リーマン☆ライダー

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『リーマン☆ライダー』

「会場を襲撃せよ!」
(「門松男」の号令により、会場ソデより「ジョーカー戦闘員」二名登場。観客席の子供たちを牽制しながら両サイドの通路を練り歩く。『マックスの秘密トークショー』が一転、場内に緊迫感。BGM「メタフォリス帝国のテーマ」)

 私は震えていた。
 もちろん、大の大人である私が、「門松男」や「ジョーカー戦闘員」の登場に怯えたわけではない。首の隙間から入り込む冷たい風が我慢ならなかったのだ。
 今、ヒトシの首に巻かれているマフラーは、元々私が用意してきたものである。出掛けに何度も忠告したのに、ヒトシは頑なに拒否した。最近反抗期な上にマフラーが苦手らしい。以前、安物のマフラーを巻いてひどい痒みに襲われたことがあったようだ。
 しかし家の中と外ではまるっきり温度が違う。1月2日のイトーヨーカドー正面入り口「特設広場」。ここは北向きで一日中陽が当たらないところなのである。
 いたたまれずヒトシのマフラーを半分取り返し、自分の首に巻きつける。動いていないので、寒さもひとしお身に染みる。コンクリートの上にブルーシートを敷いただけの客席では尻からも熱が奪われる。
 とはいえ、ひとたびショーが始まってしまえばヒトシはもうそちらに夢中で、自分の首が私の首と繋がっていることなどお構いなしに、ジョーカーの動きに合わせて上体をひねる。
 ジョーカーは短刀のようなものを振りかざし、目が合った子供たちをいちいち威嚇している。昔の「ショッカー」は皆素手じゃなかったか、と私は不規則に訪れる首の圧迫に耐えながら、幼少期に見たヒーローの記憶を辿る。
「ヒュウー、ヒュウー」
(「ジョーカー戦闘員」たちの気勢。バック転を交えながらステージ中心に集結)
「一人残らず捕まえて、『メタフォリス』に連れて行くのだ。やれ!」
(『トークショー』の司会役だった「お姉さん」からワイヤレスマイクを奪い取り大声を張り上げる「門松男」。不安を煽る悲鳴交じりの効果音。さらに2名の「ジョーカー」がステージ裏から登場し「門松男」の両脇を固める)

 それにしても、正月早々、どうしてこんな苦痛を受けなければならないのか。海外旅行なんて贅沢は言わないが、私にもプライドや体裁というものがある。
 「年末年始合わせて5日しかない貴重な休日に、防寒対策もままならず、痺れる尻を誤魔化し誤魔化し、不肖の息子と2人、わざわざ車で30分もかけて、イトーヨーカドーの客寄せイベントを見ている自分」というものが、甚だしく「負け組」を象徴しているようで惨めな気持ちになる。
 もっとも、事実なのだから仕方ないだろう、と言ってしまえばそれまでだが。40も過ぎると、人生の軌道修正をするのは並大抵のことではない。

(BGMが止む。場内のざわめき。「門松男」と「ジョーカー」が訝しげに目を合わせる。突如、『お面ライダーマックス』の主題歌が大音響で流れ始める。「ジョーカー」に羽交い絞めにされていた「お姉さん」から歓喜の笑顔。ヨーカドー1階店内「婦人靴売り場」付近より颯爽と「マックス」登場。子供たちのどよめきと歓声)
「平和を乱すメタフォリスのしもべども、そこまでだ!」
(キック一発で一人の「ジョーカー」撃退。蹴られたジョーカー、もだえながら舞台ソデへ。「お姉さん」解放。「門松男」に睨みを利かせる「マックス」)
「黙れ、マックス。ええい、やれ!」

 今年で9歳になるヒトシは、私が日頃あまりかまってやらないせいか「男気」というものがこれっぽっちも育たず、根性がない。従って、クラスの中でも極めて喧嘩が弱く、泣いて帰宅することもしばしばあった。
 何せ、趣味は「折り紙」と「お菓子作り」なのである。顔は私に似て口元がだらしがなく愛嬌ない。加えて言葉の覚えが悪いとなれば、何をか言わんや。私が「不肖の息子」と呼ぶ所以である。
 そういう気持ちを察しているのか、私の言うことは普段あまり耳を貸さない。ここに来るのだって、妻が一緒に行かないことを直前までごねられた。
 もちろん普段であれば妻も一緒なわけだが、今日は「お年賀」の一件で矢鱈に機嫌が悪かったし、「正月くらい父親らしいことしてあげてよ」という恫喝的視線を浴びながら、無理やり家から追い出された。
 ヒトシは「お面ライダーマックス」が大好きだ。マックスのテレビ放映がある日曜朝8時には、誰に起こされなくても、必ず自分で目を覚ましてリビングのテレビをつけにくる。妻は低血圧なので九時を過ぎないと決して起きようとしない。というのは建前で、本当は私に対する「当て付け的」不貞寝ではないか、と思っている。私も襖越しに聞こえてくる激しいギターサウンド中心のマックスの主題歌に頭を抱えながら、夢と現実の端境を彷徨う。
 休日は特に体が重い。頭と体が「もっと休ませろ」と悲鳴を上げている。確かにここ数年、仕事量が半端じゃない。にもかかわらず、一向に給料は上がらない。退職した人間の人件費はどこに消えているのだろう。それどころか、毎年の増税で年収ベースではむしろ減り続けている。妻の不貞寝の最大の理由は、サービス残業の理不尽さと、こんな夢も冴えも無い夫を選んでしまったという後悔に違いない。

「とう(バキ!) はっ(ドス!) やあ(グシャ!)」
(マックスのキックとパンチを受け、瞬く間に片付けられる「ジョーカー戦闘員」。追い詰められる「門松男」。一転、険悪なムードのBGM。ソデより、マックスの天敵「ブラックシャドー」が金属メカチックな足音と共にゆっくりと登場)

「役立たずめが」
(手にした「シャドーサーベル」で、「門松男」を一刀両断。「門松男」、あっけなくステージ上で絶命)
「マックス、ついに決着をつける時が来たようだな」
(緊迫した空気。舞台上で睨み合う「マックス」と「ブラックシャドー」。固唾を呑む会場の子供たち)

 実家に持っていく「お年賀」を事前に用意する、しないという、私にとっては実にどうでもいいことで、今朝、妻と口論になった。
 今はスーパーも元旦から店を開けている。だからこうしてイトーヨーカドーで「お面ライダーマックスショー」が見られるわけだ。当然「お年賀」だって売っているわけだし、ここじゃなくても、コンビニでさえ買える時代である。
 けれども妻は、その場当たり的な私の無計画さがどうも気に入らないらしい。「正月休みの過ごし方」について、何の計画も打診もなく、ただ酒だけあおってばかりいる私が癪に触るというわけだ。
 もしヒトシをヨーカドーに連れて行ってあげてと言わなかったら、あなたはこの正月ただ飲んだくれているばかりで、子供のために何もしてあげていない、と妻はこめかみに青筋を立てながら、私にまくし立てる。
 私は妻の性格を十分理解している。B型のさそり座は往々にして切れやすい。切れている時は、何を言っても無駄である。理屈でねじ伏せようだなんて思えば思うほど、「100%男が悪い」という決め付けと突拍子もない論理の飛躍を伴って反論は数千倍になって跳ね返ってくる。
 結婚以来、家事やら子育てやら私の仕事やらで妻のストレスはぎりぎりまで鬱積している。それは十分理解しているつもりだ。けれども私だって、好きでそうしているわけではない。休日の過ごし方くらい、たまには前もって考えてみたい。ヒトシを遊園地に連れて行ったり、妻に流行の美味しいスイーツをご馳走したり。
 しかし仕事に忙殺され、とてもじゃないが、考えるゆとりが無い。休みの日は頭を真っ白にしてのんびり気ままに休みたい。身体を休め、脳を休めないと、休み明けの仕事に響く。結局、苦しむのは自分なのだから。
 妻の「家事」を手伝うことはできても、私の「仕事」を妻に代わってもらうことはできないわけで、妻には申し訳ないが、私に文句を言ってそれで少しでもガス抜きになるのなら、私は喜んで受け入れる。その鬱積の根源の一部は自分にもあるのだから。
 ということで、私は妻に逆らわない。妻の希望通り、こうして「お面ライダーショー」にヒトシを連れてくる。
 お面ライダーは強い。格好いい。弱きを助け、強きを挫く。
 私も「正義」のために戦ってみたい。お面ライダーになり、仕事も家庭も綺麗さっぱり忘れて、この息の詰まるような「現実」から、遠く離れてみたい。何の憂いも苦しみも、嫌な上司も営業ノルマも、妻の愚痴も子供への失望もない理想の世界へ。
 ああ、神様仏様、その「ライダーベルト」と「マックスフォン」を、私に与え給え。

「シャドーーースパイラルアロウゥゥ」
(「ブラックシャドー」の右手甲付近から発射された矢が、「マックス」の胸部を直撃。その場に倒れこむ「マックス」。「ブラックシャドー」は「マックス」を仰向けにして馬乗りになり両手で首を絞め始める)
「苦しめ、マックス」
「ううう」
(必死にもがくマックス。子供たちの悲鳴にも似た声援が会場を揺らす)
「黙れ、貴様ら! マックスを片付けた後は、お前らもメタフォリス行きだ」
(客席通路に突如、舞台ソデに消えたはずの司会の「お姉さん」の姿)

