なぜ短編小説か。

理由?簡単。「長編が書けないから」。
以上。
何て言ってしまうと、身も蓋もないすよね。

飽きっぽいというか気が多いというか。骨格をブラさず、キャラ立ちに配慮して長い時間軸に沿ったストーリー展開をじっくり練って書いていく云々……っていうのが苦手なんですよね、性格的に。

自身、一番長く書いた小説は「ラブドールズ・ライフ」という恋愛小説です。しかしあれでも原稿用紙で150枚くらいです。当初は80枚くらいの話を、某文学賞の規定に合わせるために、大幅にリライトしてどうにかそこまで持っていきましたが、かなりしんどかったです。削ぎ落すならまだしも、ボリュームを増やしていくというのは、同じ分量の新しい小説1本書くのよりはるかに大変なことだと。

文学賞への公募を止めてからというもの、枚数や内容に拘らず、ぱっと頭にひらめいた映像なり小話をそのまま文章に落とすだけにしたら、これが実に書いていて心地いい。なるべく端的にイメージだけをぽんと切り落とすって感じで。そうしたら、ぐっと文章が短くなって、大体今のボリュームに落ち着きました。これなら、飽きっぽい僕でも、書いている内に次のテーマが浮かんできても直ぐに移っていける。まだ印象が薄れないうちに。

「書き手」の理屈はこの程度として、自身が「読み手」の立場であっても、やっぱり短編小説が読みたいな、と思います。これは今現在は、という期間限定かもしれませんけど。

湯水の如く時間を使えた学生時代とは打って変わって、仕事に家庭に付き合いにめちゃくちゃタフな生活を送っている現在にあって、物理的に腰を据えてトルストイを読むような時間なんて到底とれません。長編は一気に読まないと、前後の文脈が分からなくなったり忘れたりしますから、そのうち読むのが苦痛になってきます。

ただ、やっぱりテレビや新聞やネットの情報にはない、「想像力を刺激する活きた文章」には触れていたいという思いの中で、通勤時間内にさくっと読み切れる「短編小説」は、今の僕のライフスタイルにとても適っている気がします。慌ただしい日常生活の寸分の間隙を縫って、少しでも非日常的な世界に忘我し癒しを求めたい人ってたくさんいると思っていて。

日本よりも海外の方が短編小説の評価は高いようですが、これからはもっと国内でも評価されてくるかなと。なぜなら、それが現代の嗜好に合っている筈だから。自分はそう信じていますし、だからこそ、短編小説をいつまでも書き続けていられるのです。

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