は、「ラフスケッチ」的に概略を書いてから、細部を詰めていく、という執筆スタイルをとっていますので、校正作業は必ず行うことであり、むしろその作業に、スケッチを書く作業の何倍もの時間を費やしています。

言葉や文章に正解はなく、その時の気分や虫の居所で表現が変わってしまうこともありますから、必ず何度も何度も「直し」は入れます。読みやすいように、文章のリズムに注意したり、使っている言葉も極力分かりやすい、素直な言葉にします。

大抵、100枚くらいの原稿を一気に書くと、校正後の完成版は、平均的に70枚程度にまでシェイプアップされるのが常です。気持ちが入ると、よりよく、より多く伝えようとするあまり、過剰に、くどく、何度も同じようなことを書いていることがあります。

これは、「気分よく酔っ払った」時の感じに近い気がします。僕は酔っ払うと、同じことを繰り返ししゃべるみたいで、「さっき聞いた」「いい加減うるさい」「黙れ」と最後には反感を買い、呆れられてしまうことがしょっちゅうあります。これが、小説にも、露骨に出てしまうわけです。

ですから、ひとまず校了した小説は、一週間くらい「寝かせる」ことにしています。熱くなっている頭をクールにした状態で、後日改めて見直してみるわけです。全く第三者的視点から、「他人の小説」を読むように読んでみます。第三者の視点、というのは、実に難しいわけですが、これはもう、極めてクールに、容赦ない厳しい視点で行う必要があります。本当は、本当の第三者に読んでもらうのが一番いいのです。

そうすることによって、「うるさいところ」「余剰なところ」「飛んでるところ」などをばさばさ切りつめていくと、平均約3割くらいのボリュームダウンになります。

「長編小説」とて、ただいたずらに文章を増やせばいいものではなく、小説のモチーフに従って、所定の言葉を所定の位置にいかに「正確に」おけるかという作業の積み重ねです。
この話をする時、僕はいつも、太宰の小説で見かけたこんな言葉を思い出すのです。

たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている

太宰はいつも、痛いところをつくなあ、と感心させられます。
これは本当に、良く分かる気がします。
だから僕はまどろっこしさは抜きに、極力、簡潔かつ分かりやすく表現していきたい。それがモットーです。

自分が本当に読みたい、と思う小説を書く

これからも、それに徹していこうと思っています。(→続く

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