「みんな、もっとマックスを応援してあげて! ガンバレー、マックスー、ガンバレー。みんな、これ知ってるよね? そう、『マックスレーザーガンシューター』。お姉さん、今マックスの恋人、『蘭ちゃん』から預かってきたの。これでマックスを助けてあげようっていう勇気のあるちびっ子、いるかな?」
(ほとんど全ての子供たちが両手を上げて飛び上がる。通路を巡回しながら子供たちの顔を物色する「お姉さん」)
「はい、じゃ、そこのパパと一緒にマフラー巻いてる、ブルーのジャンパーの僕!」
「うぐ!」
 指名されるとは夢にも思っていなかったので、大きく飛び上がった拍子に、お互いの首がきつく締め上げられ、二人してその場にもんどりうった。
 マフラーは防寒だけじゃなく、こうしてみると十分凶器になりうる。
「僕、お名前は?」
「サ、サ、サトヒ、ヒトシ」
「サトヒヒトシ君ね」
「あ、う、ううん、『サトウヒトシ』で、です」
 あがり症な上に、声帯が締められたお陰で、ヒトシはうまく言葉が出せない。
「あ、ごめんね、サトウヒトシ君ね。ね、ヒトシ君、この『マックスレーザーガンシューター』で、マックスを助けてあげて。ここが照準。ここから覗いて狙いを定めて、さあ、早く!」

 これだけの子供がいる中でヒトシが選ばれるなんて。今年は少しはいいことあるかな、と喉仏を摩りながらすぐに俗な期待をする自分が、とても小さい人間に思える。「正月早々から『運』を使い果たした」とも言えるのに。
(「マックス」の首を絞め続ける「ブラックシャドー」。観客からよく見えるよう、立ち位置を調節する「お姉さん」。肩から武器を提げ、対象に狙いを定めるヒトシ。会場の時間が一瞬止まる)
 成績表の大多数が「できました」のヒトシ。突出して悪い部分があるわけでもないが、突出して抜きん出ている部分があるわけでもない。
 そのヒトシが今舞台に立ち、多くの子供たちの羨望の眼差しを一身に浴びながら、自らの手で「マックス」を救おうとしている。
 人生、陽の当たる場面というのはそうあるものではない。もしかしたら、これから先何十年、こんなに注目されることはないかもしれない。結婚式か葬式か、あるいはずば抜けて酷い悪事を働かない限り。
 ばっちりポーズを決めて、さあ撃て!
 撃つのだ、我が愚息!

(控えめに鳴り続ける「ブラックシャドーのテーマ」。目標を定め、トリガーを引くヒトシ。効果音とともに「マックス」の脇腹を貫通するピンクのレーザー)
「あ! ヒトシ君、違う違う! マックスじゃなくて、シャドーの背中、背中!」
(「お姉さん」の言葉をよそに、「マックス」を打ち続けるヒトシ。顔面蒼白の「お姉さん」)

 目を覆いたくなる惨劇。今舞台の中心で、ブラックシャドーに加担し、マックスにとどめを刺さんばかりに銃を真顔で撃ち続けている少年は、紛れもなく私の愚息。
「分かった、お姉さんと一緒に撃とう。ね? いくよ? シャドーめがけて、ヒトシくん、はい!」
「ぐがが!」
(力ずくで銃口を「ブラックシャドー」の背中に向ける「お姉さん」。待ってましたとばかり、再びBGM「お面ライダーマックス」の主題歌サビ。ひるんだ「ブラックシャドー」のボディにキックを入れる「マックス」。呻きを上げながら舞台の半分以上をのたうち回る「ブラックシャドー」)
「さ、今のうち逃げて! ヒトシくん。ありがとう、あとはマックスに任せて!」
(客席に戻るヒトシ。ふらつきながら立ち上がり、ファイティングポーズをとる「マックス」。『マックスフォン』のカバーを開き暗号を入力)
「テクニカルコード17、サバイバル・デンジャラス・サーベル!」
 それから「マックス」がどのようにして「ブラックシャドー」の息の根を止めたのか、私の記憶には残っていない。最終的に勝ったのだから、どう息の根を止めたかなど、私にとってはたいした意味はない。
 ヒトシ自身も、それ以降ちゃんとショーを見ていたかどうか分からない。ヒトシは晴れの舞台から私の側に戻ってきた後、ずっとうっぷして泣いていたのだから。
「だって僕はマックスより、ブラックシャドーが好きなんだもん!」

 私は「喫煙コーナー」に身を寄せながら、ショーを終え撤収の進むステージを眺めている。「マックス」との写真撮影会にも興味を示さないほど落ち込んでいるヒトシは、「自転車売り場」の補助輪付き自転車に跨ったまま、ちりんちりん無意味にベルを鳴らしている。
 私は妻にどう説明するのがベターなのか考えていた。なぜ大好きな「マックス」のショーを見に行ってこんなにしょげて帰ってくるのか。
 何かヒトシに酷いことを言ったのではないか。お決まりの「面倒臭い病」でヒトシの望みを聞いてやらなかったかのではないか。日頃のヒトシを見てないくせに思いつきで説教をしたのではないか。
 何だかんだ非をあげつらい、結局自分が糾弾されるはめになることを考えると、私までしょげてくる。
 その時、ビニール製の小さなボストンバッグが私の目に留まる。それはステージ脇にある出演者控室用テントの出入り口付近にあった。
 バッグの口は開いており、そこから細いキャタピラーのような形をした金属片が鈍く輝いている。キャタピラーの先は地面に届きそうなくらいはみ出ていてシートベルトの留め金のようなものが見える。
 留め金のバックル部分には、デコレーションされた見覚えのあるヒーローのイニシャル「M」のマークがこれ見よがしに刻印されている。
 これはマックスの「変身ベルト」じゃないか?
 昔のお面ライダーは、ベルトを腰に巻いて「変身!」というお決まりの儀式があったが、現在放映中の「お面ライダーマックス」は特にポーズらしいポーズもなく、「マックスフォン」という携帯電話型のアイテムをベルトの中心にかちゃりとセットすると、たちどころに「戦闘用スーツ」を身に纏うことができる。
 テレビに映るマックスの姿は、私たちの時代のライダーに比べてずっとイケメンだし、繰り出す技もストーリーも今風に洗練されている。
 大人の私でさえ、時にそのストーリーの複雑さや登場人物の相関関係についていけないこともあるが、いつの時代でも「ライダーベルト」と言う奴は、臆病で気が小さい「自分」を「世界最強の男」へ導く魔法のベルトであることには変わりはない。

 スタッフはステージの撤収作業やら「マックスグッズ即売会」の対応に追われていて、 テントの周辺に人影はない。
 すでに自転車にも飽きてベンチに寝そべり不貞腐っているヒトシ。
 それを見ていたら、私の体に何か鋭いものが走り、全身がたちどころに熱くなると、もういてもたってもいられない気持ちで一杯になった。
 気が付くと、私は煙草を灰皿にねじ込み、もう一度誰もいないことを確認してから、ボストンバッグをひったくるようにして抱え持ち、ヒトシの腕を引きずるようにして駐車場に向かっていた。
「ねえ、パパ、痛いよ」
 ワンボックスの後部座席に無理やり嫌がるヒトシを押し込み、バッグを助手席に放り投げ私は運転席に飛び乗る。
 心臓が口から飛び出してきそうなくらい、大きく高鳴っている。
 エンジンをかける時も思うようにキーが差さらない。指が震えている。
「どうしたの、パパ、パパ」
 事の顛末が理解できていないヒトシの質問を無視したまま、私はタイヤが鳴るほどの急発進で平面駐車場の無料ゲートを通過し、国道の車列に合流した。
 事の顛末。一番びっくりしているのは私自身だ。これは泥棒である。しかし勝手に体が動き、結果そうしていたのだ。まるで頭と体が別々の人格として行動しているかのように。
 してしまったことは仕方ない。もう今更後にはひけない。
 信号待ちをしている間、追いかけてくる車が見当たらないことを確認してからほっと一息、バッグを膝の上に載せベルトを手で触れてみる。
 ひんやりとした金属特有の手触りと質感。改めて持ち上げてみるとこれが結構な重量である。
 バッグの中には折りたたまれた状態の「マックスフォン」も一緒に入っている。実際に手で握ってみると、自身の携帯電話なんかよりずっとサイズが大きく、重みもある。背面の液晶に点滅している「M」のロゴマークは、バックルにあるのと同じ「マックス」のトレードマーク。ちゃんと電池も仕込んであるようだ。さすがにショーで使うだけあって、細部まで精巧にできている。 
 更に底に横たわる銃の形をしたもの。これはヒトシが誤射した「マックスレーザーガン云々」よりもはるかに小振りだが、警察官の持つ拳銃よりはずっと銃身が長く、口径も大きい。

 後ろの車にクラクションを鳴らされるまで、私は逸る気持ちを抑えながら、一人悦に入っていた。
 生まれて初めての「窃盗」にしては上等じゃないか。いくら「ブラックシャドー」が好きというヒトシとはいえ、これなら文句は言わないだろう。何せ世間では市販されていない、最上級にリアルなライダーベルトなのだから。
 とは言え、私自身も酷く興奮している。「窃盗」に対する「後ろめたさ」の興奮ではなく、ヒトシよりも先に、まずは私自身の腰にベルトを巻いて、「マックスフォン」を差し込んでみたいという欲求に、である。
「ねえ、パパ、帰ったらUNOしようよ、UNO」
 自宅マンションの駐車場に到着すると、ヒトシは少し機嫌を取り戻して私を誘う。バッグの中身には、ヒトシはまだ気が付いていないようだ。
「その前にちょっと煙草買ってくるから、先に家に戻っててもらえる? それより、いつもマックスが使ってる拳銃みたいな武器は何て言うんだっけ」
「アドバンスド・ビーム・ショットのこと?」
 アドバンスド・ビーム・ショット。事情も知らずまともに答えるヒトシがいじらしい。
「ビーム光線が、ばばば、って出るんだよ。すげーつえーよ、あれ。あれさえなければ、ブラックシャドーだって、マックスに勝てる時あったんだよ」
 ヒトシは後部座席のシートから身を乗り出してそう付け足す。普段、私が徹底的に無関心な「マックス」に関する質問をしたことに、驚きと喜びを感じているのだろう。
「ヒトシ、『すげーつえー』なんて日本語はないよ。言い直しなさい」
「すごい、つよい」
「そうだよな」
 最近、私もどことなく「妻」化している。
「ママにはすぐに帰るって言っておいて」
「うん。帰ってきたら、絶対、UNOしてよ?」
「もちろん」
  跳ねるように車を離れていくヒトシの後姿を、私はしばらく眺めていた。あの様子なら、一応今日のマックスショー観戦ツアーは合格点を貰えそうだ。「UNO」の一助を借りることにはなったが。

