昨日、免許更新だったので、久しぶりにちょっとだけ長く電車に乗るお供にと、レイモンド・カーヴァーの「僕が電話をかけている場所」の文庫本を持っていきました。
今読んでる途中のバーセルミはハードカバーなので、荷物になるし「ちょっとした時間潰しに」と思ってたら、これがまたまたはまってしまいました。
もうきっと、僕はこの本を10回は読み返していると思いますが、また冒頭の『ダンスしないか?』から言葉の一言一句をしゃぶりつくすように追っています。
アメリカ文学に限らず、これまで何冊も読書はしてきていますが、これほど何度も再読し、その度に新鮮な感覚を味わえる作家は非常に珍しいのではないでしょうか。
確かに短編だからキリがいい、というのは物理的にあると思いますが、やっぱりカーヴァーの魅力はそのシンプルな言葉選び、徹底して無駄がそぎ落とされた文章ゆえの「余白を想像する(させる?)余地」がふんだんに散りばめられていることだと思っています。
初出を見ると「昭和58年」となっていますから、もう30年以上も前に刊行されたもので、刊行がその年ということは、書かれたのはもっと前の時期、ということになりますが、内容は全く今の時代に読んでも色褪せていない。アメリカなのに、何だかとても日本人向きな感覚でさえあります。
世知辛く息苦しい現代社会の中で、一人の作家との出会いが、人の人生に深い滋養と潤い、そして慰めを一時でも与えうるものだとすれば、正にカーヴァーは、そういう意味でも僕の中でベスト3に入る作家です。そうした作家を積極的に紹介していただいた翻訳家・村上春樹氏には、心から感謝です。きっと、翻訳する、という作業は、自分の小説を書く作業と同じくらい(いや、それ以上?)難しいことであり、エネルギーを消費することでしょうから。
と、これを書いている寸分の時間も惜しいくらい、また文庫を開きたがっています。
「菓子袋」。
離婚した経緯を、久しぶりに再会した息子に語る話ですが、そのシチュエーションだけで、もうどきどきしています。
今年は「読書」を目標に掲げてしまったので、ただでさえ書く時間が少ないのに、一層少なくなってしまうではないかと。しかも、またカーヴァーを読み耽ってしまったら。
まあ、でもいいですよね。
カーヴァーを読むことは、妙な心の病気にかからないための、滋養と強壮でもありますから。