超短編小説

壁画の娘~銀座ライオンの恋

壁画の娘
『壁画の娘』

「銀座ライオン本店でデートすると、一ヶ月以内に別れる」

 
新橋に本社のある早生の社内では、最近そんな噂が流れていた。
 「ライオンの祟り」だの「7丁目には戦前墓地があった」だの「米兵と日本人ウェイトレスの心中話」だの「二人の愛も泡と消える」だの、真面目とも冗談ともとれない理由が真しやかに囁かれていた。
 確かに「銀座ライオン本店」は、ビアホールの発祥地としても人気があるし、古き良き昭和を伝える建造物は一見の価値がある。当然銀座デートの際にはコースに組み込まれる頻度も高いわけで、一般的にカップルが出会い別れる確率とそう大差ないのではないかと早生は考えていた。
 しかし実際に同僚にも一人、隣の部署でも一人、銀座ライオンでデートした直後に別れたという事例を立て続けに見るにつけ、さすがにただの噂話とは思えなくなっていた。

「試してみる?」

 好奇心旺盛で向こうっ気の強いはるなは、社員食堂でランチをとりながら早生に言った。早生とはるなはつい先月の他部署間の合同交流会で知りあったばかりだった。早生にとっては久しぶりの出会いであり、はるなとの縁を大切に育てていきたいと思っていた矢先だったので、こんなネガティブな話を持ち出したことを少し後悔した。

「ジンクスがあると、破ってみたいと思う性格なの」
「俺もそんな話、最初から信じてないけどさ」
 無理してると悟られないよう、早生は意識的に声の粒を揃えた。
「前から行ってみたかったけど、ビアホールなんて一人じゃ入り辛いでしょ?」
「ビールは大勢で飲んだ方が楽しいよ。じゃあ、今度の休みの日にでも行ってみる?」
「うん!」と言ってはるなは微笑み、誰にも気付かれぬよう、早生にだけ分かるウインクをした。

 休日の本店は、ランチタイムを過ぎても大勢の客で一杯だった。ガムを噛み終わる程度の待ち時間の後で、早生とはるなはフロアの丁度真ん中のテーブル席に通された。
 入口からは想像もつかない高い天井と巨大なモザイク壁画。風合いのあるタイルが敷き詰められた壁、そして重厚そうな柱。それはまるで異国の遺物を見ているかのような感覚だった。
 天井から吊り下がる葡萄型の照明を見つめながら、早生は当時どのような人々がここを訪れ、どのような味のビールを飲んでいたかに思いを馳せた。

「タイムスリップしたみたい」
 はるなはテーマパークに来た少女のように、はしゃぎ気味に言った。
「内装はほとんど当時のままなんだって」
 間もなく、フットワークの軽そうな背の高いウェイターがすっとテーブルに近付き、注文を求めた。
「俺は『黒ラベル』。まずは定番から」
「私、『琥珀エビス』って飲んでみたい。エビスに琥珀なんて、超リッチじゃない?」
 ほぼ満席にも関わらず、ウェイターは直ぐに飲み物を運んできて、それぞれのビールを正しく置いた。さすがは老舗のビアホール。早生はその手際の良さに感心した。
「乾杯しよ」とはるなは言った。
「何に乾杯する?」
「最低でも一ヶ月、二人の関係が続いていることを祈って」
「何それ」
「はい、乾杯!」

 店内は、お互いの声が時折聞き取りにくくなるほどの喧騒と嬌声で満ちていた。ローストビーフやウインナー、アボガドサラダなどを適度につつきながら、早生とはるなは様々な旬の話題に花を咲かせた。
 日常飲む発泡酒とは違って、ビアホールで飲む生ビールの味は格別だった。しかも今日はお互い一人ではない。アルコールの失敗談をあげたらきりがない早生にとって、あまりに美味過ぎる酒は危険だった。頬が幾らか赤らみ始めたはるなの笑顔と陽気な話を前に、早生は今一度意識の操を引き締めた。

「最後に一ついい?」
 お腹も満たされ、会話の合間から引き際を考えていた正にその時、はるなは早生の意を察するように言った。
「あの壁画の藁を抱いた女性の人、分かる? そう、ブルーのスカートを履いて後ろ向きに立ってる娘さん。彼女の顔がどうしても見たいって思ったら、佐々木さんならどうする? 性格占い」
 はるなの質問に、早生は手こずっていた。少し深読みをすれば裏をかけると思ったが、それはクイズのようでもあり直ぐには名案は浮かばなかった。
「じゃあ一週間、時間あげる」
「一週間」
「そろそろ行きましょうか。何か今日はとても素敵な気分」