 それから、私はバッグを抱えて車を降り、変身するに相応しい場所を探す。正月休みで皆帰省してしまっているのか、駐車場はがらんとしていて人の気配もない。
 この雪空の下で、わざわざ外で遊ぶような子供もいないのだろう。昔の正月と言えば、空き地で凧揚げや羽子板をする子供なんていくらでも見られたというのに。ヒトシもそうだが、今は外より内で遊ぶことに慣れ過ぎている。
 と、また年寄り臭いノスタルジーに浸る自分。すぐに「昔は違った」「昔は良かった」などと考える思考癖がついているから、私の人生何も変わらないのだ。
 今の時代は、私が子供の頃とは比べ物にならないくらいのスピードで変わっている。ダーウィンの進化論よろしく、生き残るのは、変化に対応できるものだけ。
 自ら「変えるのだ」という強い意志を持つこと。
 そう今年の私は変わる。変えなければいけない。仕事も生活も。腹を括り、退路を断ち、新たな「自分発見」の大海原へ。
 で、どう変わる?
 そこから先はいつも暗黒の緞帳が下ろされる。具体的なアクションが何一つ浮かんでこない。
 正月早々、堂々巡りのつまらぬ思考にとり憑かれ、歪なボストンバッグをぶら下げて、「変わろう、変わろう」と独り言を言いながら市道を当てもなくふらついている私の姿は、ただの「不審者」である。警察官とすれ違えば職質を受けること必至だ。自分でもびっくりするほどの深い溜め息を漏らす。私はこうやって、これまでにいくつの幸福を逃がしてきたのだろう。
 
 「本郷里公園」は芝生と橡の木のある小綺麗な公園だ。自宅から歩いて行けるので、ヒトシの小さい頃はよく連れてきたものだ。当然のことながら、人気はない。さすがにこれだけ寒いと砂場も凍る。
 「本郷里」。
 確か、初代お面ライダーの名前も「本郷」だったな。
 「変身」なんて馬鹿馬鹿しいことは理解している。別にマニアというわけでもないし、「ちょっと童心に戻って」といったような安っぽい郷愁からでもない。「変わる」ためには、何か突拍子もないきっかけのようなものが必要なのだ。
 もちろん、このベルトはヒトシのために手に入れたものだが、実は本当に必要なのは、私であるような気がした。ペットショップに行って、「この犬は私に飼われたがっている」と信じ込む少女のような感じ、と言ったら上手く伝わるだろうか。
 いやいや、やっぱり阿呆らしい。戻ろう。戻ってヒトシと「UNO」をした方が賢明だ。帰宅が延びれば延びるほど、妻の機嫌が悪化することは目に見えている。
 私は立ち上がり、ボストンバッグを肩にかける。がちゃり、と金属の擦れる音。そしてこの適度な重み。
 もう一度、誰もいないことを確認してから、ちょっとだけ、とバッグを下ろしてジッパーを開け、ライダーベルトを目の高さまで両手で掲げてみる。
 しかし見れば見るほどよくできたベルトだ。至るところに刻み込まれた細かい切り傷や擦り傷が、あまたのショーで「メタフォリス帝国」の難敵どもの洗礼を受けてきたことを物語っている。

 私は恐る恐るベルトを腰に巻き、差し込み式の金具をひく。かちゃり、かちゃり、とテレビで聞こえるそのままの効果音がリアルに再現される。
 バックルに金具を差し込むと、私の腹周りに合わせて軽く締め上がる感触。まさか自動で長さ調整をする機能を備えているとは。
 それから、私はスライド型になっているマックスフォンのカバーを開き、液晶画面やボタンをチェックする。我々が日常で使っている「軽薄短小型」の携帯電話とは正反対に、これは矢鱈に重くてごつい。
 テレビではコード番号を入力し「ENTER」キーを押すとエネルギーが充填され、番号に応じた技を繰り出す。
 無難なところで「1」のキーを一回押してみると、テレビで聞いたあの「トルッ」というプッシュ音が小気味よく鳴り響く。
 音まで実にリアルだ。現代っ子の目を欺くには、ここまでリアルに作りこむ必要があるというのか。きっとライダースーツも「あ、チャックが見えてる」なんて指摘を受けないよう、細かいところまで気配りがされているに違いない。しかしボストンバッグにライダースーツまでは入っていない。
 儀式。そう、これは儀式だ。過去を捨て、新しい自分を切り開くための。別に見た目は何も変わらない。「変身ポーズ」を決めたら、その時点で、はい終了。
 しかし、私は今この「変身ポーズ」を決めることが、今後の人生を左右する重要な行為になる気がしてならなかった。
 もしあのまま帰宅していたら、きっと私は今までの私のまま何の変化もなく、むきになってヒトシを「UNO」で負かし、ヒトシを泣かせ、それがまた妻のヒステリーを引き起こしていたに違いない。
 忌々しい日常。出口の見えない巨大迷路。私が変わらなければ、そのストーリーは死ぬまで続く。すでに私は窃盗犯。このベルトを盗んだ時点で、私は昨日までの私ではない。
 こうなればやけくそである。真剣に「マックス」の変身の仕方を思い出してみる。頭の中で一度シミュレーション。肩幅より気持ち広めに両足を開き、何も持っていない方の手のひらを軽く握る。
 そして、マックスフォンを天高く掲げ控えめにこう唱え、ベルト中心部のホルダーに抜かりなくはめ込み、静かに左に倒す。
「へん……しん……」
 えもいわれぬ感覚。
 大型バイクのマフラー音にも似た「ばりばり」という轟音が辺り一帯に鳴り響く。恐ろしいほどの熱い空気の塊が私の顔全体を包み込む。
 一瞬ふわりと体が浮き、やがて小石を踏みしめる感触が足の裏に戻る。まるでタイトなボンデージファッションに身を包んだかのような強引な圧力が、体の隅々を支配する。
 そして、視界。
 黄砂に覆われた世界のように全体的にやや黄味がかっているが、対象物がまるで直ぐ目の前にあるかのように生々しく見える。私が視線を切り替えるたび、中心部のグリッドと十文字のカーソルが同時に移動し、視線が安定すると、「LOCK!」という注意書きが効果音と共に表示され、焦点がぐっと定まる。まるで一眼レフのファインダーを覗いてシャッターを半押ししているかのようだ。
 体の中は、血圧が二倍になったのかと思う程張り詰めている。じっと同じ場所に留まっていることがどうにもままならない。湧き上がるパワーと膨張する筋肉に反比例するかのような、軽快な四肢の感触。

 一体、何が起こったのだ?
 私は公園のトイレに駆け込み、半分割れた鏡に映し出された自身の姿を見て、肝を潰した。
 そこに立っているのは、物心ついて以来うんざりするほど長く付き合い続けている「佐藤光男」の姿ではなく、先ほど縦横無尽にステージを駆け回っていた、あの「お面ライダーマックス」そのものの姿であった。

 そんな、馬鹿な。
 きっと、何か悪い夢でも見ているに違いない。頬をつねろうにもつるつるしていてつまめない。当然だ。顔は「マックス」の仮面を被っているのだから。
 まあ、いい。夢なら夢で楽しもうじゃないか。そうそう「お面ライダー」になる夢なんて見れるものじゃない。もしかすると「なんちゃってライダー」かもしれないし。
 ベンチに戻り、私はボストンバックの底に転がっている例の銃を取り出す。
 50メートル先に見えるブランコの鎖に目標を定めた私は、一応マックス気取りで背筋を伸ばし、横を向いた状態で銃口を向ける。塗装の剥げ落ちた鎖の一部がズームアップされ、「LOCK!」マークが点滅。発射準備完了のようだ。
 それから私はぐっと唾を飲み込み、トリガーをゆっくり引く。少しだけ、嘘であって欲しい、という願いさえ込めて。
 びゅば、ば、ば、ばっーーー。
 ピンクの弾丸が重々しい反動を伴って細切れに連射され、ブランコは瞬く間に地に落ちた。断ち切られた鎖はあまりの瞬時の威力に笑うしかないとばかりからから揺れ、落下した座面からは煙がかすかに立ち昇っていた。

