短編小説の種。

年に数回、出張があります。
国内、海外、行く先はその時々によって違いますが。

出張は短編小説を書くにあたって、ネタの宝庫。
東京での日常生活では中々体験できないもの、見ることのできないものを目の当たりにする訳で。題材がそれだけで非日常である分、スナップを撮るだけでも、それなりの絵にはなりますからね。

短編小説はスナップ写真のようなものだと思います。
一瞬のひらめき。一瞬の美。一瞬の醜さ。
わずかなパルスの脈動を、逃さずレンズに収める作業。
だから神経はいつも鋭敏に、アンテナ感度を高く保って、世界を見つめる。

ただし、小説はドキュメンタリーとは違います。
スナップ写真だけで良いのなら、腕の立つカメラマンなら誰でも撮れる。
今はカメラの性能もいいし。
その写真にどのような加工の手を入れるのか。
それが物書きとしての個性であり、力かなと。

先日、北海道のとある観光地にいきました。
10年前にも行った場所ですが、当時より更に衰退は酷くなっていました。
市場には閑古鳥が鳴き、港に近い故、鮮度いい食材を食べられるはずが、これなら
近所のスーパーの方がよっぽどまし、という魚を法外な値札を付けて売っていて。
がっかり、というよりこれは恐らくどの地方都市にも当てはまる危機を感じました。
地方は、ここまで疲弊し、逼迫しているのか、と。

1泊2日の研修に近い旅だったが、いろんな思いがないまぜになる旅でした。
きっと近々、いくつかの体験の断片を元に、書くことになると思います。
間違いなく、書かれたがっている。強い情念を感じる。(→のちに、「氷下魚」という小説にしたためました)

誰も撮らないものを僕なりの目線で撮る。
僕なりの加工を施し、デフォルメし、人通りの激しい場所において日の目に当てる。

それが自分の存在価値であり、使命だと思っています。

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