日曜午後の「白髪抜き」は、我が家ではもう習慣になっていた。ソファに寝そべってテレビを見ている父の髪の中から、まるで「宝物」でも探し当てるように白髪を見つけては、途中で切れないよう細心の注意を払って根元から静かに引き抜く。
「痛い痛い」と言いながらも本気で私を拒絶する訳ではない父、そして洗濯物を積みながら「抜くとどんどん増えちゃうのよねえ」と呆れたように呟く母の様子を見て、当時六つか七つだった私はそれを「暗黙の了解」として益々調子に乗っていった。
髪の束をぎゅっと掴んでめくったり返したりしながら掻き分け掻き分け、光の塩梅による真贋を何度も小さな眼で見定める。これだと決まれば「えい」と心で呟いて、尖った気合いを手先に籠める。ぷつん、という小気味良い音。指先に弾むような手応え。探す愉しみ、抜く快感。平日は忙しくて中々構ってもらえない父との、週末のそんな触れ合いが私は大好きだった。
しかし、ある頃を境に、私は父の「白髪抜き」を止めた。父の白髪が急激にその量と面積を増したのだ。白髪を探そうとしなくても、どこにでも見つけることができた。探す愉しみがなくなり、やがて抜く作業にも根気と忍耐が必要となった。
「千枝、もう止めなさい。パパの毛なくなっちゃう」という母の一言で、私は決心が着いた。これでお菓子の空き箱で作った「宝箱」に抜いた後の白髪を集める楽しみも、油性の名前ペンで黒く塗る黒髪再生作業も同時に終わらざるを得なかった。
「白髪抜き」を止めたことについて、父は何も言わなかった。止めたことに気が付いているかどうかも分からなかった。いつも通り、週末はただ黙ってテレビを見ているだけだった。いや週末ですら、顔を見ることが少なくなっていた。白髪を抜かなくなってからの父は一層弱々しく、いつもくたびれているように見えた。
いつかの真夜中、私がトイレや何かで起きた時、酒に酔った父が、まるで命からがら逃げ帰った落ち武者のように、玄関で大の字に転がっていたことがあった。一瞬死んでいるのではないかと思ったが、大きな鼾をかいていることで少し安心した。
父を取り巻く空気は私の大嫌いな臭いで澱んでいた。赤っぽい玄関の明かりが父の伸びかけの髭をリアルに浮き上がらせていた。逆立った父の髪の毛の大半は白髪だった。黒く残されている髪を探す方が難しかった。父は私の存在に気付いたのか、何かぶつぶつ呟きながら、私に向かって微笑んだ。私は「おかえり」とだけ言って父に応えた。その後のことは良く覚えていない。今となっては、それは夢だったのかもしれなかった。
やがて私は大人になった。二十歳を過ぎ、社会人として一丁前に給料をもらえるような年になっていた。父も還暦を過ぎ、長年勤め上げた会社を退職した。とても六十なんて年には見えなかった。店に来る客と比べても、もっと老けて見えた。七十代、あるいは八十代にだって見えなくもなかった。それもひとえに、襟足や揉み上げ、更には眉毛までも色素が抜けた「白髪」のせいだった。
今度、私は父を店に招待するつもりだ。大きくなった私を、そして何の夢も目標もなかった私が「美容師」という仕事を見つけ、今こうして働いている姿を見せてあげたいと思ったから。
私の想像はこうだ。目の前の椅子に父を座らせ、クロスをかける。クロスはカット用じゃなく、ヘアカラー用の黒い方。そしてまだまだ不慣れな私の手で、「退職祝い」向けに調合した特別のいい薬を塗ってあげるのだ。そう、「白髪抜き」をしていた頃の、あれから少しだけ大きくなった私の手で、丹念に、注意深く。(了)
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