 夢じゃない。マジだ。
 ビームの破壊力に恐れをなした私は、知らぬ間に右足に巻かれているガンホルダーに格納する。これほどの力、万が一、人に当たったら即死は免れないだろう。
 私は怖々落ちたブランコに近づく。一歩踏み出す度に「がちゃり」とか「ういん」とか金属ともゼンマイとも言えないメカニックな動作音が響く。体内を滞ることなく巡っていた私の血液は一体どこに消えてしまったのだろうと思うくらい、「生身の身体」である感覚が失われている。
 支えのなくなったブランコはあまりにも無残だ。ビームが直撃した部分の鎖はもう円形ではなく、溶解したただの鉄の塊と化している。
 ヒトシだって何度も乗ったことがある無残なブランコの残骸を「くず入れ」に放り投げながら、これが夢ではないことを確かめるもう一つの実験を思いつく。
 そう、夢の「ライダーキック」。
 私が唯一覚えているマックスの主力な技の一つ。というより、過去全てのライダーたちの十八番、クライマックスは概ねこれで締めくくることになるシンプルだが一撃必殺の伝統技だ。
 神経を集中し、うろ覚えの記憶を辿る。コードナンバー「23」。確かそんな番号だ。マックスフォンに「23」と入れて「ENTER」キーを押してやれば、技は始動するはず。
 こんなにどきどきするのは久しぶりのことだ。しかもこのどきどき感、脂汗たらたらの限りなく動悸に近い仕事での緊張感ではなく、これから飛び切りの美女と食事をし、一夜を共にするかのようなときめきにも似たどきどきである。
 これで本当に「ライダーキック」ができるのなら、私は本物の「マックス」に変身するためのベルトを奇跡的にも手に入れたのであり、きっとどんな絶世の美女をも落とすことができるだろう。何しろ、「お面ライダー」はこの世が生んだ史上最強の男なのだから。
 まず、キックの対象物を探すために、私は膝を折り、目線を下げる。公園の広さに比して、なかなか樹齢のある幹の太い橡の木がいくつも並んでいる。
 私が目を付けたのは、その中でも一番太くて古そうな木だ。樹皮の一部がはがされ、落書きがされている。ズームして良く見ると、そこには「けいこLOVE」だの「ケンジ大嫌い」だの「タイマン上等」だの「おOんこ命」だのマジックやらボールペンやらナイフやらでたくさんの無味乾燥な文句が並べられていた。木に落書きをするなんて、全く、近頃のガキときたら「生き物」と「落書き帳」の区別もできないらしい。
 私は悲しい気持ちになった。悲しみはこの世から消さねばならぬ。希望に満ち溢れた未来を生きる可愛い子供たちが集まる児童公園に、こんな低能な落書きは全くもって相応しくない。
 「マックスフォン」のカバーを開き、コード「23」を入力。トルッ、トルッ。立ち膝をついているもう一方の足首にエネルギーが集中していくのが分かる。熱せられた鋼鉄のように、私の足がみるみる真っ赤に変色していく。「マックスフォン」の外側に埋め込まれたインジケーターが徐々にピークに近づいていき、やがて「OK」を知らせる緑のランプが点滅を開始する。
 準備完了。OK。
 あとは私のタイミングでジャンプをするだけだ。
 一度、大きく深呼吸。「ケンジ大嫌い」付近に目標を固定、意識を集中させる。
 私は、お面ライダーマックス。そう、きっと飛べる。飛んで、世の中の悪と戦うのだ!
 私はもう完全にライダーになりきっている。会社の階段を踏み外して足首を痛めていたことなどすっかり忘れ、私は2、3歩、助走をつけてから、精一杯の力で思い切り地面を蹴る。
 とおおおおっーーー!

 私の体は5階建て団地の屋上近くまで跳ね上がり、橡の木の落書きに「LOCK!」マークが「ピピッ」と張り付く。
 幾筋もの光線が、「ケンジ大嫌い」のメッセージを頂点として円錐形に伸び、異次元に向かうワープポケットのように、空中の私に向かってぽっかり口を開けて待っている。あとは、この穴めがけてこの熱い右足を滑り込ませるのだ。
「ライダアアアア、キイイイイイイック!」
 お決まりの掛け声と共に、私は力の及ぶ限界まで右足を伸ばす。
 次の瞬間には、私の身体は既に地上に着地していた。
 少し耳がつんとしているくらいで、何の衝撃も反動もない。まるで、木をすり抜けてしまったかのようだ。 
 かなり時間が経った気がした。振り返ると、目の前の橡の木がゆっくり、音もなく倒れていく。まるでビデオをスロー再生しているかのように。
 上層部の枝がグラウンドのフェンスに触れた時、初めて大きな音がした。枝は傍若無人な悪ガキどもの苦痛から永久に逃れられることを自ら祝福するよに、賑やかに、そしてゆっくりと、その巨大な体躯を地に沈めた。
 体が通り抜けたあたりの幹の部分は研ぎ澄まされたチェンソーで切ったようにすっぱりと二分され、切り株からは少しだけ火が上がっている。さすがにこれだけのスピードで通り抜ければ、耳だって痛くなるし、摩擦熱も相当のものだろう。
 ライダーキック、成功。
 宝くじで一等が当たった時の想像などはるかに超越した興奮と至福を私は感じていた。
 これは夢なんかじゃない。正真正銘、本物のライダーベルトだ。誰かに見られたら大問題、とんでもない騒動になる。細かいことを考えるのは後にしよう。ひとまずこの「変身」を解除しなくては。
 バックルの金具はがっちりはめこまれている。引っ張っただけではうんともすんとも言わない。
 私は焦る気持ちを抑えて冷静な思考を取り戻す。変身を解除するには、何かコードを打ち込む必要があっただろうか。それとも、どこかに解除用のボタンでもあるのだろうか。

 私は「マックスフォン」上にあるボタンを適当に押してみるが、手の甲が堅くなったり、視力が増したり、小さなウイングが生えてきたりと、どれもベルトの解除には繋がらない。やはり何らかのコードが必要なのだろう。しかしいつまでもこの格好で、ここにいるのはまずい。
 人目を忍ぶように、元来た道をとって返す。人影が見えるたびに、電柱の影に隠れたり、植え込みを盾にしゃがんだりしながらどうにかいなす。全く、情けないヒーローだ。
 ヒトシは「UNO」を並べて首を長くして待っている。妻のリアクションには幾ばくかの懸念はあるが、こんな格好で家に帰ったら、二人はどんな反応をするのだろう。
 いくら悪役好きのヒトシでも、「本物」のヒーローの迫力にはさすがに敵わないはずだ。しかし妻の反応、これは全くの未知数だ。さすがのお面ライダーも女心の機微までは解析不能である。

 奇跡的に誰にも気付かれず、何とか我が家に到着。玄関のチャイムを鳴らす。
 佐藤家に、本物の「お面ライダーマックス」参上の瞬間、である。

「どこまで煙草買いに行ったのよ!」
 ドアを開けると、妻は私がマックスに変身していることに何の驚きも興味も示さず、いきなりそうまくしたてる。「ずっと、『パパとUNOするんだ』って、待ってるのよ?」
「え、あ、はい、ごめん、なさい」
 仮面を被っているため、声を出しても水中でしゃべっているかのようにくぐもっている。それにしても、この私の格好を見ていつも通りのリアクションというのは一体どういうものか。
「ちょっと、『お面ライダー』に変身してたからさ」
 苦し紛れにそう答えてみる。
「馬鹿じゃないのあなた。一体いくつになると思ってるのよ」
 妻は心底呆れたという感じでそう言うと、ヒトシの部屋の扉をノックして、私の帰宅を伝える。
 仕方のないことだ。こんな姿をしているからといって、誰が本物なんて思うだろう。100人に聞いたら100人共、「お面ライダーコスプレ」に夢中のマニアックなおじさん、と答えるに違いない。妻には、おいおいゆっくりとここまでに至った事情を話すしかない。
 それ以上、特に関心を持とうともせず台所に消えていく妻をよそに、私はヒトシの部屋の隙間からそっと中を覗く。ヒトシはもう待ちくたびれたというように、部屋で大の字になっている。床には「UNO」のカードが表裏入り乱れて散乱している。この不貞腐り方、何とかならないものか。
 よし、その軟弱な精神をこのマックスが叩き直してやる。
 私は勢いよく部屋の扉を開けて、「とお!」とあらん限りの声を張り上げる。
「ええ!」
  跳ね上がる様に身を起こすヒトシ。ぽかんと口を開けたまま、まるで魂を抜かれた仏のように固まっている。
 そう、そのリアクションを待っていたのだ。さっき見たマックスが、今こうして、目の前にやってきたわけだから。
「マックスだあ」
 我に戻りぱちぱち瞬きをしながら、頭の先から足のブーツまでを仔細にチェックし始める。やっぱり世間擦れした大人の妻と違って、子供の反応は違う。この目の輝き。
「でも、マックスは嫌いだって言ったじゃん」
「え?」
「やっぱりシャドーの方が絶対かっけーよ。顔とさあ、スピリチュアル・タイクーン」
「かっけー、って何?」
「かっこいいって意味。ねえ、パパ、早くUNOやろうよぉ。すぐに帰ってくるって言ったじゃん」

 最初の驚きもどこへやら、ヒトシはばらばらになったカードを丁寧にまとめ始める。
 自宅に本物の「お面ライダーマックス」が登場するという電撃的サプライズをサプライズとも感じとれないほどに、この家族には夢も希望もなくなってしまっている。こんな家庭にしてしまったのは、きっと私のせいなのだ。
「パパ、早く座ってよ。あと、配って」
「あい」
 弾の暴発を防ぐためと、胡坐をかくのに邪魔になる足元のホルダーをはずし、窮屈なレザースーツを無理やり伸ばしながらヒトシの正面に座る。関節を曲げる度に、例の機械音がぎりぎり鳴っている。
 私は諦めて、ひとまず日常的な生活が始まる前に、どうしても気になっていたことをヒトシに聞いてみる。
「なあヒトシ、マックスってさ、元の人間に戻る時ってどうするんだっけ」
「相手を倒すまでは元に戻れないよ」
「自分じゃ戻れないの? コード打って」
「コード打って戻るのなんて、見たことないよ。たいてー、敵を倒した後、自然に戻ってる」
「ええ、そんな前近代的な」
 敵を倒さないと戻れない、と言ったって。そもそも、私の敵なんてどこにいるのだろう。というより、現実には明後日から仕事始めである。それまでに何とかしないことには。まさか、この格好で朝の通勤ラッシュに揉まれるわけにはいかないだろう。
 それよりカードゲームをやるには素手がいいわけだが、スーツと一体化しているためグローブだけはずすということができない。カードをきるにもめちゃくちゃ難儀する。私は何度もカードを床に落とす。細かい作業をするのに、マックスでいるのは明らかに不向きだ。
「ねえ、ちゃんときってよ」
「上手くきれないんだよ。ヒトシさ、それより、どうしてそんなにマックスが嫌いなの?」
 ちょっと考えてから、ヒトシは言った。
「みんな大好きだから」
  全く、こんな天邪鬼の性格、私にそっくりだ。
 「UNO十番勝負」では、私の精神的混乱によるミスプレイの連発から、ヒトシの圧勝で終了した。ひょっとすると、ヒトシは本物のお面ライダーを負かすことのできた最初の男かもしれない。
 その後、元の「佐藤光男」に戻る術がなくなってしまった私の日常生活は、実に不便極まりないものに一変した。