 レジで会計を待つ間、早生はもう一度後ろを振り返り壁画の娘を眺め、それから絵のモチーフについて考えた。ビアホールだけに、原料の大麦を女子供が収穫している図、と見たままのアイデアしか思いつかなかった。それ以上深く考えるには、少し酔い過ぎていた。地下鉄の駅に向かう人混みに身を任せ、右手にしっかりと繋がったはるなの温もりを感じることで精一杯だった。

 回答期限の一週間後、電話は珍しくはるなの方からかかってきた。先週の同じ日、銀座ライオンでちょうど二人が乾杯し合っていた時間帯に。
「さて、あなたならどうする?」
 電話の向こうのはるなの声は、その言葉以上に、いつもより寂しげに早生には聞こえた。
「あれから色々考えてみたけど、あの娘の目線の先に、こちらを向いた自分を描くっていうのはどう? 絵の中では、間違いなく娘の顔は見えてるでしょ? こんな答えじゃ駄目かな」
 柔らかな沈黙が通り過ぎた後で、はるなは溜息をつくように言った。
「転勤になったの、私」
 早生は耳を疑った。これまでの話の流れからして、あまりにも唐突だった。
「転勤? どこに? いつから?」
「札幌。一ヶ月後に」
 冗談だと思いたかったが、はるなの声の調子からして、それは期待薄だった。
「突然そんなこと言われても……。じゃあ、結局ジンクスは破れなかったってこと? そういうこと?」
 早生の質問に、はるなは何も答えなかった。早生から話しかけなければ、そのまま永久に停止してしまうのではないかと思う程の暗く重い時間が流れた。
「どのくらい?」
「三年」
「三年、か」
 三年という月日は、早生が前に付き合っていた女性との交際期間とほぼ同じだった。銀座ライオンでデートすると一ヶ月以内に別れる。まさか自身がその通りの結末を迎えることになるなんて。
「自信ない?」
 今度ははっきりと早生にも聞きとれる声で、はるなは言った。
「何とも言えないよ」
 早生は素直にそう答えた。正直、先のことなんて分からなかった。それよりも、ジンクスを破れなかったことが、早生にとっては何より悔しくて堪らなかった。
「まだ出会って間もないのにこんなこと言うのおかしいかもしれないけど、お互い、信じてみない? 佐々木さんとだったら、私、うまくやれそうな気がしてるの、離れていても」
 はるなが今どんな表情で話をしているのか、早生はとても気になった。「俺だって、せっかくの出会いを無駄にはしたくない。でもこんなことになるんだったら、銀座ライオンなんて行かなければ良かった」
「ううん、ごめんね。違うの。もうその時には決まっていたの。だから、ジンクスとか関係ないの」
「本当?」
「さっきの占いだけど、無理やり顔を作り変えて振り向かせてしまう、とか自己中心的な発想じゃなくて、絵の中に飛びこんでいって相手の視線に合わせる、というのはとても優しくて思いやりのある考え方。だから、私、それ聞いてほっとした。この人なら信じられるって。転勤になっても、きっと待っていてくれる人なんだって本気で思えた。ごめんね、私勝手だよね」
 電話越しに鼻を啜るような音が早生には聞こえた。そして、深呼吸するように、ゆっくり息を吐く音も。
 はるなの言葉を、もう一度頭の中で反芻した。それから目を閉じ、現実に彼女のいない会社を想像し、社員食堂を想像し、週末の過ごし方を想像した。

 寂しくなるし自信もある訳じゃないけど、札幌なら飛行機であっという間だし、電話でもメールでもネットでもいつでも繋がっていられる。
 たかが三年。そう、三年経ったら、また銀座ライオンでデートしよう。ジンクスなど存在しないと、そこで証明するために。
「札幌はビールの美味しいところだよね。あと食べ物も。たまには行ってもいい?」
「行ってもいいだなんて…。もちろん、いつだって待ってる。私も東京に戻る時には連絡するから」
「じゃあ、新しいジンクス作ろうよ」
「新しいジンクス?」
「銀座ライオン本店でデートすると一ヶ月以内に別れるんじゃなくて、三年間離れ離れでも壊れない強い愛を育めるって」
「うん。ありがとう……早生、さん」
 はるなから名前で呼ばれたのは初めてだった。今すぐはるなに会いたい気持ちで一杯だった。スマホをあまりにも強く握り締めている事に気付いた。スマホは今、まるではるなの温もりそのものだった。

 北海道。深い青空。緑の絨毯。

 その地平の境目に並んで座る二人の姿を、そして三年後、再びあの銀座ライオンの大壁画を前に「琥珀エビス」で乾杯するはるなの笑顔を、早生は可能な限り細部に渡って想像していた。(了)

 


2016-07-30 | 超短編小説No Comments » 
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