 例えば、風呂に入れない。トイレに行けない。「本物」は、「作り物」と違って背中にチャックがないためスーツが脱げないし、仮面も取れない。
 もっとも、「マックス」になってから尿意も便意ももよおさずに済んでいるので、逆に便利になった、と言えなくもないが。
 加えて、仮面が取れないので食事ができない。というより、そもそも「お面ライダー」が人間と同じ食生活を必要とするのかどうか。
 ヒトシに聞くと、「変身したマックスが食事をしている姿なんて見たことない」そうだ。当たり前である。仮面の「口」にあたる部分は、ものを食べるところではなく、換気口のようになっていて、時折、「ぷしゅう」と空気が抜ける。
 それから、睡眠。全然、眠くならないのである。
 一応、布団に入ってはみるものの、「眠い」という感覚が起こらない。羽毛布団を被っていても「温かい」という感覚さえ感じない。
 おそらく、最先端のスーツであるから、外がどのような温度であってもスーツ内の自動温度調節機能はあるだろうし、人間ではないため、「眠る」という生物的行為自体必要ないのだろう。
 どこからどのように活動エネルギーを発生させているのかは分からないが、もし「マックス」として眠ることがあるとすれば、それはすなわち「死」を意味することに他ならない。
 当然のことなのであるが、私が夜通し起きていても、妻は全く頓着ない。ヒトシを挟んで障子に身を添わせながらすやすやいつもの寝息を立てている。妻は眠っている間が、一番好感度アップだ。寝顔だけは、結婚する前と変わらない。
 最後の夫婦生活が終わった時から、そろそろ一年が経とうとしている。

 不眠不休、絶食無排泄状態のまま、二人の夕食のさなかソファに寝そべってテレビを見ていると、NHKの首都圏ニュースが目に留まる。
 それは、「本郷里公園」のブランコと橡の木が何者かに破壊された、という内容だった。近く、市は「器物損壊」で警察に届け出るとのことだ。
 「物騒な世の中ねえ。すぐそこの公園じゃない」と妻は沢庵をぽりぽり齧りながら、それほどの深刻さもなく言う。
 まさかニュースになるなんて思ってもみなかったが、冷静に考えれば、ブランコを壊し、木をなぎ倒しているわけだから当然である。確かにあの時は、マックスに変身したことでかなり興奮してしまい、そこまで先のことに思いが巡らなかった。
 なるほど、「器物損壊」ということになるわけだ。それはそうだ。納得。
「昔はよくヒトシを遊ばせたじゃない」
 私の仕業とは死んでも言えまい。というか、信じまい。
「どこにどんな人がいるか分からないわね」
 今、目の前にいるあなたの夫君が、正にその「どんな人」なのだ。
「とんだ正月だね、まったく」
「本当よ。ねえいい加減、その変装やめてくれない?みっともないから」
「どうにもならないんだよ。敵を倒さない限り」
「正月ぼけもここまでくると救いようがないわ」と言って、妻は一生分の哀れみを瞳に溜めて私を見つめる。「一生分の哀れみ」をいつ喜びに変えられる日が来るのか、私には今もって自信がない。
 確かに私は変わった。「マックス」に変身したことによって、新年の決意をある意味では実践できたわけだが、極めて重要な本質的部分において、明らかに間違っている気がした。

 そんなこんなで、あっという間に正月休みも終わり、またいつものサラリーマン生活がスタートした。
 敵を倒していないので、当然のことながら私はライダースーツのままである。「仕事に行くのにビジネススーツを着ていない」ということ以上に、「お面ライダーの格好をしたまま通勤電車に乗る」というのは、かなりの勇気が必要だ。
 当然「お面ライダー」が通勤電車に乗っているのだから、世間は大騒ぎになってもいいと思うが、いざこうして乗ってみると、案外、皆それぞれの世界に浸りながら大人しく乗っている。
 もちろん、私の側にいる人々は、一瞬「ん?」といった疑惑の一瞥を私に向けるが、「お面ライダー」という既知のものであると納得すると、再び文庫本に目を通したり、イヤホンを耳に差し直したり、天井の中吊り広告を眺め始める。
 人間という動物は、突如理解しがたい状況に遭遇すると、パニックになる前に、逆に冷静に振舞おうとする心理が働くことがあるそうだ。やはり、単なるもの好きな「コスプレおじさん」と思われてしまっているのだろうか。
 それとも何が起きても不思議ではない時代、悪の権化「ブラックシャドー」ならともかく、「正義の味方」のマックスであるなら歓迎こそすれ騒ぎ立てるべきではない、ということで、むしろ気を使っているのだろうか。
 しかし、せっかくなけなしの勇気を振り絞って、どきどきしながら通勤しているというのに、これでは拍子抜けで、ちっとも面白くない。
 「マックスファン」のリクエストがあれば、サインを書いたり、技の一つや二つ、「器物損壊」で訴えられない程度に披露してあげてもいいのだが。
 ふと、シルバーシート側の手すりに掴まっている腰の折れた老婆が目に入る。老婆の前には、パンチパーマのチンピラが大きな体躯で居丈高にふんぞり返りながら、いたずらに長い足を組んでくちゃくちゃガムを噛んでいる。年はまだ若く、黒尽くめの身なりからいかにも堅気の人間ではない、という印象だ。
 いつもの私であれば、君子危うきに近寄らず、その場を知らん顔して通り過ぎるところであるが、今はお面ライダーマックスである。
 万が一、ピストルで撃たれたとしても、そんじょそこいらのピストルでは、この地球上には存在しない物質でできた超ハイスペックなライダースーツを打ち抜くことはできない。
 私は「正義の味方」である。私は変わったのである。目の前の反道徳的行為やモラルの低下を黙って見過ごすわけにはいかない。私がやらなければ、誰もやろうとしないのだから。
「悪いけれど、足組むのやめてくれないかな。それに、席を譲ってあげたらどうなの?」
 声が予想外に震えている。いくらライダーといっても中身はいつもの私、これまでの40年近い経験則が生々しく頭に刻み込まれている。
「なんやと、こら」
 予想通り、チンピラは低いトーンの関西風凄味を効かせて席を立ち、私を同じ目線上に据える。大きな武者震い。
 周りの乗客は不穏な空気を察したのか、液体洗剤に油を一滴垂らしたように我々を中心にして一斉にすごすご離れていく。
「喧嘩売ってんのか、てめえ」
 チンピラは私がお面ライダーであることなどお構いなく、私の喉元に手をかける。
 全く血の気の多い奴だ。こういう人間は相手がどういうタイプであっても、まずは体が先に動くのだろう。お面ライダーを相手に、本気で勝てるとでも思っているのだろうか。そういうところが安直で低能だというのだ。
 いくら喉を締められても、今の私には何の苦しみも感じない。

 私は彼の手首を掴んで後ろ手に捻り上げ、ぐい、と背中を押すと、チンピラの体は数メートル先の扉にダイレクトで激突した。
 チンピラは気絶したように、床にうつ伏せになったまま動かない。関節が抜けてしまったのか、腕が不自然な角度で曲がっている。
 あ、いけない、いけない。
 いくら相手がチンピラとはいえ生身の人間である。加減に注意しないと。マックスには、人間の数千倍のパワーが宿っているのだ。
 それにしても、悪い奴を一撃とは最高に気持ちがいい。私には今、夢のような力が備わっている。若かりし頃に夢見た、正義を貫く、強い男。

「お婆さん、席、空きましたよ」と私は得意げに言う。
「ああ、すまないねえ。でももう次の駅で降りますので」
 せっかく気を利かせてやったのに。でもまあ、仕方ない。それにしても、まだチンピラはぴくりとも動かない。まさか死んでしまったわけじゃないだろうな。
 周囲の乗客は途轍もない私の怪力に目を丸くしている。吊り革に掴まっている女子大生風の女の子たちは、私の方をちらちら見ながらひそひそ話をしている。子連れの母親も、「あの人と目を合わせてはいけないよ」といったように子供の顔を自分の懐に埋めている。
 何だ何だ、これじゃ、まるで私が悪いことをしたみたいだ。私はただ、チンピラの反道徳的行為を正そうと思っただけなのに。

 窒息しそうなくらい、あまりにも気まずい空気に、私もおばあさんと一緒に次の停車駅で降りることにした。
 一緒に降りた他の女が私を指差して、駅員と話をしている。私は逃げるようにして階段を駆け上り、チャージ切れの「Suika」で鳴り響く警告チャイムを無視して改札を通り抜け、とりあえず「北口」方面の出口に向かう。
 泥棒をしたわけでもないのに、どうして逃げなければならないのか。
 と思ってはみたものの、考えてみれば、このベルトを泥棒したことから全てが始まっている。
 太い街道に出たところで、私は一息つく。と言いたいところだが、この程度の運動では息は切れない。やはりお面ライダーは、人間とは明らかに違う原理で動いている。
 勢いで降りてしまったものの、まだ会社までは駅で言えば7つくらいはある。ここから歩いたら間違いなく遅刻だ。ライダーゆえ、高速歩行もできるとは思うが、それでは面白みがない。
 そう、バイクだ。どんなお面ライダーにも必ず登場する、あの改造バイク。
 あれはどこにあって、どうやって呼ぶのだろう。
 と考えている間もなく、いつの間にか、私の目の前にエンジンのかかったバイクがスタンバイされていた。
 サイドカーはないが、車体のベースはハーレー調で、カウルやリヤが派手にデコレーションされている。なるほど、お面ライダーのバイクは、「必要だ」と思えば勝手にやってくるものなのか。
 私はシートに跨り、スタンドをはずし、グリップを握り、恐る恐るアクセルを捻る。バイクに乗るなんて何年ぶりのことだろう。というより、原付免許しか持っていないのに、こんな大型バイクに乗ってもいいのだろうか。まあ、お面ライダーに免許なんて必要ないのかもしれないが。
 見た目の重量感に似合わず、軽くてスムーズな滑り出し。遠い記憶を思い起こし、バランスをとりながら、前方だけに意識を集中する。
 ばりばりばり、絨毯爆撃のようなマフラー音。スピードは体が引きずられるようにぐんぐん加速する。
 首都高のランプが見えたので、そのまま進入。これで行けば間違いない。会社は新宿出口のすぐ脇なのだ。それにこの時間ならETC割引がある。
 と思ったが、もちろんお面ライダーのバイクにETCなんてついているはずもなく、そもそもカード自体、持ち合わせていない。
 お面ライダーが「ETC」を気にするなんて滑稽である。しかし気がついた時には、すでにETCの「減速ゾーン」に突入していた。
 どうする?
 私は一か八か、腰を上げて立ち乗りし、バーが接近する直前で、思い切りハンドルを引き、ウィリーの体勢でジャンプを試みる。車体がふわりと持ち上がり、「ぎゅううん」というエンジン音を残して、いともたやすくETCバーを飛び越える。
 イメージ通りの飛躍。きっと、外から見ていたら、正にテレビで見るお面ライダーそのものだっただろう。カッコいいじゃないか!

 私は朝のラッシュでやや渋滞気味の本線をはずれ、路肩をひた走る。渋滞にはまりイライラするお面ライダーなんて絵にならない。直接体に風を感じることはないので分からないが、顔にぶつかる外気は実際のところ凍るような冷たさに違いない。ライダースーツのお陰で、私は何の防寒具もなしにバイクに乗っていられる。
 渋滞をよそに路肩を疾駆するこの快感。お面ライダーであればこそなせる業。
 この時、私の頭で流れていたのは「お面ライダーマックス」のテーマではなく、「イージーライダー」よろしく、ステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう」だ。
 赤色灯を点けた白バイが一台急接近してくるのがバックミラー越しに見える。「前のバイク、止まりなさい」
 白バイは私の後ろにぴたりと張り付き、マイクで停止を促す。かつてポスターでよく見た「三億円事件」の手配犯のような警官で、サングラスの向こうから、ちらちら私の顔を窺っている。
 ちっ。
 従来の私であれば、下心丸出しでへいへい素直に停車し、見逃してもらう言い訳を考えながら平謝りをするわけだが、今日は違う。何度も言う通り、お面ライダーなのだ。お面ライダーが違反切符を切られている姿なんて、これほど子供達の夢を壊すことがあるだろうか。あってはならぬ。
 今の私は自信に満ち溢れている。というより、半ばやけくそである。
 私は警告を無視し、アクセルを吹かす。130、140、150。次第に速度を上げるものの、白バイも負けじとついてくる。
「止まりなさい! こら、聞こえないのか!」
 うるさい奴だ。しかし、これ以上加速するのは正直怖い。スピードメーターには何と400キロまで数字が書いてある。  
 さすがにお面ライダーはプロフェッショナルである。超越している。ライダースーツと仮面を脱げば、私なんて「原付バイク」しか運転できない、ただの「サラリーマンライダー」に過ぎない。
 次の瞬間、背中に、何かつつかれるような感触を立て続けに2回受けた。見ると、血迷ったかその警官は、片手で白バイを運転しながら、もう一方の手で拳銃のようなものをこちらに向け、射撃体勢をとっている。
 これには、さすがの私もキレた。いくらスピード違反をしているとはいえ、危害を加えようとしているわけでもないのに、善良な市民に対して銃を向けるとは。ライダースーツを着ていなかったら、私は今頃天国に行っている。
 ウインカーランプ部分の計器パネルを見ると、「REAR」と書かれた横にミサイルのような図柄のマークがあるのに気付いた。
 何かの武器なのだろうか。意味は分からなかったが、何となくそのボタンを押してみる。すると、「ぶしゅっ」という音と白煙を残して、背後の白バイに向けて一発の小ミサイルがマフラーから発射された。

 赤色灯が打ち抜かれ、バイクはバランスを崩して路肩をはずれフェンスに接触し、ステップから火花が散る。転倒こそ免れたものの、白バイはあっという間に減速し、サイドミラーの中でみるみる小さくなっていった。「ミサイル」マークは、本当の「ミサイル」発射ボタンだったのだ。
 そんなことをしている間に、新宿ランプ手前のカーブに差し掛かる。これから私は仕事が待っている。冷静、冷静。
 午前中は、社長との顔合わせがある。お面ライダーのままで仕事を履行できるのかどうか心許ないが、だからといって、直ぐに今の仕事を辞めるわけにはいかない。まさか、石森プロが給料を払ってくれるわけでもあるまい。いくらうんざりする家族とはいえ、私の給料がなければ皆食べていけないのだから。
 それにしても、また罪状が増えた。道路交通法違反。公務執行妨害。「ミサイル」発射は、殺人未遂? でも先に「三億円事件」が発砲してきたのだから、こちらは正当防衛が主張できると思うが。
 お面ライダーを地で行くことは犯罪者になることと同義であるということを、私は初めて気付かされた。

 正月明けの会社は皆疲れ果てているように見えた。社員の顔色は大まかに二色に分類できた。一つは黒でもう一つは薄いピンクだ。黒いのは、雪焼けか、海外脱出組。ピンクは、飲み疲れといったところだろう。私はもちろんピンクと言いたいところだが、今は頭全体が黒、目は黄色で口元はシルバー、という複数配色になっている。
 階段を登っていると、ちょうど目の前を同じ課の同僚が肩を落として歩いている。一歩一歩の足運びが酷く重たそうだ。心底「来たくなかった」オーラ丸出しである。
「佐々木」と私はいつものようにぽんと腰を叩く。
 後ろを振り返り、誰だ、と私を一瞥。「佐藤だよ」と私。「脅かすなよ、お面ライダーかと思ったよ」と独り言のように呟いて、またとぼとぼとと階段を上がる。
確かにどこから見ても、お面ライダーである訳だが。
 それにしても、「非日常」に対する感覚が鈍磨し過ぎである。これでは、隣に爆弾が落ちても、側でセックスしている男女がいても、彼は「いつもそう」であるかのように、何の気にも留めず階段を上るに違いない。
「どした? 元気ないな」と私は言う。
「浮気がばれた」と彼は一層肩を落とす。これ以上肩が落ちたら、間違いなく脱臼する。最悪の年初めじゃないか。おそらく「自業自得」の話には、何ともコメントのしようがない。私はそれ以上話をいじらず、彼を追い越して自分のデスクに向かう。
「昨年の我が社の売り上げは、昭和24年の創業以来、初めて前年対比20%減を突破、未曾有の経営危機に瀕していてるのは、皆さん、十分ご承知であろうと思います」
 社長の年頭挨拶。
 いきなり冒頭からモチベーションを下げる、お先真っ暗な話。この話、年末の挨拶でも聞いた。社員皆、俯いてしまったじゃないか。こういう鈍感なワンマン社長には、ビームショットでも打ち込んでやりたくなる。
 そして、恒例の社長との握手会。男性女性、管理職平社員関係なく、新年と夏の賞与の支給時には、必ず一人一人に握手をして回る。あまり顔を近付けられると、たるんだ上にかさかさに乾燥した顔の毛穴が妙に生々しく見えて気色悪い。
「ん、君は?」
 予測通り、社長は私の前で歩みを止める。
「佐藤です」と、私は素知らぬ顔をして、いつも通りに答える。
「ああ、佐藤君か。どうしたの、その格好」
「ええ、まあ、その、お面ライダーに変身したところ、元に戻れなくなってしまいまして、はい」
「何だって」
 真っ当な神経の人間なら、こんな人を馬鹿にしたような格好で出社している訳だから、こっぴどく叱責するのが当然だ。というより、そもそも守衛に掴まって、敷地にさえ入れないだろう。
「こりゃあ、面白い。子供用商品を宣伝するにはうってつけじゃないか。佐藤君は中々センスがいい。早速広報で検討させるよ。ふむ、実に良くできておる。孫が大好きでな、お面ライダー、ええと、たしか、マキシマム」
「社長、マックス、かと」
「あ、そうそう、マックス、マックス。今度、その格好で遊びにきてくれないか。孫が喜ぶ。何だか今年は飛躍の年になりそうな気がしてきたぞ」
 お面ライダーが「子供用羽毛布団」の訪問販売をしたら、少しは売れるだろうか。少なくとも、今までの私が今まで通り営業するよりは間違いなく売れる気がする。

 それから私は、「早退届」を提出して午前中に会社を出る。やる気がない、というより、メールの整理をしようにも、グローブが大き過ぎてノートパソコンの文字が打てない。
 それに社員を利用することしか考えていない社長に嫌気が差した、ということもある。
 それこそ、今すぐここで大暴れをしたい衝動にもかられるが、そんなことをしても、逆に他の社員に迷惑をかけることになるだけだし、ただでさえ急落している会社のイメージを一層押し下げることにもなる。
 お面ライダーは悪ではない。正義の味方だ。会社にとって正義とは、汗水流して会社のために奉仕する、我々社員のことだ。社員が不利になるようなことは決してしてはならない。
 正門を出て再びバイクに跨り、私はある場所へ向かう。そこは、きっと開き直った今の私が一番似合う場所であり、相応しい場所である。
 東京ドームシティ。
 ちょうど正月最後のショーを行っている期間だったはずで、ヒトシもテレビの宣伝を見ていつも行ってみたいと言っている「スーパーヒーローショー」のメッカだ。
 私も小さい頃、まだ「後楽園ゆうえんち」と呼ばれていた時代、一度だけ父親に連れられてショーを見に行った記憶がある。
 巨大なセットの出来といい、火薬とドライアイスを使った迫力ある演出といい、登場するライダーや敵の数といい、イトーヨーカドー特設会場では到底味わえないスケールの大きさにとても興奮したことを思い出す。

 ナビ画面で「東京ドームシティ」を検索してセット。
 「オートドライビングモード」ボタンなんてものがあるので押してみる。座面シートの下から大きなウイングがにょきっと両サイドからせり出し、後輪が90度ホバークラフト風に転回したかと思うや車体がふわりと宙に浮くと、バイクは瞬く間に高度を上げて、ビルやマンションをあっという間に追い抜き、まるでヘリコプターで飛んでいるかのような空中飛行を開始した。
 すげえ!
 体がむき出しの状態なので下半身がぞくぞくしたが、それ以上に経験したことのない爽快感が勝った。
 「空を飛ぶ」ことの気持ち良さ、小学生の頃、「タケコプターがあったらいいなあ」と強く願って床に入り、夢の中でそれを実現できた時以来のことじゃないだろうか。蟻の行列の如く連なる首都高の渋滞をよそに、あっという間に「東京ドーム」の白い屋根が眼下に現れる。
「とぉぉ!」
 私は高度が下がりつつあるバイクの椅子に立ち上がり、勢いよく蹴り上げてムーンサルトを試みる。力の配分が直感的に数値化され、動作が計算通りにコントロールされる。
 舞台中央へ、難なく着地。遅れて、バイクは舞台の端へ。
 もちろん、着地が成功したからといって、拍手喝采を浴びるわけではない。今日は月曜日である。世の子供は新学期が始まっている。ジオポリス内にある「スカイシアター」の客席には、誰一人観客はいない。おそらく、昨日までは、多くの家族連れで賑わっていただろうが。
 作業服を着たパートの清掃員が2名、ゴミを面倒臭そうにつまんでいる。休日明けでは、名物「スカイフラワー」もぴくりと動かない。客のいない平日の遊園地というのは寂しいものだ。
 私は大の字に寝そべって、天を仰ぐ。雲一つない、いい空だ。世の中が慌しく動き始めたというのに、ここは何て静かでのんびりしているのだろう。
 確かに、私は変身した。小さい頃、誰もが望んだ夢の「お面ライダー」の体を今ここに手に入れた。
 しかし、それで結局、私の人生の何が変わったというのだろう。状況はむしろ悪くなっている。私はいくつもの罪を犯した犯罪者、妻からは給料が安いと顔を見る度になじられ、ヒロシには「マックスよりブラックシャドーの方がいい」と嫌われる。
 お面ライダーになれたからといって華々しい人生が待っているわけではない。むしろ、今の世の中じゃ生き辛くさえある。変身前の自分と変身後の自分をコントロールすることすらできないなんて。敵がいなければ、お面ライダーの存在価値なんてないも同然。正義の力は悪をこらしめてこそ、初めて正義の力なのである。
 こんなことなら、変身なんてしなくても良かったんじゃないか。普通の男に戻りたい。給料が安くても、喧嘩が強くなくても、以前の「佐藤光男」に戻りたい。妻の料理に舌鼓を打ち、ヒトシとの「UNO十番勝負」に一喜一憂する、つい数日前の、自分自身に。
 どこからか、けたたましく鳴り響くサイレン。音は複数こだまし、やがて一つの巨大な塊となって、「スカイシアター」の回りを包み込む。
 私は上体を起こす。赤色灯がいくつも回っているのが見える。私は十メートルほどジャンプし、周りの状況を俯瞰する。
 スカイシアターの出入り口と舞台の外周にそって数十台のパトカーがびっちりと整列し、機動隊がポリカーボネート製の盾を持ちながら、めいめい所定の配置についてスタンバっている。
 自走式対空砲のようなものや、迷彩が施された小型戦車の姿まで見えるということは、自衛隊も出動しているようだ。

 スカイフラワーが、数台上下運動を繰り返している。その中に、民放系テレビ局のロゴマークを付けたカメラクルーとレポーター。耳に神経を集中。自動聴力フォーカス。ズームアップ。
「いよいよ、マックスを捕らえる時がやってきました。子供たちの憩いの場である公園を破壊し、無抵抗な若者に暴力を振るい、交通法規を無視した上、制止しようとした白バイ警官にはこともあろうにミサイルを発射するという、正義の味方とは程遠い、日本、いや全世界の平和を乱す悪の権化、お面ライダーマックス。彼の目的は一体何なんでしょうか。世界征服なのか、それとも」
 大仰な物言いである。目的は、と聞かれても、私だって、本物のマックスになろうと思ってなったわけではないし、人間に戻れずに困っているのはこっちの方だ。
「マックス、君は完全に包囲されている。諦めて投降しなさい」
 テレビドラマの刑事のように、「スカイシアター」のゲート付近からハンチング帽を被った男が拡声器を使ってがなりたてる。「諦めて投降しろ」と言ったって、別に人質をとって立てこもっているわけではない。
 不意に、体が拘束される感触。スーツがぎゅっと締まり、グローブとブーツもまるで手足に吸いつくように密着感が深まる。
 戦闘モードに突入しているというわけか。ここまで悪人扱いされるのなら、いっそのこと、本当に悪になってやろうかとさえ思う。
 今の私は恐らく無敵だ。対空砲を浴びようが戦車に踏みつけられようが、私を倒すことはできない。お面ライダーマックスは、時間を一時停止させることさえできるのだ。コード番号は分からないが。
 「アドバンスド・ビーム・ショット」のホルダーをはずし、私は刑事の方に向かって立つ。体内のパワーボルテージがむらむら上昇している。自暴自棄な自分を自覚する。もう、なるようになれ。
「銃を捨てなさい!」とハンチング帽。
 ずばばばばば。
 私は「券売機」の屋根に向かって、数発分トリガーをひく。
 朱色の屋根に、巨大な直線状の穿孔。余りの威力に、吹き飛ぶことも忘れた木製の三角屋根は、まるで数十年前のウェスタン映画のセットのように、弾痕だけが蟻の巣状に残されている。
 私の躊躇のない威嚇射撃で、周囲は俄かに騒然となった。小型戦車のキャタピラがじりりと動き、自衛隊員も匍匐前進を開始する。
「最後通告。銃を捨てて、速やかに降伏しなさい。佐藤!」
 佐藤? 
 なるほど、身元は割れているわけだ。これだけの騒ぎを起こしていることを知れば、会社も首だろう。いくらお面ライダーを活用して売り上げアップを図るといっても、こんな悪徳ライダーでは使いようがない。
 コード88、「アクセル・ファイティング・モード」。全身のボディスーツが黒から真紅に変わり、従来の技の威力とスピードが5倍以上にパワーアップする。
 憧れの東京ドームシティ「スカイシアター」の晴れ舞台。自衛隊と機動隊の包囲網。ヘリが舞う空。メディアの生中継。同じ「ショー」でも顧客が違うし、演出もキャスティングも大違いだ。
 そして「佐藤光男」改め、いまやちびっこの期待をすべからく裏切り続ける、「お面ライダーマックス」。
 そう、敵を倒せば、私は元に戻ることができる。敵はどこにいる? 警察? 自衛隊? マスコミ?
 ブラックシャドー?
 目の錯覚でなければ、刑事の隣に毅然と直立しているのは、あのブラックシャドーだ。
 私の視線に気が付くと、彼は足を引きずるようにして、のそりのそり誰もいない客席通路を歩み始める。
 その姿からは、正月のショーで見た時の存在感と荘厳さはあまり感じられない。それでも両手には中世の騎士のような盾とサーベルを持ちながら、爬虫類のような冷徹な視線でじっとこちらを凝視している。
 ががががが。
 何の前触れもなく突然爆音が轟き、全身に衝撃と熱を感じる。同時に、私は数メートル後ろの岩山のセットに体もろとも吹き飛ばされる。
 あまりの不意打ちになす術なく、背中に鋭い激痛を感じながら、接触不良の電気コードを恐る恐るつなぐように、「カメラ・アイ」を起動する。
 こちらに向かって仁王立ちになっているブラックシャドーの盾に空いた数箇所の穴から、硝煙が立ち昇っている。盾に銃の機能が備わっているらしい。
 ブラックシャドーは何事もなかったかのように、無表情のまま、こちらとの距離を詰める。その足取りは重々しい。やっと歩いている感じである。
 私は腰の痛みが治まるのを待ってからゆっくりと立ち上がり、シャドーと対峙する。今度はいつ打ち込まれてもいいように瞬間移動のできる歩幅を保つ。「アドバンスド・ビーム・ショット」のエナジーゲージには「READY」の緑ランプが点灯している。
 マックスの宿敵、「メタフォリス帝国」のドン、ヒトシの愛する「ブラックシャドー」。
 倒さなければならない「敵」とは、この「ブラックシャドー」なのだろうか。だとすれば、お前を倒せば、私は「佐藤光男」に戻れる。
 リアルなマックスと、リアルなシャドーの宿命の対決。
 やるかやられるか、結末は二つに一つ。人生において、猫とさえ喧嘩したことのない私が、今命を掛けた人生最大の大喧嘩に挑もうとしている。
 かちゃり。
 ビームショットを手に照準をブラックシャドーに合わせる。彼はぴたりと歩行を止め、じっと私の挙動を窺うようにその場に立ちすくむ。
 盾とサーベル。まずは、そいつからだ。
 びびび、ばばば。
 光の塊が盾とサーベルを交互に貫く。サーベルは固定カメラを構えるマスコミの一群付近まではじき飛ばれ、盾には無数の穴が瞬く間に開き、間もなく小さな爆発音と共に木端微塵に砕け散った。
 弱い!
 丸腰になったブラックシャドーは、それでもひるむことなく、再び接近を開始する。私は銃を格納し、「マックスフォン」のカバーをスライドさせて、コードを打ち込む。
 ライダーキックの最高峰「コード55、スパイラル・ライダーキック・バージョン2」。ヒトシからの情報によれば、バージョン1はすでに、ブラックシャドーの「アンビジブル・シールド」に克服されているということだった。
 マスコミ的には、この上ない本物のヒーロー対決、もう少しクライマックスに至る前振りの演出が欲しいところだろうが、残念ながら私は精神的に疲れている。早く敵を始末をしてベルトを捨て、家でゆっくり眠りたいのだ。
 もう、変身ごっこは終わりにしよう。
 とどめだ、ブラックシャドー。
 そしてヒトシの大好きなヒーロー、ごめん!
 トルッ、トルッ、トルッ、エンター、ピピッ!
 テクニカルコード、入力完了。そして、自動制御モードへ。
 あとは放っておいても勝手に体が動く。技が完遂するまで、じっと見届けるだけ。

 私は静かに目を瞑る。もちろん、実際に瞑ることはできないので、意識の中で、ということだ。体が「スカイフラワー」のように、垂直に上昇を始める。機動隊もマスコミも、まるで時間が停止したかのように、じっと私を見守っている。
 どこからか、女性のわめき声が聞こえる。刑事の隣で、拡声器のマイクを握り締めた女が私に手を振りながら一生懸命に何かを怒鳴り散らしている。私はその声をとても良く知っている気がするが、どうにも思い出せない。
 ブラックシャドーのボディ中心部にロックオンの目印。これでブラックシャドーは固定され、逃げることはできない。
 つま先に熱を感じながら、体がゆっくり回転を始める。 
 一回転するごとに一瞬垣間見える女性の残像を私は頭の片隅で追いかける。スピードが増すにつれ、細切れの残像は次第に一つの明確な像を結び、私の記憶にある特定の女性像を浮かび上がらせた。
 みどり!
 着の身着のままで家を飛び出してきたといった感じに地面にへたり込み、髪の毛を振り乱し、スピーカーが割れるほどの金切り声で叫び続けている女は、紛れもなく、私の憎き、いや愛しき妻の姿だ。
 声を聞いた事があるなんておぼろげなレベルの話ではない。彼女とはもう十数年、毎日のように会っているし、時折怒鳴り声だって聞いている。
 この数日、機嫌はすこぶる悪い。少なくとも夫婦関係においては、お面ライダーに変身するメリットなど一つもない。
 これだけの騒ぎを起こしておいて言えた義理ではないが、家にこもって悶々としているより、たまにはこういう場に出てくるのも新鮮だろうし、あれだけ声を張り上げれば、いいストレス解消ができているんじゃないか、と珍しくプラス思考で考えてみる。耳の感度を上げて、我が妻の魂の叫びを聞いてみる。
「あなたやめて! ヒトシなの! それはヒトシなのよ!」
 ヒトシ?
 私の体はほとんど光速に近いスピードで回転し、ブラックシャドーのロックポイントめがけて今にも技を繰り出さんとしている。足先にはエネルギーが十分充填され、火の玉のような真っ赤な塊ができている。
 自動制御モードでは、自分で自分の体をコントロールできない。止めるといったって、もう、どうしていいのか。
 無表情な鎧兜が、私のキックの結末を黙って待つ。この中にヒトシがいるというのか。道理で挙動も動作もどこか弱々しく、怪しいと思った。

 この一撃をまともに食らったら、恐らく命の保障はない。テレビの世界では、敵は細かい砂の粉塵となって、さらさらと大地に帰す。
 ヒトシ! 逃げろ!
 私は懸命に、そう叫んでいた。叫んでも聞こえるはずがなかった。今にもへたり込みそうなほどにまで、ブラックシャドーの膝が折れ曲がっている。
 ヒトシ。
 私はいい父親ではない。一人っ子だというのに、ろくな遊び相手にもなってあげられなかった。
 思えば、大好きな「お面ライダーマックス」のショーくらい、イトーヨーカドーではなく、この東京ドームで見せてあげたかった。まさかこんな形で、自分たちが主役となって対決するとは思ってもみなかったけれど。
 そろそろ回転についていけない。景色が霞がかかるように反転し、意識も朦朧としてきている。
 ブラックシャドーが二重にも三重にもだぶつき出すと、やがて視界から消えた。足の先が恐ろしいほどの力で前方に引っ張られるのを感じた瞬間、私の思考は停止した。
 最後の残像。それは私の腕の中ですやすやと眠っている、赤ん坊時代のヒトシの寝顔。それはこの世のものとは思えないほど可愛らしく、静かな寝顔だった。

 目が覚めると、私は白いベッドの上にいた。体のどこが痛いということもないし、点滴の一つも刺さっていなかった。
 隣のベッドには、ヒトシの顔。上半身を起こして、熱心に携帯ゲームをやっている。見た目の上では、特に怪我らしい怪我はない。助かったのだ。あの後、一体どうなったのだろう。
 妻はヒトシの枕元にある椅子に腰掛けて林檎を剥いている。私が目覚めたのに気付き、ナイフを置き、ぽんぽんとヒトシの肩を叩く。
「パパ!」
 ゲームの電源をすかさず切り、今まで見せたこともないような、とびきりの笑顔を私に返す。
「大丈夫か? ヒトシ」
「うん、全然。それより、パパ、僕、ブラックシャドーになれたんだよ!」
 ヒトシは満足そうに言う。
「あの後、二人ともその場に倒れて、元通りの姿に戻ったの」と妻。声色からして、機嫌が悪いようには見えないが、あそこで相当声帯を酷使したせいか、若干ハスキーボイスである。ハスキーボイスの妻というのは、逆に新鮮でいいかもしれない。
「テレビでパパが映ってるの見たんだ。僕が助けてあげようと思って。マックスが元に戻るためには、敵を倒さなくちゃ駄目だっていったじゃん。だから、僕がブラックシャドーになったんだ。
 シャドーは元々シャドーだから、ベルトとかで変身するんじゃないんだよ。何かね、パパのために、シャドーになりたい、シャドーになりたい、って本気で神様にお願いしてたら、本当にシャドーに変身できたんだよ? 信じられる?」
 ヒトシの瞳はきらきらと輝いていた。念ずれば通ず。正に夢のような現実である。
「シールド・ロシアン・ブラスター、痛かった? でもあのくらいしか、僕には攻撃できなかったから。攻撃しなければ、パパ、僕をやっつけようって思わなかったでしょ?」
 Tシャツに短パンといういでたちの私はベッドから這い出して、ヒトシの枕元に立った。そしてちょっぴり汗をかいているヒトシの前髪を指で掻き上げる。
 もう二度と、不肖だなんて言わない。愚息でもない。お前はでき過ぎるくらいよくできた、私の息子だ。
「ところで、警察や自衛隊やマスコミは?」
「元のあなたに戻ったとたん、誰もいなくなりました」と、妻は笑って言った。 
「何の騒ぎだったんだろう、って思うくらい。あの人たち、げんきんなものね」
「そんなもんだよ。非日常的なことにしか興味ないからね。それはそうと、ライダーベルトは?」
 私は身の回りをきょろきょろと見渡す。
「『石ノ森記念館』の館長さんがこられてたので、渡しておきました。良かったかしら?」
 それ以上の決着の仕方は、私にも思いつかない。
「罪については問われないそうよ。あまりに超常的だしそういう中で立件は難しいみたい。電車のチンピラは別の暴力事件で逮捕されたんだって。市長さんも、あの公園を観光地にするんだって張りきってるわ。
 それからさっき、あなたの会社の社長さんが見えてね、次の人事であなたを昇格させるそうよ。過去に唯一、『お面ライダー』に変身した男が売る『マックス羽毛布団』。石森プロといい条件で契約できたって。これで少しは給料あがるかしら」
「まあ、過剰な期待はしない方がいいと思うけど」と、やせ我慢をして言ってみたものの、内心私も嬉しかった。「昇給」とか「昇格」という響きに飢えていた。
 全く、いつまでたっても私は小さい人間である。でも、何故かとても幸せだった。こうして家族が皆にこにこ笑い合ったことなんて、最近あっただろうか。
 人生を劇的に変えることはまだできてないかもしれないが、もし私がマックスになったことで何かが変化したとすれば、それは家族の絆かもしれない。
「あと変身してないのは、ママだけだね」とヒトシは林檎を頬張りながら、冗談半分に言う。
「変身はもうこりごりだよ」と私。
「『松嶋菜々子』になれるのなら、変身したいけど?」
 妻は十才近く若返ったような笑顔を湛えながら言う。
「もし自分の妻が『松嶋菜々子』になったら、それはとても鼻が高いね。社長からは、また思う存分利用されそうだけど。まあ、みどりじゃあ、お面ライダーでいえばジョーカーたちを束ねる女の大将がせいぜいだろうね」
「何よ、失礼しちゃう」
 妻はちょっとすねたように、フォークを林檎に刺して、ヒトシに目配せをする。女の大将はちょっと可哀想だったかな。せめて、マックスに変身する前の主人公の恋人、「蘭」とても言ってあげれば良かっただろうか。
「ん、それは何?」
「え?」
「そのほら、手の」
 フォークを持つ妻の手の甲に、直径五センチほどの雪の結晶のような形をした模様が、すかし絵のようにうっすら浮き上がっている。
「あら、何かしら、これ」
 妻はそばにあった台布巾でごしごしこすってみるが、模様は消えない。
「それって『ジョーカー』のマークだよ」とヒトシがすかさず言う。「人間に姿を変えている時は、手とか額にその模様があるんだよ」
「嘘でしょ」
「本当だってば。ジョーカーにはそのマークがあるよ。すっげー、きもい」
「『すっげー』も『きもい』も使っちゃだめだって言ってるでしょ? 言い直しなさい」
「うん、ごめんなさい。とても、気持ち悪い、です」
「ま、何だ、もう変身ごっこは終了。さ、早く家に帰って、のんびりしよう。ヒトシは通信教育の宿題、溜まってるんじゃないのか?」
「うん、でも勉強終わったら、パパ、またUNO、してくれる?」
「いいとも。今度はもう手を抜かないよ?」
「やった!」
 しかし、林檎の皿を片付ける妻の額に、「碇型」をした「メタフォリス星」のシンボルマークが一瞬きらりと輝いたのを、私は見過ごさなかった。(了)


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